「CANDY×GAME」カテゴリー
- さぁ、ゲームを始めよう -
謎解きライトコメディ「CANDY×GAME」シリーズ。
いつも通りなんとなく書いたショートショート「黄泉がえり。」の設定が自分的に面白そうに思えた→妄想スイッチが入って暴走し始めた結果生まれたシリーズ。
正義漢少女×嘘吐き少年。高校生二人が繰り広げるぬるい駆け引きと騙し合い。
シリーズタイトルの印象ほど甘い展開はない。 というか、実は内容に沿って訳するとものすごく色気のないタイトルになる。
黄泉がえり。
2005/08/30 00:52 □ CANDY×GAME
(CANDY×GAMEシリーズ 第一話)
目が覚めたら、見知らぬ部屋にいた。
いや、嘘だ。見覚えはある。
机、本棚、床に散乱した雑誌。
そして、壁に掛かっているのは近所の醤油屋製の色気のないカレンダー。
すべてに見覚えがある。
ただ、見覚えがないのは目の前のコイツ。
いや、顔自体は知っている。コイツはこの部屋の主。
小さい時から面識のある顔だ。忘れはしない。
見覚えがないのは、この表情。
なんだコイツ。
なんでそんな泣きそうな顔してるんだ。
最初は目をまん丸にした。
次に無言でジロジロ観察。
そして、下手すると唇が触れそうなくらい近くによって――
で、こんな顔だ。
多分、コイツのこんな顔を見たのは人生で初めてで。
正直、面食らった。
そして極めつけに、言ったのが。
「お前、本当に生き返ったんだな」
こんなセリフ。
「…ハァ?」
思わず返す疑問符にトゲが仕込まれる。
何を言っておるのだ、コイツは。
ついに頭がおかしくなったのか。
「本当に、ホンモノなのか? 幻とかじゃないよな?」
触れて実体があることを確認する。
「………おい、公隆」
なんでもいいが触れるなら普通、肩とか頭とか、手とかさ。
「泣きそうな顔でヒトのチチ触るなよ」
腐ってもワタシ、女の子なんですけど。
普通なら蹴り倒してやるところなんだが、相手がこんな顔してちゃやりづらい。
「本物だ……ホントなんだな……ホントに……」
何がどうなってるのかわからないが、彼の説明によると私は死んだらしい。
その私がなんでまたこんなところにいるのかというと。
彼、が生き返らせた、んだそうだ。
「そうだよ。お前が突然死んで、みんなどれだけ悲しんだと思ってんだ」
「いや、悲しんでくれるのは有り難いんだが」
「色々勉強したよ。医学から薬学から陰陽道から黒魔術から」
「………」
後半に何か次元の違うモノが含まれた気がするが、聞かなかったことにする。
ふと目をやった机の上にはなにやらあやしげな注射器が。
シリンジは押し出された形で、中身はない。
自分の右腕を見ると、小さな赤い点。
「……マジ?」
「信じないのか」
「信じられると思うのか」
不毛な会話だ。
「いいよ、信じなくても」
「…あ?」
「俺は、お前が生きてさえいてくれればそれで」
絶句。そのあまりにうさんくさい、もとい、爽やかなセリフに思わず鳥肌。
「…あー、まぁ、その、何だ」
「悠里」
急に手を引かれ、バランスを崩して彼の腕の中に倒れ込む。
私たちはお互いに相手に対してそんな感情なんぞ持ち合わせていないはずだが、こうなると一気に赤面した。コイツは、今、何かおかしい。
「お前、今何やってるかわかってるか?……放せよ」
「あ、悪い。やっぱ実感わかなくて」
あっさりと解放してくれたので、一歩後ずさってからホッと一息。
壁の時計に目をやると、午前3時を過ぎたところ。
「……とりあえず帰るわ」
「あぁ、そうしろ。おじさんおばさんもきっと喜ぶ」
儚げな笑顔に再び鳥肌。
3軒挟んだ隣の我が家。玄関の鍵は開いていた。
自分の部屋に着くと、鍵を閉め、さっさとベッドに潜り込む。
朝、学校へ向かう途中で公隆に会った。
「いーっす」
「お前さ、昨日うち来なかったか?」
第一声がコレ。
あぁ、残念。やっぱり夢じゃなかったか。
「昨日、部屋の鍵かけ忘れてたんだ」
「難儀なことで。でも、普通子供のもんなんだろ?」
「んー」
そう、私は「睡眠時遊行症」。俗に言う夢遊病だ。
普通大人になるとなくなるものらしいんだが、残念ながら、今のところ自室に鍵が欠かせない身だったりする。
対する彼は虚言癖。ただし愉快犯の偽物。昨日の場合はそれプラス寝ぼけ。
よくもまぁ、起き抜けの頭に吹き込んでくれたもんだ。
「しかし、お前、クスリでも始めたのか?」
「バカ言え」
「じゃ、あの注射器…」
「あれは糖尿のインシュリン。猫用のな」
あぁ、なるほど。お宅の黒猫の使用済みでしたか。
「なぁ、ところで、何で私は死んだんだ?」
右腕の虫さされを掻きつつ、笑いながら学校へ向かった。
夕涼み
2014/10/05 22:30 □ CANDY×GAME
2007年07月29日SIestaWebのCANDY×GAME特設で公開されたもの。
適当に名付けたらタイトルにそぐわない内容になりました。
終わり方が妙に恋愛くさい。
—–
持つべき荷物のなくなった両手をポケットにつっこんで、なんとなく空を見上げる。
広がる夏の空はほんのわずか、紅く染まり始めている。
遠くで、雷鳴が聞こえたような気がした。
*
夕方六時。
リビングのドアをくぐると、晩飯の支度を終えた母親がソファに腰掛け、のんびり雑誌をめくっていた。
こちらに気付くと、「あぁおかえり」と微笑む。
続けて、彼女の口から出てきた言葉には唖然とした。
「……はぁ?」
もう一回言ってみろ、このババァ。
「たこ焼き買ってきて」
俺の心を読んだかのように、一言一句違わず。
「……俺が今、どこから帰ってきたかわかってるよな?」
「伊藤さん家」
「正解。毎日目の前通ってるくせにいつまでも持ってかねぇから、徒歩で片道二十分以上かかる家にわざわざ回覧板持って行ってやったわけだ」
「うん」
「……まずは礼とかないの?」
「ありがとう」
無表情で即答する母親。まったくもってどうでもよさそうに。
次いで、にこやかに笑うと、
「たこ焼き買ってきて」
また同じセリフを繰り返した。
「……自分で作れよ」
脱力しながら口にするのは、わずかな抵抗。
「面倒。もう晩ご飯も出来てるし」
当然ながら一蹴される。
――……もういい。どうせ暇だし。
この母親はわがままを引っ込めた試しがない。問答するだけ無駄だ。
ため息をひとつ。
「どこまで買いに行けと? またあの店か?」
彼女がちょくちょく買ってくるたこ焼きは、駅前の小さな店のもの。いかにもな頑固親父オーラ漂う店長が焼くこだわりの一品だ。
――ちなみにその店、今前通ってきたばっかりなんですけどね?
