「城ノ内探偵事務所」カテゴリー
『情報を制する者は世界を制す』
世界はどうだか知らないが、この街を制しているのは──きっと『彼』だ。
企業秘密だけどね
――あかりちゃん、僕は友達が多いんだよ
ちょっと変わった探偵城ノ内と事務員あかりのドタバタ調査録。
小説家になろう と pixiv でも公開中ですが、こちらでも公開しました。
城ノ内公開
2014/10/02 00:01 □ 城ノ内探偵事務所, 日記
今さら感がありますが、小説家になろうとpixivで公開中の「城ノ内探偵事務所」本編をここでも公開します。敢えて急ぐ必要もないと思うので、ぼちぼち追加の予定。
で、その他公開してるものがバラけてる感じがするのである程度の統一を図る感じで、
・小説家になろう に「夢見る」収録の全編追加予定
(pixivでは烏楽アカウントで既に公開中)
・CANDY×GAMEシリーズもここと小説家になろう/pixivに追加予定
(「黄泉がえり。」と特設で公開してる分)
ある程度自分の書いたものをまとめて見られるところがあってもいいかな、と思ったもんで。
大抵本にしちゃってて本にしたものはあんまり公開してないので中途半端感は否めませんけども。
光塔館異人録も、こことpixivで試し読みくらい公開しようかなぁ。HappyReadingの投稿分くらい。三話構成の一話全部公開してもいいけどそれって本の半分以上だしなぁ……。
#01 Prologue
2014/10/02 00:09 □ 城ノ内探偵事務所
「どうも初めまして。当事務所所長の城ノ内です。どうぞ、かけてください」
机の向こうで椅子に腰掛けた男が、にこやかに笑いながら着席を促す。
「はい、失礼致します」
五月のある晴れた日。私が訪れたのは郊外にある雑居ビルの一室。
応接スペースは別にあるようだったが、通されたのは部屋のど真ん中だった。
その事務所は陽当たりが悪く、真っ昼間であるにも関わらず薄暗い。おかげで窓を背にした相手と向き合っていても、ほんのり後光が差している程度で特に眩しくはなかった。
所長と名乗ったその男をほんの数秒だけ観察する。見た目はずいぶんと若い。年齢は二十八と聞いていたが、もう少し若く、いや、幼く見える。片側だけ掻き上げた髪型に、外見年齢を上げようという努力が見えるけれど、それでも十代と言ってもギリギリ通用してしまうくらい。
「えーと、園田あかりさん。年齢は二十三歳、と。……緊張してます?」
机に置かれた履歴書はたった今、私が渡したもの。そこに書かれた名前を読み上げ、男はちらりとこちらを流し見る。
その一瞬の視線に、すべてを見透かされているような錯覚を覚え、身体が跳ねた。
「っ、はい。少し」
少し? どこが? 心の中で自分が自分を嘲笑う。心臓の音がうるさい。
とっさに胸にやった手が震えているのに気付いて、思わず苦笑しそうになった時。
「別に、取って食いやしませんよ」
くすりと、目の前の男が笑った。
「……っ」
予想以上に子供っぽい笑い方。整った顔立ちも相まって、私の心臓は一度だけ、違う種類の音を立てた。
病的に見えるほどに白い肌。色素が薄いのか、髪も染めているわけではなさそうなのに真っ黒ではなく、わずかに茶色がかっている。美少年や美青年というよりは中性的な容姿。スカート穿いてカツラでも被ればそれだけで十分女の子に見えるだろう。
くすくすと笑う声が、緊張に拍車をかける。
踏み込んではいけないところへ来てしまったような気になってくる――
「で、いつから来られるんですか?」
「……えっ?」
突然の質問に、ハッと我に返る。思わず素っ頓狂な声が出て、また笑われた。
「採用すると言ってるんです。うちの事務員募集に応募してきたんでしょう?」
「え、でも、私まだ何も聞かれてませんが」
「経歴は履歴書もらったし。派遣で事務やってたんでしょ? じゃあ問題ないよ。人となりは見りゃわかる」
「……はぁ」
「僕は、あなたを信頼出来る人間と判断しました」
まっすぐにこちらの目を見て、そんなことを言う。何か問題ありますか? と笑って。
その笑顔に、心の奥底がずきりと痛んだ。
――やめて。
「私はいつでも……明日からでも、今日からでも構いません。所長の指示に従います」
