「試し読み」カテゴリー
本として発行したものの試し読みです。
興味を持っていただけましたら、本のほうも是非。
光塔館異人録(試し読み)1
2014/10/11 00:44 □ 試し読み
『光塔館異人録』三部構成中第一話の半分にあたります。
切りが悪かったので、ぶっちゃけ約30ページ分。本自体の三分の一です。
正直、最後まで含めると内容的には今までで一番ツッコミどころの多い話だったりします。
自分の能力超えて思いつかなかった箇所ごまかしてごっそり省いたからね!(ぉ
—–
# 第一話
唖然──その一言に尽きる。
──なんだこれは。
目の前には真新しい一軒の家。
建物自体にこれといって変わったところはない。強いて言うなら、簡素な門には少々不釣り合いと思われる、重々しい石板がかかっていることくらい。
石板に彫り込んである文字は
「光塔館」
の三文字。
──いつの間にこんなものを……
* * *
高校を出たらこの家を出て一人暮らしをはじめよう。ずっとそう思っていた。
だから大学が決まってすぐに、近くの不動産屋へ駆け込んだ。めぼしいものを見つけ、親に契約の希望を伝える。
未成年で部屋の契約など出来るはずもない私は常日頃から一人暮らしの意志があることをアピールしていたので、両親どころか親戚みんな、いや、ご近所の方々にまで知れ渡っているはずだ。
だから両親は二つ返事でOKするはず。
にっこり微笑んだ両親。その口から出たのは。
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」
「──」
冷たい声と予期せぬ言葉に、こちらは思わず凍り付く。
冗談にしてはあまりにも目が本気の両親を前にして、言葉がうまく出てこない。
「お前なぁ。うちがどんな家かわかって言ってんだろうな?」
「そうよ。アンタ腐ってもこの塔崎(とうざき)家の一人娘よ? それがこんな安アパートに一人暮らしとか馬鹿も休み休み言えってのよ」
腐ってるは余計だと思いつつ、私はなんだか衝撃を受けていた。
──うちってひょっとして名家だったのか?
確かにそこそこ金持ちではあると思う。
この両親の口調では威厳を感じさせるどころか場末っぽいが、家は広い方だと思うし、使用人と呼ばれるような人たちも何人かいたりする。
でも私はあくまで極々普通の子であって。厳かな名前のお嬢様学院に通っているわけでもなく、近くにある公立の共学高校へ通う普通の女子高生。財政に至っては月額三千円の小遣い制である。勉強関連のものなら別計算として買ってもらえるし、特に欲しいモノもないので不自由はしていないけど、一般的に見ればむしろ少ないんじゃなかろうか。
それが、一人暮らしをするだけでこの言われよう。
どうやら、私は今まで十八年もの間、うちのレベルを知らずに生きてきたらしい。
言い換えれば、両親はあまり金をかけずに私を育ててきたということか。
……いや、不満はないから別にいいんだけど。
そう考えれば頷けないことはない。
要するに、私が家を出ていくとなれば話は別。
ご近所の方々には「金持ちだけどお高くとまっていない良い子」として都合よく見られているだろう私が、よりによってマジ庶民なアパート暮らしを始めたりなんかすると名家としてはいろいろと困ったりするわけで。
なるほど、とひとり納得すると、とりあえずぶち当たった問題に立ち向かうことにする。
私の通う予定の大学は、ギリギリ同じ県にあるとはいえ半端じゃない距離がある。とてもじゃないが自宅からなど通えない。
「で、私にどこで暮らせと?」
私のセリフに、今度は両親が驚いた顔をする。
「あんた、ホントに気づいてなかったんだ」
「一応隠してたとはいえ……まさかな」
何だ? 話が見えん。
屈辱に耐えながら私は言葉を口にする。
「……何の話?」
両親は一度お互いに顔を見合わせると、またこちらに向き直って言った。
「あんたの家ね」
「もう出来てんだよ」
* * *
「……はぁ」
新築の家を前に、溜息しか出ないこの状況。
まさかうちがこれほど金持ちとは思いもしなかった。
娘のために、それもたった四年間を過ごすためだけに、わざわざ家を建てるとは。
──なんてエコロジー精神のない親。
しかもなんかやけに広く見えるのは気のせいか。
見栄のためなのかなんなのか。パッと見、少なくとも風呂・トイレとリビング以外に八部屋くらいはありそうな造りをしている。
そう、ここ「光塔館」が明日からの、私こと塔崎洸香(ひろか)の家だった。
光塔館異人録(試し読み)2
2014/10/11 00:52 □ 試し読み
* * *
五月六日、日曜日。
私はリビングのソファに寝っ転がっていた。
時刻は昼の一時を少しまわったところ。
天気がいいので気分が気分なら買い物にでも出かけるところなんだが、残念ながらそういう気にはならなかった。ぼーっと窓の外を眺めていると、ふいにテレビからバラエティ番組の笑い声があふれ出す。