こっちの面倒はお構いなしですか、ボス。
思わず文句が出そうになったが、
「んー。今日はもっとありきたりなのがいいなぁ」
母親の口から出た言葉は少し意外なものだった。
「ありきたり?」
「鈍いなぁ。今日は何の日でしょう」
人差し指をピンと立ててにっこり笑う母親の問いに、俺はやっとその意図を把握する。
「……了解」
面倒なことに、今度は逆方向に二十分かかる場所へ向かうことになった。
「あ、お金はその鞄の中入ってるから。そのまま持って行って」
指差されたのは母親の仕事用鞄。
「あ、あんた、行くの久々でしょ? お賽銭分あげるからちゃんとお参りしておいで」
「ハイハイ。じゃ、行ってくるわ」
いい加減に返事しながら、ファスナー付きの黒いトートを引っさげて再び家を出る。
目指すは夏祭り真っ最中の神社だ。
* * *
『大丈夫だよ、迎えに来てもらうから』
賽銭箱の前、ひとりたたずむ私の頭の中で、先ほど自分が言った言葉が繰り返される。
まだそんなに遅くないはずなのに、ぼんやり眺める境内は薄暗くなってしまっていた。
理由はもちろん、少し前から降り始めたこの雨だ。せっかく洸香とお祭りに来たっていうのについてない。
夜店のところにいた大勢の参拝客も姿を消し、今は運良く傘を持っていた二・三組が残っているのみだった。
「天気予報、はずれだったな……」
洸香の家はここからそう離れてはいない。
空の色からしてそう簡単に止みそうになかったから、小降りのうちに帰らせた。
「うちおいでよ。送るから」
彼女の親切は、辞退した。
だってそれじゃあ――。
小雨の中、何度も振り返る彼女に笑顔で手を振る。
「気をつけて」
最悪なことに気付いたのは、彼女の姿が完全に見えなくなってからだった。
音を立てて、血の気が引いていく。
――嘘。携帯……ない。
* * *
――畜生。
家を出た時から、なんだか雲が増えているのには気付いていた。でも、こんなに急に降りだす感じではなかったのだ。
降り始めはポツポツ。なのに突然、バケツをひっくり返したような土砂降り。
これが日頃の行いというヤツなのか、よりにもよって壁と電信柱しかないようなところを歩いている時だったりするわけで。
目的地に辿りついた時には全身ずぶ濡れ。
片手にぶら下げた鞄だけが景気よく水を弾いていて、なんだか皮肉だった。
――さて。
たこ焼きは後回しにして、まずは参拝が礼儀か。
少しだけゆるまった雨。
夜店の立ち並ぶ場所を通り抜け、辿りついた社の前。
額に張り付いた前髪を掻き上げながら、少し視線を上げると、
「……ん?」
見知った顔が、そこにあった。
*
「――」
一瞬、息が詰まった。
石段を上って彼女の横に立つと、鞄の脇から母親の財布を取り出し、
「……お前、何やってんの?」
小銭を放りながら、問うた。
カミサマに向かってしばし手を合わせ、彼女の方に向き直ると、
「……雨宿り」
ボソリと、質問の答えが返ってきた。
「当分止まないぞコレ。迎えに来てもらえばいいのに」
「それが……携帯、忘れたみたいで」
巾着の紐を絞りながら、恥ずかしそうに少し俯く。
「……ふぅん」
その仕草がいつもと比べて随分女の子らしく見えるのは、単純に格好が違うからだろうか。
「お前は? 祭りに来るなんて珍しいな」
「ボスのご命令。たこ焼き買ってこいとさ」
「なるほど」
あはは、と声を上げて笑う。
きれいに結い上げた髪にはちりめんの髪飾り。
鮮やかな赤い浴衣を纏った永沢悠里は、恨めしそうに空を見上げる。
その姿は、初めて見るはずなのに、どこか懐かしくて。
――いつの間に、こんなきれいになったかな。
父親のような気分で思わず目を細めたその時、だった。
静かな境内に電子音が響くのと同時、悠里が、え、と短く声を上げる。
「公隆。その鞄、多香子さんの?」
「あぁ、うん」
音の発生源は母親の鞄。慌ててファスナーを開けると、
「携帯……?」
そこにあったのは、携帯電話。
どこかで聞いた覚えのあるメロディを奏でるそれは――母親のものじゃない。
とにかくつまみ出そうと手を触れた瞬間、辺りに静寂が戻る。
メロディが流れた時間は、十秒なかった程度。
背面液晶の表示を見ると、電話ではなくメールの着信だったようで。
「貸して」
大人しくなった携帯に横から手を伸ばし、彼女が言った。
「それ、私のだよ」
「……なんでお前の携帯がこんなとこ入ってんだよ」
さっぱりわけがわからない。
「ん、多香子さんからだ」
俺の呟きを軽く聞き流し、たった今着信したメールを読む。
何が書いてあったのか、彼女は顔を上げると俺の顔を見つめ、苦笑した。
「……なんだよ」
「鞄の中見てみな。多分、素敵なモノが入ってる」
「あ?」
言われて探ってみると、仕事用の手帳や筆記具の奥から、
「入ってるなら言えよ、ババァ……」
随分小さな折りたたみの――「傘」が現れた。
「お前が気付かないとは思ってなかったんだよ、きっと」
困った顔で渡された携帯には、我が母親からの短いメール文。
『傘は届いた?』
*
――くそ。また騙された。
段々と、霧が晴れていく。
鞄の中にあった携帯電話。
永沢悠里の携帯がうちにあったってことは、彼女がうちに来たってことだ。
『それが……携帯、忘れたみたいで』
携帯がないことにさっきまで気付かなかったくらいだから、そんなに前のはずはない。
おそらくは――今日。俺が回覧板を渡しに行っている間だ。
何をしに来たか、に関しては考えるまでもない。着付けは母親の得意分野だった。
――たこ焼きなんてどうでもよかったんだ。
微かに聞こえた雷鳴と雲の動き。
あの時点なら、ある程度雨は予測出来た。
あの母親なら一七七くらい聞いていたかもしれない。
そう。俺の本当のお役目は、――永沢悠里の迎え。