「んー、じゃあ明日からにしよっか。片づけて机も用意しておくから」
不思議なくらい楽しそうな話し方に、はい、と短く答える。
「それから、僕のことは名前で呼んでください。所長ではなくて」
「はい。えっと、城ノ内さん」
「ん、OK。僕と君しかいない事務所で所長とか呼ばれるの滑稽だと思うんだよね」
「そうですか?」
「うん。それに僕は堅苦しいの苦手だから。園田さんはそういうのきっちりしたいタイプ?」
いつの間にか、彼は口調を変えていた。親しみを込めて、――馴れ馴れしく。
自分より年上なのに、まるで弟のよう。
人懐っこいその笑顔が、誰からも愛されてきた人生を体現しているようで、少し息が苦しくなる。
「…………園田さん?」
名前を呼ばれ、またハッとする。
「あ、えっ、と」
取り繕うように、こちらも笑顔を作って。
――いけない。ちゃんとしないと。
あっさり採用が決まったとはいえ、彼と上手くやれなければ元も子もない。
「……いいえ。出来れば名前で呼んでほしいです。苗字でなく、名前で」
私の回答にきょとんとした顔が、数秒かけてまた笑顔に変わる。今度は先ほどとはまた違う、困ったような笑い方だった。
「OK。なんかセクハラっぽいけど、本人が望むなら問題ないよね」
そんな彼の言葉を、沈黙のまま、笑顔で肯定する。
「ようこそ、城ノ内探偵事務所へ。末永く、よろしく頼むね。あかりちゃん」
差し出された手を、握り返す。色々なものを振り払うように、精一杯力強く。
「はい!」
時間にしてコーヒー一杯分の世間話をした後、明日からの上司に見送られ、私は事務所を後にした。
建物の外に出て、一度、事務所の窓を見上げる。
城ノ内探偵事務所。
明日から私の職場になるその場所は、外から見てもやっぱり陽当たりが悪かった。
#02 事務員
2014/10/03 00:46 □ 城ノ内探偵事務所
事務といっても色々ある。たったふたりの事務所で、新人に金勘定を任すことはないだろうという程度の予測はしていたが、正直一体何をするのか、さっぱり想像がつかなかった。
五月十四日、朝九時十五分。事務所の前に到着し、軽く深呼吸。
ノックは三回。どうぞーという、朝っぱらから間延びした声に導かれ、ドアを開けた。
「おはようございます」
「おはよう。あ、ごめん。暗いね。電気つけてくれる?」
「あ、はい」
振り返って照明のスイッチを入れながら、これが初めての仕事か、なんて少し笑ってみる。
「席はそこね。いくらふたりでもあんまり近いと息苦しいでしょ?」
彼はそう言って、自分の机から二メートルほど離れた机を指差した。
たったそれだけの距離でも、窓を背にした彼の席と比べると、こちらの席は確かに手元が薄暗い。電気をつけさせたのは雇用主として正解だった。
鞄を傍らに置き、指示された場所に着席する。机の向きが九十度ずらしてあることもあり、まっすぐに前を向くと、彼は視界に入らない。目の前には、ただ一台のノートパソコンが鎮座していた。
「それで、私は何をすればいいんでしょう?」
「うーん、色々あるんだけどね。まずは……あかりちゃん、文書のレイアウトとか得意?」
「レイアウト?」
「そう。ビジネス文書とか、見やすいように体裁整える感じの」
「……まぁ、人並みには出来ると思いますけど」
「じゃあ悪いけど、このUSBの中身のテキストと画像、見やすいようにしてくれる? 出来れば今日中に」
何故か困ったような顔で笑いながら、彼がUSBメモリを手渡してくる。
「あと、今日は一時に依頼人が来る予定だから、来たらお茶出してあげてほしい」
「はい」
なんだ、簡単な仕事でよかった。ホッとしながら、ひとつめのテキストファイルを開く。
――それが、地獄の始まりだった。
*
昼休憩も終わり、窓の外も午後の陽射しに変わってくる。相変わらず、照明は落とせないけれど。
静かな部屋の中で、自分がキーを叩く音が断続的に響いていた。
まっすぐに、本当の真正面に頭を固定していれば見えることはなくとも、ほんのわずかでも右を向けば見えてしまう位置関係。今は何よりそれが悔しい。いっそこの上司の席が自分の真後ろだったなら、悠々と携帯を眺めている彼の姿が視界に入って苛立つこともなかったろうに。
仕事なんだから仕方ない。そんなことはわかっている。