「……るせぇ」
リモコンに手を伸ばす。ブツン、という小さな音を最後に静寂が訪れた。時折、窓の外遠くから聞こえくる子供のはしゃぎ声以外にそれを遮るものはない。穏やかな時の流れが窓から入ってきたそよ風とともに頬をかすめていく。
私は目を閉じて、思った。
──暇だ。
そう、これ以上ないと言っていいほど。
──これは、いかん。
このままでは家に帰りたくなってしまう。
せっかく──理想とは大分違ったとはいえ──念願かなった一人暮らし。
誰にも邪魔されることなく、ひとりの時間を過ごせる聖域。その点に置いては文句ない。
ただ、その領域が広すぎるのは難点だ。人は狭い方が落ち着くものだと思う。というか、この家にある十もの部屋をひとりで一体何に使えというのか。
それでも静まりかえったこの家は、私を飲み込んで放そうとしない。
──やっぱり誰か連れてくるべきだったか。
塔崎家使用人その一。衣子さん。
群を抜いて高いその掃除能力は、きっとこの家の隅から隅まで、鬼姑の指先に文句を言わせないくらいキレイにしてくれるだろう。
ただ、彼女は掃除以外は軒並み苦手。それしか出来ない分、ずっとどこかを磨いている。
ここが済んだら次はあそこ。テキパキとやっているのはいいが終わりがないのは問題だ。
たまには止まってくれないと、こちらの精神が危ない。
塔崎家使用人その二。綾子さん。
その料理の腕前は某ホテルのシェフレベルと噂される。彼女にきてもらえれば豪華で、それでいて栄養バランスを考えた食事が出来るだろう。
ただ、彼女は金勘定が苦手である。
家にいた頃ならいざ知らず、アルバイトも許されず、食費も含めて定額小遣い制になった私の財布では一回の食事で破産する。その後はシャレ抜きで毎日煮干しになるだろう。
塔崎家使用人その三。貴子さん。
何をさせても問題なくこなせる使用人の鑑。
その仕事は迅速丁寧。性格も柔和で連れてくるなら彼女が最適だろう。
が、彼女は身長一九〇センチ、通称「筋肉」。
失礼ながら、腕の筋肉が私の腰より太いんじゃないかと思えるような彼女を始終そばに置いておくのは、なんだか暑苦しそうなのでごめん被る。
使用人はまだまだいるものの、とりあえず私が親しいと言えるのはこの三人くらいだった。
──……やっぱりいいや、ひとりで。
くすくすと声を出して笑ってみる。それにしても静かだ。
実家でも、自分の部屋では同じような状況だったはずなのに、どうしてこんなに落ち着かないんだろう。
──……そうか。
唐突に、気づいた。
私が望んでいた「部屋を借りる」という形での一人暮らしと、実家の共通点。
そしてそれらとここの相違点。
──同じ建物の中に人がいるって、それだけで安心するんだ。
私の望んだもの。それは互いに干渉しない関係。
存在そのものの消去とは根本的に違っていたのだ。
* * *
パソコンの画面に映るのは、とある検索サイト。
検索ワードの入力欄にカーソルを置くと、私はカタカタとキーを叩いた。
「ルームメイト募集」
これが、数時間に渡って悩んだ末、辿りついた打開策。
友達に来てもらうとか、動物を飼うとか、他にも色々考えた。でも私が欲しいのは話し相手でも、心を許せるペットでもない。
ただ、この家のどこかに存在するだけの「他人」だったのだ。
──Enter。
はじき出された検索結果、二十万四千件。手っ取り早く上から順番に開いていく。
どれでもいい。でも登録だの何だのと面倒くさいのは嫌だ。
そうこうしているうち、登録も何もなく、掲示板形式で募集記事を投稿出来るサイトが見つかった。
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鳥木市内 鳴嶋駅徒歩1分
電気・水道代として月額1万円いただきます。
詳細はメールにて。
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──なんておいしい話。
自分で投稿しておいて、馬鹿みたいだと思った。
もしや希望者殺到するんじゃなかろうか。
……ところがどっこい。数日が過ぎてもメールゼロ。
アドレスを間違えた? まさか。何度もチェックしたはずだ。
不安になって投稿を見直してみるも、異常はなかった。
前後にあった投稿は削除されている。おそらく決定したのだろう。
──もしや、この辺って治安悪いとか? そんな風には見えないけどこの辺あんまり知らないしな。
とにかく、情報が欲しい。手っ取り早く、キーを叩く。「鳴嶋 治安」Enter。
そして、──とんでもないものが見つかった。
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260:匿名さん
家探してんだけどhttp://www.roomxxx.net/←ここの154ってどう?