そしてそれは、少女に対する配慮であると同時に、藤原多香子自身の純粋な希望だった。
彼女は見てほしかったのだ。
完璧に作り上げた、この真紅の作品を。
「帰るぞ」
小さな傘を彼女に手渡すと、降り止まない雨の中を一歩踏み出した。
「え、ちょっ、お前は?」
「俺はいい。もう充分濡れてるし」
今さら傘なんか被っても仕方ない。
なら、彼女が使うべきだ。せっかくの浴衣なんだから。
「……」
複雑な表情で、少女が大人しく傘を開く。
特に急ぐこともなく参道を戻り始めた俺の後ろで、下駄の音が石段を下り、近づいてきた。
「――?」
違和感を覚えて振り返ると、
「……あんまり打たれてるとハゲるぞ」
永沢悠里が俺に傘を差し伸べていた。
――難儀なヤツ。
素直に受け取っておけばいいものを。
仕方ない。長い付き合いだ。コイツの性質は十二分にわかってる。
彼女は自己犠牲的な親切を受け入れるような人間じゃなかった。
んでもって、彼女が傘をひとりで使うことを拒否すれば必然的にこうなる。
今時な相合い傘。照れくさいのはお互い様か。
差し伸べた方もほんの少しだけ、視線を泳がせている。
気恥ずかしさを紛らすように、無言で傘をひったくった。
こういうのはせめて、背の高い方が持たないとサマにならないじゃないか。
「……ひとつ、聞きたいんだけど」
「ん?」
「お前、塔崎と一緒だったんだろ? なんで一緒に帰らなかったんだ」
そう、それだけが疑問だった。
塔崎の家ならここから五分もかからない。
小雨の間に走って帰っていれば、濡れたとしても大したものではなかっただろう。
塔崎の性格からすればそれを提案しないはずはないのだが、彼女は同行しなかった。
こんな時に「甘えるのは申し訳ない」なんていう他人行儀な関係ではないはず。
「だって――私のじゃ、ないから」
苦笑しながら、彼女がポツリと答える。
「お前、気付いてない? この浴衣、見覚えないか?」
「――あ、」
彼女の問いに、俺は、やっと気付いた。
悠里がなぜ、塔崎と同行することを拒否したのか――それほどまでに濡れることを避けたがったのか。
「それ……」
そして、自分がなぜ、彼女の姿にああも懐かしさを覚えたのか。
「うん。これ多香子さんのなんだ」
*
小さな傘の下、とりとめのない話をしながら夜店の間を通り抜けると、
「あ。お前、たこ焼き頼まれてたんじゃないのか?」
彼女は俺の言った用件を思い出し、慌てて濡れた袖を引っぱった。
「別にいいだろ。どうせ口実だろうし」
「いや、それでも、買ってかなかったらまた貸し一とか言われ……」
「ぐ」
不穏な展開予想に、思わず声を漏らす。
それもそうだ。
本当の意図が何だったかなど関係なく、俺自身は「たこ焼きを買ってこい」と言われただけなんだから、従わなければペナルティ。
ボスのことだ。敢えて深読みするなら、迎え云々がサブイベントで、メインの目的はその「貸し」作りである可能性もないとは言い切れない。
「悪い。戻ろう。買っておいた方がよさそうだ」
「あぁ、それが賢明だな」
心の中でぼやく俺の顔を、少女が可笑しそうに観察していた。
――面白くない。何もかもババァの手の内だ。
「くそ。こうなったら腹いせしてやる」
思いついたのは、今の範囲で出来る、仕返し。
「ん? 何すんの?」
傍らには、復讐劇の幕開けを興味津々で見上げてくる永沢悠里。
「――無駄遣い」
*
そう。たこ焼き買わなきゃペナルティは確定。
じゃあ、ご命令通り買っていってやろうじゃねぇか。
俺は今日、数に関してひとことも聞いてない。
なら、ここにある所持金すべて、たこ焼きに変えてやるまでだ――!!
「あはっ、そりゃいいや」
ちょっとやけくそ気味な馬鹿計画を打ち明けると、止めるかと思いきや、実に楽しそうに笑った彼女。
傘を預けると、一歩足を進めてたこ焼き屋の軒下に入る。
「おっちゃん、たこ焼きちょうだい」
「あいよ。ひとつ? 五百円ね」
「あ、いや、ちょっと待って」
そう言えば、財布にいくら入ってるのか見ていなかった。
慌てて財布を取り出す。
中身の額は――
――……っ!
「――ごめん。やっぱ、ひとつでいいや」
数十秒後、焼きたてのたこ焼きの入ったビニールを持って、後ろを振り返る。
軒下から移動して元通り傘を受け取ると、代わりに袋を彼女に渡した。
「食おう」
「……なんだ。結局やめたのか?」
つまらなそうな顔にひとつため息を吐くと、
「残念ながら、ボスの方が上手だったんだよ」
舌打ちしながら、見てみな、と財布を渡した。
「――あ」
その中身に、彼女が小さく声を上げる。
賽銭の時に開けた小銭入れ部分には、十円玉と五円玉が数枚ずつ。だから、ご用命の品を買おうとするなら、札を出すしかなかった。
母親が仕事に持って行くのは「小遣い用」の財布。
そこそこに高給取りで衝動買いの多いボス。この財布にはいつも結構な額が入っている。
でも、この時札入れ部分にあったのは、彼女にしてはかなり少ない、千円札二枚。
そしてその他に――一枚の小さな紙片。
走り書きのその手紙にはこう書かれていた。
『残りは臨時のお小遣いね。お祭り楽しんでおいで』
それは、約束を違えなかった場合のみ気付くよう仕込まれた、俺への褒美。
それとも、こちらのよからぬ企みを含め、最後まで読んだうえでの不意打ちか。
「はぁ……」
その効果は絶大で、あっさりと毒気を抜かれてしまった。
「ホントに敵わないな、多香子さんには」
財布をこちらに差し出し、ポツリと漏らす悠里の顔は、なぜかとても嬉しそうに見えた。
*
帰り道。
片手にぶら下げたビニール袋には、帰り際に改めて買った土産のたこ焼き。
おごりのりんご飴をかじる永沢悠里と世間話で笑いあいながら、
――……うん。
俺は、心の中でひとつ、小さな決心をした。