大所帯でもあるまいにわざわざ「事務員」を募集した理由も、なんとなくわかった。
「あかりちゃん?」
「何でしょうか」
パソコンの画面から目を離さないまま答える。その言葉が不機嫌なオーラを纏っているのに気付いたのか、彼は言いかけた本来の言葉を呑み込んだ。
「……コーヒー飲まない?」
「嫌いです。昨日は我慢して飲みましたけど」
「……じゃあ紅茶は? この前茶葉もらったんだ。淹れるよ」
「それならいただきます」
「牛乳要る?」
「精神状態的には必要です。牛乳だけでもいいくらいかもしれません」
「……了解。牛乳多めで」
――あぁ、駄目だ。イライラする。
テキストファイルの一行一行、文章を追うごとに、腹のあたりに何かが溜まっていく気がする。
十数分後、キッチンスペースのドアから上司が顔を出した頃、苛立ちは頂点に差し掛かっていた。
「城ノ内さん」
ミルクティの波打つカップをこちらに差し出してくれた上司へ、静かに声を掛ける。
「はいっ?」
非常に動揺した表情と、裏返った声が返ってきた。
「これはレイアウトの作業じゃありません。仕事の指示は正確な言葉でお願いします」
「……はい。えっと、……『原稿直し』ですか。ごめんなさい」
「原稿直し!? 暗号解読の間違いでしょう!! 何ですか『ちゅおsたいそうhさ』って!」
「あぁ、多分、『調査対象者』の打ち間違い、かな?」
「打ち間違いかな、じゃねぇ! こんなのが何ヶ所あるんだよ!! 読みにくいどころの話じゃない
わ!! 携帯ばっかいじってるなら携帯で打て! そっちのほうが絶対マシだろうが――!!」
「め、名案だね。あかりちゃん? とりあえず落ち着いて?」
引きつった笑顔で、私の顔の前で下を指差す上司。
自分の視線がゆっくりと彼の指先を辿り、紅茶のカップに行き着くと同時、
「─」
我に返る。
自分が発した音が、耳に残っている。夢でも、気のせいでもない。
急速に、色んなところがしぼんでいく気がした。
――あぁ、やっちゃった。
手が震える。まさか初日で本性さらけ出してしまうとは。
青ざめていく私に笑いかけて、上司は言った。
「まぁ、飲んで。淹れ方は悪くないと思うんだけどね」
「……いただきます」
両手でカップを持ち、ふー、と静かに息を吹きかける。
――クビだな。仕方ないか。結局縁がなかったってことだね。
まぁ、もうどうでもいいや。この事務所に来て、最初で最後の晩餐がこの紅茶。水面を眺めながら、ゆっくりとひとくち、のどに通す。
「…………」
チャイの淹れ方だろうか。確かに牛乳が多いし、甘い。でも、とても落ち着く味だった。
色々な感慨も混じってぼんやりとしていると、傍らの椅子に腰掛けた上司も自分のカップに口を付けた。
「友達にもらったんだ。ダージリンだって。紅茶は詳しくないんだけど、悪くないね」
「……はい」
「君の口にあってればいいんだけど」
今時珍しい壁のボンボン時計が、時を知らせる。依頼人が来ると言っていた時間だ。
時計をちらりと見やって、彼は一気に紅茶を飲み干す。猫舌で真似は出来ないけれど、私もあとひとくちだけ口に含み、カップを置いて立ち上がった。
「美味しかったですよ」
言いながら、先ほど彼が出入りしていたキッチンスペースを確認する。
せめて、お茶くみくらいは無難にこなしたい。――これが最後の仕事になるかもしれないんだから。
「ごちそうさまでした。でも、これ多分ニルギリです」
そんな言葉に一瞬驚いた顔をして、
「へぇ。じゃあ、友達に言っとくよ」
上司は笑いながら、ばさりと上着に腕を通した。
#03 家出人調査
2014/10/03 00:50 □ 城ノ内探偵事務所
息子を探してほしい、と、その婦人は言った。
「一ヶ月前に探すなというようなメモを残して居なくなったんですけど、どこにいるのかわからなくて。週一くらいでどうでもいいような連絡があるので、生きてるのは確かなんですけど……」
事務所内の一角、パーティションで囲っただけの応接スペース。
お茶を出して自席に引っ込もうとした私を、上司が引き止めた。腕を掴まれ、視線とわずかな顎の動きで傍らの椅子に座るよう指示される。
「…………」
いや、別にいいけどさ。あの暗号解読今日中じゃなかったっけ?