鳴嶋って治安いいのに駅近で一万ってなんか怪しい物件?
近くの人教えて!
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261:匿名さん
ってか鳴嶋の近くにそれっぽい建物なんてなくね?
T家関連の建物出来たみたいだけどさすがにないだろうし。
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262:匿名さん
裏手じゃね? 幽霊ハウスみたいなのあるだろ。
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263:匿名さん
スネーク行ってみたけど裏手のほうは誰も住んでないみたいだったぞ。
表も行くか?
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264:匿名さん
やめとけ。T家相手にのぞきとか消されてもおかしくないぞ。
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「うわ、やっべ」
他のサイトで、例の投稿が変な意味で話題になっている。しかもスネークされかけてるし。
というか、うち、世間的にはそんなにアンタッチャブルな家なのか?
「……う──ん」
最終的にいたずらとして結論づけられた書き込みの山を一通り見終わると、ため息と同時にソファに身を投げ出し、目を閉じた。
「……上手くいかないもんだなぁ」
ひとしきりヘコんで、ゆっくりと目を開ける。
まぁ、いいや。書き込みは残ったままだから、そのうち連絡来るかもしれないし。希望者なんて多すぎても面倒だ。
考えてみれば、ハウスメイトを迎え入れるという考えに関して、私は未だ親に許可を取っていない。この家に入る時言われた「お前の好きにしなさい」の言葉を盾に無理矢理押し通す気でいたが、こんな形で時間が出来たってことは、ここは事前に言っておけという神か何かの思し召しかもしれない。
早速実家に電話すると、驚いたことに二つ返事で許可をくれた。
「同棲するって言われると困るけど、大家になるなら問題ないよ。勉強にもなるだろうし、好きにしなさい」
残念ながら、家賃は実家に上納。うち三割が小遣いとして還元されることに決定したけれど。
「複数で暮らすとなると不便なとこもあるだろうから適当に手配しておくよ」
だが結局、我が光塔館に新しい住民を迎え入れたのは、それからふた月近く後のことだった。
* * *
六月二十二日、金曜日。ついに一通のメールが届いた。
『はじめまして。山田と申します。ハウスメイト募集の掲示板を見て連絡させていただきました。
知り合いに希望者が居ますが、メールが出来る環境にないため代理で送信しています。
詳細は電話でも可能でしょうか?』
その後には携帯の電話番号と、番号を教えてもらえればこちらからかける、と続いていた。
直感的には信頼出来そうだったが、番号を教えるのも不安に思える。悩んだ末、こちらから連絡してみることにした。
『はじめまして、山田様。塔崎と申します。ハウスメイトの件、仲介ありがとうございます。
お書きいただいた番号は希望者様の携帯電話でしょうか。
こちらから詳細の連絡をさせていただきますので、ご都合のよい時間を教えてほしいと
お伝えいただけますか?』
アドレスが携帯のものだったからか、返事はすぐに返ってきた。
『ご連絡ありがとうございます。それでは明日、午前十時はいかがでしょうか。
彼には連絡しておきます。申し遅れましたが、希望者は金岡優(かなおかゆう)という男性です』
メールを読み終わり、OKと返事を返して、そこで初めて、私は同居人の性別についてまったく考えていなかったことに気が付いた。まぁ、その希望者が交番から徒歩一分半のこの立地でよからぬことを企みそうな輩であれば、なかったことにするだけの話だが。
「……あれ?」
もうひとつ気付く、違和感。連絡しておきます、ということは、この番号は彼の携帯のものなのだろう。なのにメールは出来ない? 不思議な話だ。
まぁいい。気にはなるが、スネークしてきた奴らと違って塔崎の名を出しても引かない「都合のいい他人」が折角手に入りそうなんだ。話くらいしてみてもいいじゃないか。
そうひとり納得して、パソコンの電源を落とす。HDDの止まる音。静けさに響く自分の足音すらも、今日は少しだけ愛おしい。
大きな期待とわずかな不安。その日は床に就いてもしばらく眠れなかった。
光塔館異人録(試し読み)3
2014/10/11 00:57 □ 試し読み
* * *
『もしもし?』