家に帰ったら今日は素直に「ありがとう」と言おう。
敵わないと認めるようで、少し悔しいけれど。
それでも今日は、母親に感謝していた。
臨時の小遣いをくれたこと。
作品を見せてくれたこと。
そして、彼女と肩を寄せ合える、
――この小さな傘を選んでくれたことに。
女神ユノの祝日。
2014/10/08 00:44 □ CANDY×GAME
2007年02月01日SiestaWebのCANDY×GAME特設で公開されたもの。
今どうこうするには季節外れのバレンタインネタ。
バレンタインって言葉をタイトルに使いたくないというだけの理由でこんなタイトルに。
公開したのはⅡが出る前。書いたのはⅡの内容を全部書いた後。なので微妙に意味深な書き方してますね。
—–
「……何だコレ?」
寒空の下、学校から帰ってきた私を出迎えたのは玄関に鎮座する箱。ピンク色した宅急便の送り状。書かれた宛名は「永沢八重子」――つまり母さんの名前。
「あぁ、お帰り」
リビングから顔を覗かせたご本人が私に声を掛けるとともに、腰をかがめて箱を抱えた。
ほんの少し油の匂いがする。揚げ物途中で荷物が来たから、受け取りだけして荷物はしばらく放っておいた、ということらしかった。
「それって誰から?」
「お義母さんからよ。さっき電話あった。福引きで当たったけど要らないから、だって」
「でも、父さんチーズ嫌いじゃん。なんでわざわざ……」
「さぁ、あの人のことだから呆けちゃったってことはないでしょうけど」
父さんの実家に居る我が祖母は、とにかく多趣味な人で、「呆け防止!」なんて言い訳をしながら祖父ちゃんおいてけぼりでカルチャースクールに通い、はつらつと人生楽しんでいるような人だった。正直、祖父ちゃんならともかく、あの祖母ちゃんが呆けるなんて考えられない。
「……人生楽しみすぎて、息子の嫌いなモノなんかすっかり忘れてるんじゃない? あと、忘れてなくても本気で邪魔だから押しつけてみた、とか」
私の適当な冗談に「あり得なくないなぁ」なんて笑いながら、母さんは流しの下の空きスペースにその箱を納めた。
*
翌日昼休み。
その日はびっくりするほど天気がよくて、二月とは思えないほど暖かだった。
「ゆーうりっ!」
元気に自分を呼ぶ声を聞き流しながら、私は陽当たり良好な窓際の席で頬杖をつき、睡魔と緩慢な戦いの真っ最中だった。
〈大丈夫。ガイダンスまであと五分。そんなに深く眠ってしまうことはないよ〉
悪魔の声の向こう、無意識下に取り込まれそうになる教室の喧噪。お弁当を囲む女の子達の声が遠く聞こえる。楽しげに口にする話題は、数日前に終了した――修学旅行。
いつもなら話に入れないことで寂しさを感じているところだけど、今回は少し違った。
――ハイ。これ以上思い出すと色んな意味で精神衛生上よろしくないのでストップ。
私の口唇は、知らないうちに微かな苦笑を漏らしていた。
「おーい?」
目の前を塔崎洸香の手のひらが何度か横切って、やっと焦点が合う。
「……へっ?」
思わず間の抜けた声を上げると、我らが「お母さん」は柔らかに微笑い、
「ちょっとこっち来て」
教室の後ろのドアから顔を覗かせている女の子たちの元へ、私を引っぱっていった。
*
今日は火曜日。帰路につく時間はいつもより早い。
昇降口で靴を履き替える時、傍らに置いた薄青色の小さな紙袋。
トントンと靴の先を鳴らしながら、拾い上げたその重みに思わず笑ってしまう。
袋の中にはキレイにラッピングされた箱が五個収まっていた。
「すっかり忘れてた」
どうしよう。傷つくかな、父さんと兄貴。
そう。今日はバレンタインデイ、というヤツだった。
「あ、」
校門を出ると、見慣れた背中が目に止まった。
「公隆」
「おー、お疲れ。あぁ、今日火曜か」
うん、と答えようとして、目にとまったものに息をのむ。
「お前、それ……!」
視線の先には紙袋。私のより大きい。色とりどりのリボンに飾られた箱がぎっしり詰まって……――詰まりすぎて持ち手の部分が取れそうになっている。
「いいだろ」
「……それ、まさか全部チョコレートか?」
「モテる男はつらいよ、ホントに」
クスリとも笑わない、わざとらしいほど乾いた口調。
今、コイツは嘘を吐いているつもりはない。いや、吐いてるんだけど、その嘘で「騙す」つもりがない。
彼はそのままの表情で、チラリとこちらの紙袋をのぞき込むと、
「お前こそ、朝はそんなの持ってなかったよな。もらったのか」
「ん、後輩にね」
「部活休みなのにわざわざ渡しに来たのか、あのおなご達は」
「あぁ、モテる女もつらいよ」
なんて、皮肉めいたセリフで軽く笑って、
「ところで、お前はそれ、何人からもらったんだ」
ここからが本題。
「なんだ。妬いてんのか?」
こちらがもうとっくに違和感に気付いているのを知っていながら、なおも淡々と嘘を続ける公隆。並んで歩きながら、お互い目も合わせないまま、会話を続ける。
「欲しけりゃやるぞ。愛情たっぷり」
「そうか、それは大変だな。同情する」
「同情よりも愛が欲しいな、お前の」
流れるような軽口はものすごく平坦で、とんでもないセリフのはずなんだけど、今はまったく気にならない。
「……別に、欲しけりゃやってもいいけど」
「……っ、」
敢えて口調を変えて言ったその言葉が、冗談にしてもよほど意外だったのか、驚いたような顔が反射的にこちらを振り向き、
――そして、上目遣いでにっこりと微笑んだこちらの顔に、ハッと我に返った。
ハイ、私の勝ち。
酔っぱらいのオッサンが若い女の子に絡むように、彼の肩に手を置いて。
「答えろ。何人?」
公隆は再度の質問に嘆息すると、悔し紛れか、肩の手を払ったその腕でこちらの首を捕らえる。
そして。耳元で甘く、まるで恋人に愛を囁くように――
「…………ひとり」
そう告白した。
差し出された紙袋をのぞき込む。二、四、六……全部で十八個。
「うわぁ……嫌がらせもいいトコだな」
箱に使われたリボンは本当に色とりどり。――でもその代わり、その下を覆うラッピングペーパーはすべて同じものだった。
*
「妹が作った失敗作だとか言ってたけど。嬉しそうな顔しやがって、絶対嘘だ、アイツ」
「だな。どんだけ失敗するんだよ。ラッピングまでしてるし」
「お前さ、シャレ抜きで要らない? やるぞ。食う気しねぇし」
ため息混じりの言葉。
見た目がそこそこいい線いってるこいつは、毎年いくつかチョコをもらってる。
相手の好意に対して返す「王子様の微笑み(偽)」は、彼という人間を知らない者には定評があるらしい。ちなみに彼を知る者にも「虫ずが走る」と大人気だ。
もらうかもらわないかを一旦保留にし、
「今年は誰かからもらえたのか?」
「あ? 何だよ、ヤキモチ?」
公隆が薄く笑う。
「いや、100%興味本位」
その冗談はもういいから。意志がにじみ出るように、敢えて無色透明の声を使うと、彼は軽く息を吐いてつまらなそうに答えた。
「お前さ、腐っても女の子としてはどうよ。こんな紙袋持ったヤツにチョコ渡したいか?」
「いいや」
即答する。ってか、腐ってるは余計だ。
黒地に光沢文字の印刷されたラッピングペーパー。リボンが変えられているのもあって、遠目ならすべて違うものに見える箱の山はそう簡単に食べられないほどの量。
義理でも引くし、本命なら自分の渡したものがあの山に紛れるなんてなおさら嫌だろう。
「だろ。俺が女でもそう思う」
つまり収穫ゼロ。――贈り主の思惑通り? 大人気の微笑みを見たくなかったのなら大成功だな。まぁ、単純に面白がっているだけって可能性の方が高いのだけど。
「安藤……恐ろしい子」
そんなセリフを口の中で呟きながら、台所で大量のチョコレートと格闘する贈り主を想像して、噴き出しそうになる。
安藤圭太、やっぱり大物かもしれない。
*
しばらく雑談しながら歩いていると、各々の家が見え始めた。
「あ、そうだ。どうする? 悠里」
思い出したように、例の紙袋を掲げてみせる。
「要らないか? いくつかだけでもいいからさ」
――てか、引き取って欲しいんだろ、お前。
甘いものが嫌いなわけではないが、かといってそこまで好きでもない公隆。
おそらく同じものであろう十八の箱の中身は、彼を――いや、彼でなくとも、げんなりさせるには充分だった。
「中身は何か聞いた?」
「安藤曰く、手作りトリュフだそうだ」
「トリュフか……足が早いな。手作りなら賞味期限二、三日ってとこだろ」
冷静なセリフに、横の男が、うげ、と声を漏らす。
形的に見て、少なくとも一箱に六個。大台を超える個数のチョコ玉は三日で消化するには少々厳しい。
「いっそのこと溶かして何かに作り替えるか」
紙袋を眺める引きつり気味の顔がボソリとこぼす。
なるほど、妙案だ。
「そうだな、バリエーション考えたらちょっとは――」
そう笑い返した瞬間。
頭を、何かがかすめた。
――あ。
無意識に足を止める。
「……悠里?」
公隆が訝しげな目を向ける。
「そうか、わかった……」
「あ? 何?」
「なぁ、公隆――」
次の瞬間、私の言葉に、彼は唖然としていた。
「それ、全部引き取るよ」
*
午後八時。玄関のチャイムが音を響かせる。
『今日、八時にうち来い。出来れば多香子さんとおじさんも一緒に。晩飯軽く済ませてな』
時間ピッタリ。言いつけ通り、公隆はやって来た。
「いらっしゃい」
玄関に向かった母さんが、いつも通りの柔らかい声で三人を迎える。
「お邪魔します、八重子さん」
「上がって。悠里もそこにいるから。おふたりさんもどうぞ」
「八重子、今日何するの? 何にも聞いてないみたいだけど」
「ん? ちょっと変わったものをね……」
母さんの微笑みを含んだ声を聞きながら。
「よし」
小さく呟く。準備完了。
直後、部屋に入ってきた多香子さんが無邪気な歓声を上げた。
「わぁ! どうしたのこれ!?」
「昨日、お義母さんから送られてきたのよ。福引きで当たったんだって」
テーブルには、様々なカットフルーツと、クッキー、マシュマロ、キューブ状に小さく切ったパン。そしてフォーク代わりの竹串。
そして中央には祖母ちゃんから送られてきたチーズフォンデュセットが鎮座していた。
ただし、鍋の中で溶けているのはチーズじゃなく、チョコレート。
そう。これが私の思いついた安藤の贈り物を手っ取り早く消化する方法。
そして、今日という日を計算に入れた、ハイカラな祖母ちゃんの意図。
リビングには甘い香りが立ちこめる。
数分後には父さんと兄貴(飲み物部隊)も帰ってきて、両家族勢揃い。
目を合わせた一瞬、嫌な顔を隠せなかった兄貴に、
「久しぶり、浩樹」
にっこりと作り物の微笑みを返す公隆。……目が笑ってないよ、お前。
よからぬ雰囲気をキレイに無視して、ふたりの母親が乾杯の音頭を取り、チョコフォンデュパーティは始まる。
バナナの刺さった竹串をくわえながらげんなりと、
「すげぇ美味いよ、安藤の愛の味」
呟いた公隆に、私は笑いを堪えきれなかった。
the glory day
2014/10/08 22:17 □ CANDY×GAME
2006年12月24日SiestaWebのCANDY×GAME特設で公開されたもの。
これも季節外れのクリスマスネタです。
考えてみれば、冒頭が「夕涼み」と似通ってますね。
—–
「ハァ?」
口から零れた疑問符に、自問する。
このセリフ、この相手に対して口にしたのは生まれてから何回目だ?
「いいじゃん、二日ぐらい。あんた暇でしょ?」
反省の気配すらない母親の口調。
俺は一体いつまでこのワガママに付き合わされるんだろう?