「もしもし、金岡さんの携帯でしょうか?」
『はい! そうです』
「はじめまして、塔崎と申します。ハウスメイトの件でお電話させていただいておりますが、間違いなかったでしょうか?」
『はい! ありがとうございます!』
「…………」
電話越しの声に、直感する。
──過ぎた心配、だったか。
朝食時の会話が頭の中を巡る。
「誰か代わりに掛けてもらった方がいいのかな」
そう語りかけた相手は、気まぐれで朝食を作りにきてくれた貴子さん。彼女はいつもの落ち着いた野太い声で言った。
「お嬢のご希望とあれば。ただ、共に暮らすことになるのはご自分です。見極めは早い方がよろしいかと」
こちらに向ける微笑みは、私を通り過ぎてまだ見ぬ同居候補に対するものか、ほんの少し冷たい。
「……ん、それもそうか」
どのような意味でも、こちらが「若い女の声」であることで態度を変えるような輩なら願い下げだ。
私の回答に、貴子さんはただ静かに微笑んでいた。
「──はい。この条件でよければ、一度家のほうを見ていただきたいと思っています」
『問題ありません。ありがとうございます!』
「ご都合のよろしい日はいつでしょうか? 出来れば土日で」
* * *
「どうぞ、おかけください」
貴子さんに案内され、応接室に入ってきた青年に、目一杯大人びた声で語りかける。
ここ数ヶ月、家を出たことで、うちが世間からどう見られているかは十二分に学べた。
「あ、……はい。ありがとうございます」
少しだけ周りを見渡すと、青年は落ち着かない様子のまま、ソファに腰を下ろした。
「はじめまして、金岡さん。塔崎洸香と申します」
年の頃は二十代半ばで、真面目そうな風貌。スーツ姿で、まるで面接にでも来たかのよう──いや、この状況は面接と言っても間違いではないか。実際、彼は明らかに年下であるこちらに対してもとても低姿勢だった。
「よ、よろしくお願いします!」
「ハウスメイトの件、ご連絡感謝いたします」
くれぐれも威厳を忘れずに。お嬢の態(なり)で舐められたら終わりです──貴子さんのアドバイスを胸に、余裕の微笑みを絶やさず。
「早速ですけれど、一通りご案内いたしますね」
一階にある六つのうち私の自室を除く五つの部屋、二階にある四つの部屋、ベランダ、リビング、キッチン、風呂場を案内し、応接室へ戻ると、もう一度テーブルを挟んで微笑みかける。
「洗濯機や冷蔵庫は自由に使っていただいて構いません。共用が気になるようであればコインランドリーも銭湯も 近くにあります。条件としては、お電話で申し上げましたとおり水道光熱費として月一万円。通常の範囲外の費用がかかった場合は追加請求させていただくこともございます。どうなさいますか?」
「僕なんかが住まわせてもらえるなら、是非お願いします!」
思わず、息が漏れた。なんでこんな一生懸命なんだ、この人。
貴子さんが淹れてくれた紅茶を勧めながら、傍らのセキュリティケースに手を伸ばす。
「それから当然ではございますが、私や家の者、今はまだ居ませんが他のハウスメイトに対して犯罪行為を行わないことが絶対条件となります」
こちらとしてはあくまで形式的な文言ではあったが、残りわずかな警戒に勘付いたのか、ケースから視線を戻すと彼の表情は少し曇っていた。
「──大丈夫です。僕が、大家さんに、危害を加えることは、ありません」
カップの中を見つめながら、ゆっくりと言葉を選ぶように、彼は言った。
「おそらく、ほとんど、家には居ませんから」
「…………」
苦笑するその表情が、彼の印象をわずかに変える。
特に病弱なようにも見えないのに、随分と弱々しい──いや、儚いと言ってしまってもいい。
まるで、今にも切れそうな蚕糸(さんし)ですべてを繋ぎ止めているような──。
「家に居られないと言いますと、お仕事が大変とか?」
詮索しすぎないよう世間話程度に尋ねながら、ケースから取り出したものを彼の前に並べる。
「はい。アルバイトなんですが、掛け持ちしています。特に夜中はほとんど家に居ないと思います」
「そうですか。では、何かあった時の連絡先は携帯電話でよろしいですね」
「はい。すぐには出られないかもしれませんが、掛け直しますので」
確認するように、ポケットから自分の携帯を取り出すと、彼は申し訳なさそうに続ける。
「メールとか出来たらいいのかもしれないんですけど、俺……僕、そういうのわからなくて」
「…………」
「部屋案内していただいた時、インターネットの回線が使えるって言われましたけど、パソコンも持ってません。お恥ずかしながら、ハウスメイトのお話も山田さんから勧められて来たんです。携帯も、そういう契約してません」
──……マジで?