「勝手に決めんな。なんで俺が」
いや、まぁ確かに予定は入ってないんだけど、この態度では反抗のひとつもしてみたくなる。
母親は、むぅ、と小さくうなると、
「じゃあ『貸し』ひとつ消化していいから」
不服そうに、そう提案した。
「オーケー、マム」
現金にも即答してしまう自分が悲しかったが、まぁいい。俺にとって何より恐ろしいのは母親に対する「借り」。わずかとは言え、こんなことくらいで身軽になれるなら安いもんだった。
借りひとつと引き替えになったのは、二日間の労働。
十二月二十三、二十四日。ケーキ屋でのアルバイト。当然給料は別に出る。
お気に入りの店でたまたま人手問題を耳にしたらしい我が家のボスは、「じゃあ息子を派遣するわ」なんて勝手に話を決めてきたらしい。
あまりの横暴さに渋ってはみたものの正直なところ、アルバイトを許してもらえない俺としてはむしろラッキーだ――と、思ってた。条件を聞くまでは。
「毎年なんだけど、うちの店、二十三日から三日間だけ特別にこんなのを売るのよね」
バイト予定の十日前。顔見せ程度に説明を受けに行くと、小柄な奥さんに示されたのはラッピング済みの小さなチョコレートマフィン。パウダーシュガーの隙間から褐色の肌が覗く。
天下の「カプリチオ」がなんでこんな地味なものを? と不思議な顔をしていると、店の主人と奥さんのなれそめなんかを説明代わりに聞かされた。……が、途中から聞く気をなくしてあまり覚えていないのでその辺は割愛する。
まぁ、とにかく、俺の役目は奥さんの妹が手伝いに来るという二十五日を除く二日間、このクリスマスマフィンを売ること、だった。
「店は九時までだけど、これさえ完売したら帰ってくれていいから。お給料は日給で払うわ」
「へぇ、じゃあそれさえ売り切ればとっとと帰れるわけですか」
「そ、なかなか美味しい条件でしょ?」
確かに。他のケーキをそっちのけで、とにかくこれを売りさばけばいいわけだ。日給一万の好条件なうえ数時間で帰れるとしたら、これほど美味しい話があろうか。
「で、いくつ売るんですか?」
俺の質問に、奥さんはにっこり微笑んで、驚くほど澄み切った声で答えた。
「一日七百五十個」
…………
今、なんて?
「二日でたったの千五百個よ。……頑張ってね、藤原くん」
*
サンプルにもらったマフィンは、確かに味はよかったが、驚くほど甘くなかった。材料には最近よくコンビニで見るようなカカオの濃いチョコを使っていて、上に振りかけられたパウダーシュガー以外、砂糖はほんの少ししか使われていないらしい。
試しにシュガーのかかっていない部分をちぎって食べてみる。やっぱり全然甘くない。
うん。まるで今日、俺が目にした世の中のよう。……わかってたけどさ。
この小さな町であんなシンプルなマフィンを七百五十個も売れと?
『毎年結構残るけど、今年は大丈夫ね。君みたいな子が売り子してくれるなら』
『店先に出るともっと売れるんだけど、寒いのよね』
言われたセリフが次々と脳内でこだまする。あの奥さん、狸だ。
バイトの子が毎年風邪引いちゃうのよ、なんて困った笑顔。それはつまり、こんな彼女の心の中をキレイに物語っている。
『店内で売り切れる自信なかったら、とっとと店先に出てよね』
まぁ、なんて言うか。
これで年末の俺の風邪引きは確定したかに思えるのだが。
こっちもそう簡単に負けを認めるわけにはいかない。
「……やってやろうじゃねぇか」
決戦の日まであと十日。
俺は速やかに、計画を実行に移した。
* * *
夜の間に雪が積もっていた。
十二月二十五日。
制服にコートを羽織ってボタンを留めながら外に出てみれば、辺りは一面真っ白で眩しさに驚く。すっかり晴れ上がった空の下拡がるのは、まさに白銀の世界。
「わぁ……」
思わず歓声が漏れた。昨日の帰りにはまだ降ってなかったのに。
玄関を開けた途端流れ込んできた冷たい空気に、手袋にくるまれた両手で頬を覆う。
踏み出すたび、サクリと小さな音を立てる道路の雪は、深さ五センチほど。飛び跳ねるように、より深さのない轍まで足を移す。
時刻は十時十五分前。予定の時間まで、まだ少し時間がある。小さい子みたいに、靴の下で雪が圧縮される感触を楽しみながら、私はのんびりと歩き始めた。
そして、四軒目の家の前。
「ん?」
パタン、と玄関のドアを閉めて出てきた少年と目があった。
「――……っ」
なんでこういうタイミングで鉢合わせするんだろう。
「おはよ。昨日はお疲れっ」
慌ててごまかすもむなしく、
「お前、朝っぱらから何やってんの?」
開口一番にそんなことを言われて頬に血がのぼる。
「いい年して雪遊び?」
「……うるさいな。ちょっと童心に返ってただけじゃん」
「あっそ」
憎たらしい嘲笑を残して、目の前のコート姿はさっさと歩き始めた。
「……あれ? 公隆、お前も学校?」
コートの裾から覗く制服のスラックスに、思わず問う。
「霧島のじじいに呼び出し食らった」
「あぁ、それはご愁傷様」
苦笑混じりに出てきた「霧島」というのは我が校国語科の先生で、公隆の所属する部の顧問。似合わないことこの上ないが、彼は一応「文芸部」に所属している。
と言ってもその実態は部員一名で活動実績ゼロ。公隆自身、知り合いの先輩に泣きつかれて仕方なく籍を置いただけの、実質帰宅部と同じ、名前だけの部だった。そんな状態でなぜ存在自体がなくならないのかというと、要するに顧問の小間使いというか、手助けする役割を当てられているから。最近の主な仕事は、文集関連手書き原稿の打ち直し。
とても穏やかで優しい霧島先生は、ほとんどパソコンが使えない。超鈍足ながら途中までは自分でやろうとするものだから、「手伝ってくれないかな?」なんて控えめな言葉で彼に頼み事をする頃には、大抵手遅れ寸前の状態になっているとかいないとか。
「……お前は部活?」
なんとなく哀れみの目を向けていると、彼は少し不思議そうな顔でこちらの服装を見る。
公隆と同じく制服にコート姿。ただ、学生鞄片手の彼とは違って、今日の私は手ぶらだ。持ち物はコートのポケットに入っている財布と携帯だけ。
「いや、今日は休み」
「……じゃあ、なんでこんな日にわざわざ」
酔狂な、と眉を寄せる彼の顔に、それは、と答えようとした瞬間、
「っ!!」
――頭に衝撃が走る。
「なっ!?」
ぶつかってきた何かに押される形で俯いた私の耳に、公隆の驚く声が響いた。
「――……」
乱れる髪と一緒にバラバラと落ちてきたのは――砕けた雪の固まり。
次いでわずかな痛みと冷たさが認識され始めた。
「おい、悠里。大丈――、っ!?」
とっさにこちらをのぞき込んだ彼の言葉も途切れる。
「痛(い)って……、ちょっ、なんて遊びしてんだあいつら!」
後方に視線をやりながら、焦ったような声を漏らす公隆。
雪玉の飛んできたその方向には数人の子供の声。聞き覚えがある、近所の悪ガキども。
知らず、笑みが漏れた。愛すべき目標は大胆にも隠れてなどいないわけだ。
「公隆、」
顔を上げると同時に濡れた髪を払う。
首筋から小さな欠片が服の中に入ったけど、そんなことどうでもいい。
今重要なのは――腹の中にある悔しさと、怒り。
幸いにも、まだ時間はあるから。
「付き合え」
「何?」
「……しつけだ」
* * *
数分後、永沢悠里は正々堂々雪玉で、通行人を襲撃したガキどもを平伏させていた。
二度とこんな遊びはするなと脅迫――もとい、説教を締めくくった悠里を羨望の眼差しで見送るガキども。いやぁ、もう、俺でも惚れ惚れするほどの男らしさですね、まったく。
まぁ、その件に関してはとりあえず、その後、彼女が近所のガキから姐御と呼ばれるようになったことだけ記述しておく。
再び歩き始めた通学路。ふたりして濡れた手をハンカチで拭いながら。
「――あ。お前さ、原稿受け取るだけならすぐ終わるよな?」
唐突に訊ねられ、そう言えばさっきの話が途中だったことに気付いた。
「あ? まぁな」
「じゃあさ、ちょっと協力しろよ」
「……何に」
「客の頭数。合唱部のクリスマスコンサート」
「あぁ、なるほど。塔崎(とうざき)から呼び出しか」
納得した。そう言えば小さなポスターがいくつか廊下に貼ってあったっけ。光塔館(我が校)が誇る弱小合唱部の恒例クリスマスコンサート。合唱部員でもあるクラスメイト・塔崎洸香(ひろか)が「休みに入ってからやるもんで客が少ないのよね」とかぼやいていたのを思い出す。
「ってか、アイツいくつ兼部してんの? 珠算部と吹奏楽部にも入ってなかったか?」
「いくつだろうな。私の知ってる限りでは茶道部と華道部にも入ってるよ、確か」
「どうせなら文芸部にも入ってくんねぇかな……俺辞めたい」
俺のセリフに笑いながら、彼女は外していた手袋をコートのポケットから引っ張り出した。
――……!?
手袋に覆われる寸前、ふと目に入った彼女の手にぎょっとする。
左手の中指、雪の光を反射して銀色に輝くそれは、――どこをどう見ても指輪で。
思わず、その手首を取った。傷のないシルバーリング。本当に輪っかだけのシンプルなデザインで、それでもそこそこ質は良さそうに見える。
俺の唐突な行動に驚き、一瞬訝しげな顔をした彼女は、俺の視線がどこにあるかを悟ると、少し恥ずかしそうに笑った。
「――……これ、昨日もらったヤツ。似合わないよな」
*
原稿を受け取ってから、連れて行かれたコンサート会場は校舎最上階のホール。客は俺たちの他に二十人ほどで、ホールは確かにガラガラではあるものの思ったよりも多かった。
ジングルベルや赤鼻のトナカイなんかのメドレーから、アカペラのJoy to the World、Deck the Halls。
なかなか悪くない歌声の中、時折、傍らに座る彼女の方を伺う。
目を閉じて、眠っているんじゃないかと思うほど静かに耳を傾けている悠里。
膝に置かれた左手には、やっぱり指輪が静かな光を放っていた。
正直言って、本当に似合わない。
――意外。そんな物好きがいたなんてなぁ。
*
計画は面白いほどに成果を上げた。
恐ろしいほどの客が訪れ、クリスマスマフィンは二日とも閉店時間を待たずに完売。
「すごいわねぇ。やっぱり若い男の子がいると違うのかしら。来年もお願いしたいわね」
店先に出るどころか、レジから身動きすら出来ないような大繁盛ぶりに、俺のしたことを知らない奥さんは目を丸くしてそう言った。
「母親の許可が降りれば、是非」
人の多さにマフィンが売り切れた後も結局手伝わざるを得なくなり、やっと客足が途切れたと思ったら七時を回っていて。ショーケースの中にはほとんど何も残っていなかった。
「じゃあ、俺もうあがらせてもらいますね」
「うん。あ、いや、ちょっとだけ待ってて」
何かを思い出したように奥へ引っ込む奥さんの言葉に従い、俺はレジの椅子に腰掛けてぼんやり天井を見上げていた。
母親の下以外でまともに働いたのも客商売も初めてで、こういうのを緊張の糸が切れたというのか。怒濤の二日間だった。
「ふ――……」
目を閉じて、静かに長いため息を吐く。
ふいに、店の外に気配を感じた。
カラン、と可愛らしい音を立てて開いた扉の向こう――
「……何やってんの? お前」
財布を手にポカンとこちらを見ている永沢悠里(お客様)へ、
「いらっしゃいませ」
にっこりとそつのない営業スマイルを向ける。
「お前がここでバイト? 似合わなすぎだな」
「昨日と今日だけだけどな。なんにする? つっても、もうほとんど残ってないけど」
ショーケースを示す俺に、彼女は目を丸くする。
「マフィンも完売?」
「あぁ、それが一番。三時頃だっけな?」
「毎年残ってるのに……やっぱりかぁ」
残念そうに眉を下げる仕草。
「二十五日って数少ないよな。毎年お昼過ぎに完売してるし。今年はもう無理か……」
この三日間限定のクリスマスマフィン。毎年同じ数だけ作っていて、三日目だけは二日分の売れ残りを考慮してかなり数を減らしてある。そのことを知っている彼女はどうやら古参のファンだったらしい。
ほんの少し、罪悪感が胸を刺す。だって俺が何もしていなければ、彼女はおそらく今この瞬間、目的のマフィンにありついていただろうから。
「……シフォンとアーモンドタルトならいくつかあるけど、どうする?」
「じゃあ、せっかくだしそれ。ふたつずつ」
「はい、じゃあ、千百円」
保冷剤と一緒にケーキを箱に詰めていると、
「ごめんごめん。お待たせ、藤原くん」
慌てたような声が後ろから聞こえてきた。
パタパタと店に戻ってきた奥さんは客がいるのを見て一旦口をつぐみ、
「あ、いいですよ。知り合いですから」
俺を指差す悠里の言葉に表情を崩した。
「これね、藤原さんから頼まれてたの。家族分、持って帰って。お代は要らないから」
お疲れ様、ありがとうね。明日にはお給料用意しておくから。
そう言って、差し出された紙袋を受け取った俺に、二日間だけの雇い主はとても満足そうに微笑んでくれた。
悠里と共に店を出て、帰路につく。
「寒……、これ雪降るかな」
手袋を忘れたらしく、指先に息を吐きかけながら。身を縮めて空を見上げる彼女がそう呟いた。
「……かもな。嫌だ嫌だ」
「なんで? いいじゃん、ホワイトクリスマス」
「寒いだけだろ。……ってか、お前ってロマンチック風味な言葉、ホント似合わねぇな」
「ぅわ、ムカつく」
そう、絶望的に色気のない彼女。
でも、まぁ、それこそが彼女らしい気もするし。
「ま、いいんじゃね? やっぱ色気より食い気だろ」
ハイ。
笑いを堪えながら、ふくれっ面に差し出してやる。
「え? これ……」
彼女の手のひらにちょこんと乗ったのは、可愛らしい包装のクリスマスマフィン。
「さっき渡されたヤツ。俺の身柄と引き替えに、確保してあったんだと」
予約不可商品なのにずるいよな、と続けて、笑ってやる。
「もらっていいの?」
「いいよ。俺もう食ったし。十日前に」
自分の罪悪感をごまかすように、彼女の頭に手を載せて。
「メリークリスマス。有り難く食え」
恩着せがましいセリフに、彼女はほんのわずかに笑みを浮かべた。
そうだ。あの時は確かに。
――彼女の指に、指輪なんてなかったはずだ。
*
「じゃあ俺、店寄っていくから」