どうしよう。嘘を吐いているようには見えないし、「山田さん」の話ともつじつまは合う。でも、まさか今時メールも使えない人がいるなんて。
これから説明する内容くらいは理解してもらえるだろうか。
「大家さん?」
戸惑った声に、我に返る。フリーズしてる場合じゃない。
「……塔崎で結構ですよ、金岡さん」
「えっと……、これは?」
そう指差されたのは先ほど並べたカード二枚。
「セキュリティカードです。これからこの家のセキュリティについてご説明します」
「あ、はい」
「これはあなたの部屋への訪問者のための入退室用カードです。なくさないようにお願いしますね」
「入退室用?」
「この家のドアはほぼすべてオートロックです。先ほどは気付かれなかったかもしれませんが、各部屋のドアには 非接触のカードリーダーが設置されていて、そこにこのカードをかざすとドアが開けられるようになっています。要するにカードキーですね」
彼は小さく頷きながら二枚のカードを受け取ると、すぐに首を傾げた。
「え、でも、さっきは」
「えぇ、使っていません。これは言ったとおり、あくまで訪問者用のカードです。あなた自身は別の入退室方法があります」
「別?」
「指紋認証です。ドアノブの横に液晶の付いた小さなセンサーがあって、そこに指を押しつけて出入りする形になります。これは玄関も同じです。不便かもしれませんが、カードが使えるのはあなたの部屋のドアだけで、玄関も開けられません」
「はぁ」
「よろしければこちらにサインをお願いします」
カードの横に置いてあった一枚の紙を引き寄せる。
彼は不安げに名前と連絡先を書き終わると、自分の文字を確認しながら、言いづらそうに疑問を口にした。
「大家さん、さっきは指紋認証で部屋に入ったってことですよね」
「はい」
塔崎でいいっつーのに、と思いながら先を促す。
「それは、大家さんは、ハウスメイトの部屋にも入れるということですか?」
「…………」
彼の質問に、思わず笑みが漏れる。へぇ、ぼんやりしてるようで、意外と切れると見た。
「いいえ。今はまだあなたの指紋を登録していません。九つのうちどの部屋にするかが決まれば、その部屋の認証用としてあなたの指紋を設定します。同時にそのカードも使えるように関連づけます。その段階で、ルームマスターでない私の指紋だけでは開けられなくなります」
「指紋『だけ』では?」
「非常事態が起こった場合にそなえて、マスターカードキーが存在します。これを私の指紋と同時に使用すればすべてのドアの解錠が可能です。ただし、これを使った場合、センサー上の液晶に履歴が残ります」
「よくわかりませんが、勝手に入ったとしてもすぐにわかる、ということですか?」
「はい。そこに関しては信用してもらうしかないですけどね」
「あ、いや、疑ってるわけじゃないんです。とられて困るものもないし……でも、」
「構いませんよ。当然のことです」
急にまたおどおどしたような態度になった彼に軽く笑いかけ、じゃあ早速指紋登録しましょうか、とリビングへ促した。
「ここで登録するんですか? 部屋には行かないんですか?」
と、彼がしきりに聞いてくる。スリープ状態だったパソコンを起こし、登録の準備をしながら説明する。
「金岡さん、この家はすべてネットワークで管理されています。先ほどカードをなくさないように、と言いましたが、カードに関しては実際なくしてしまっても、連絡をいただければすぐに設定を変更することが可能です。私がこの家に居ない場合でも」
言われたとおりセンサーに指を押しつけながら、眉間に皺を寄せる彼の顔に、悟った。
彼にはつまり、ネットワークの概念がないのだ。
「トウロクシマシタ」
十度目の機械音が響く。
「ようこそ、光塔館へ」
テレビさえ持っていなかった彼の引っ越しは、翌日完了した。
六月三十日、土曜日。ハウスメイト一号入居。
金岡優──アビリティ:『ハイパー情報弱者』。
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はい、これで第一話の半分です。
導入部分が含まれるので他の話に比べるとめちゃくちゃ長い。
金岡さんと洸香のセキュリティ関係の会話部分が結構気に入ってたり。
光塔館は2013年に発行した本ですが、書き始めは2003年で、ハウスメイトをネットで募集するところまでで止まってました。
今からすれば一体何を思ってこんな引きこもり設定書いたのかと、ものすごい不思議です。
さすがに話の内容は10年前と比べて色々変更されましたが、最初の設定は当初のまんまです。
ちなみに、金岡さんはもともと幽霊って設定でしたw
ハウスメイトはあと数人出てきます。胡散臭い女の人とか、霊能力発揮するおばあさんとか。
興味を持っていただいたなら、本のほうも是非。