「あ、私も行く。もしかしたら残ってるかもしれないし」
あるわけねぇだろ。昨日の一個じゃ食い足りないのか。
往生際の悪い少女に、心の中で毒づく。
この販促計画、誰が立てたと思ってんだ。売れ残り必至のマフィンが両日早々に完売だぞ? 数も少ない三日目(今日)に残ってるわけないだろうが。
かといってそれを口に出したところで、「行ってみなきゃわかんないだろ」と意地になるのは目に見えていたので、俺は彼女がついてくるのを止めはしなかった。
……あと正直なところ、もう少し彼女と一緒にいて、指輪を与えたその物好きのことを何かしら聞き出したいと思っていたのも、否定出来ない事実なのだけど。
カラン、と音を立てるドアをふたりでくぐる。
店には誰もおらず、閑散としていた。ショーケースには完売のプレートが並んでいて、一見で何も残っていないのだとわかる。
ドアベルの音を聞きつけ、奥の部屋から近づいてくる慌てた足音。
「あ、藤原くん。ちょっと待ってね」
覗いた顔はこちらを確認すると一旦引っ込んで、すぐまた戻ってきた。手には簡素な給料袋。中身は約束の二万よりも多い。
「条件外で随分手伝ってもらっちゃったから、色つけといたの。こんなに繁盛したのも君のおかげだからね」
にっこりと笑う奥さんに、こちらも儀礼的な笑みを返す。
「まだ早いのにもう全部完売ですか?」
「おかげさまでね」
「……それじゃ、俺はこれで。これからも繁盛を祈ってますよ」
一礼し、くるりと引き返す俺の背中に、
「――でさ、誰に当たったの? 指輪」
雇い主からそんな言葉が投げ掛けられた。
「っ!?」
弾かれたように振り返る俺に向かって、カプリチオの性悪狸はニヤリと笑う。
「……っ、知ってたんですか」
「まぁね。食品衛生の面からは反則だけどなかなかいい話題作りだわ。『クリスマスプディングの代わりにカプリチオのクリスマスマフィンはいかが? どれかひとつにこっそり指輪が入ってるんだって』。真偽は確かめようがないし、やっぱり夢があるよね。……でも、出来れば保健所からの電話は受けたくなかったなぁ」
ピクリと顔色を変えた俺に向かって、くすくすと笑い出す。
「……すみません。噂流した時にはそこまで広まるとは思わなかった」
「結果オーライよ。それはもういいからさ、質問に答えてよ」
「――質問?」
意味がわからなかった。質問? 俺、今なんの話をしてたっけ?
記憶を辿る。今日した会話の中で質問らしい質問なんて……
『――でさ、誰に当たったの?』
――……!
とっさに悠里を振り返る。俺に向けられた苦い笑い。
まさかあの質問は、俺の流した嘘を揶揄したものじゃなくて。
「……あ――、俺です」
「あっはっは、よかった。狙い通り」
俺の流した噂を知ったこの人は、こっそり本当に指輪を仕込んでいたのだ。――売り物として扱われない、藤原家用のマフィンのひとつに。
「藤原くん、来年もお願い出来る?」
「また保健所からラブコールされてもいいのなら、喜んでね」
*
店を出た直後、少女の左手に輝く銀色に、ため息が漏れた。
どこか安心したような、つまらなさに落胆したような、不思議な心境。
「――俺か、お前に指輪やった物好き」
「……わかってんだと思ってた」
呟く声に、今朝の言葉が蘇る。
『これ、昨日もらったヤツ』
なるほど。確かにそう取れないことはない。
あれは誰かにもらった指輪だと説明する言葉じゃなく、指輪なんて柄にない彼女が言葉少なにした当選の報告。照れ笑いながら言った、とても控えめな礼だったのだ。
……残念ながら、全然、さっぱり気が付かなかったけれど。
そりゃそうだろ? 指輪が入っている可能性がゼロだと確信を持って言えたのは、この町で唯一、噂を流した張本人である俺だけだったんだから。
「似合わないのはわかってるけど、せっかくだから今日一日くらいはつけとこうかなってさ」
幸せになれるらしいから。
そんなことを言いながら、彼女は左手を太陽にかざす。
風は相変わらず冷たいけれど、雪はもう随分溶けている。
ぬかるんだ道を歩きながら、眩しげに指輪を見つめる彼女の横で。
俺はわずかに舌打ちをした。
――クソ。
気に入らない。
情報操作したはずの俺が、結果的にひとり踊らされてたって事実が。
傍らの穏やかな微笑みを、――ぶち壊してやりたくなるほどに。
* * *
クスリと。
今、確かに、吐息のような笑みが隣の男からこぼれた。
気になって、チラリと流し見ると、
「ずっとつけとけ。よかったな。これで心配しなくて済む」
どこか笑いを含んだような声で、そんなことを言われる。
意味がわからない。
「……あ? 心配?」
見下ろしてくる目は、明らかに嘲笑している。
「お前さ、『幸せになれる』ってどういうコトかわかってる?」
「は?」
なんて居心地が悪い空間。私だけが正解をわからずにいる。『幸せになれる』がどういうコトか?言葉のままの意味以外に何が?
眉を寄せっぱなしの私に、公隆はにっこりと微笑んで、
「おめでとう」
細めたままの目で、告げた。
「――早く結婚出来るらしいぜ? よかったな、チチなし」
振り下ろした拳は予想通りとばかりにあっさりとかわされ、少年は笑いながら濡れた道を駆け出す。
「っ、余計なお世話だ!」
際限なく拡がる青空の下。
指から抜いた銀色は、太陽の光を浴びて白く輝きながら、公隆の頭に命中した。