「おそらく意図的でしょうね。敢えて定期的に連絡を入れている。ただの家出で特に事件に巻き込まれているわけじゃないなら、警察の動きは鈍いでしょうから。家出の前、息子さんと何かありました?」
「お恥ずかしいことですが、学校の成績のことで、少し叱りました。それがきっかけで、大喧嘩になりました。他の子と比べて小遣いが少ないことも不満だったようで……」
「なるほど」
軽く頷きながら、テーブルに置かれた写真を手に取る上司。
「お願いします。まだ十七歳なんです」
憔悴した様子で、婦人が頭を下げる。
ここへ来るまで一ヶ月。今まで普通に生きてきた人にとって、探偵事務所なんて気軽に来られる場所じゃない。
もし自分だったら、と考える。親戚や友人関係、心当たりはすべてあたって、警察にだって足を運んで。おそらく、ここに来るのは最後の手段。
信用出来るのかどうかもわからない、探偵なんていう肩書きの胡散臭い相手に、ただ頭を下げ続ける姿に、心が痛む。その場に居るだけの立場上、顔を上げてくださいとも言えず、それでもはやく、何か声を掛けてあげてほしくて、私はちらりと隣の探偵を窺った。
「……っ」
そこにあったのは、目の前のつむじに対する、蔑むような笑み。
こちらの視線に気がつくと、上司は質を変えた笑みをこちらに向け、そしてまた何事もなかったかのように、先ほどまでの営業スマイルで婦人に向き直る。
「吉岡さん、顔を上げてください」
不安げに体勢を元に戻す婦人をまっすぐに見据え、
「ひとつ、お聞きします」
口調はとても優しいのに、その声はどこか冷めた色をしていた。
「あなたは息子さんを連れ戻したいですか? それとも息子さんに帰ってきてほしいですか?」
「え、……え?」
「言葉通りの意味です。前者なら、居所がわかれば報告します。連れ戻すなりなんなりご自由に。後者なら、自主的に帰るように仕向けます」
「……そんなことが、出来るんですか」
「後者の場合も、居場所がわかった段階で同じく報告はします。でも、決して何もしないでください。約束出来ますか?」
彼の顔から笑みは消え、口調は強くなっていく。怖い、と思えるほど。
「着手金が十万。成功報酬が三十万の締めて四十万、ってところですかね。おそらく、それほど時間はかからないでしょう」
そんなセリフをあっさりと言い退けて、
「どうされますか?」
「…………ぁ、」
呆然と、探偵を見つめる依頼人。戸惑い、そして目の前にあるのが、希望なのか、それともそれ以外の何かなのか、測りかねている表情。
「吉岡さん?」
「え、あ……お、お願いします」
うわずった返答。婦人は慌てたようにその場で鞄を開き、震える手で着手金を差し出してきた。
私に受け取るよう顎で指示すると、上司は再度、営業スマイルを作る。
「承りました。どうぞご自宅で息子さんのお帰りをお待ちください」
*
「……はぁ」
何度目かのため息に、上司が笑う。
「どうしたの? さっきから」
「なんだか疲れました」
「あはは、緊張した? 駄目だよ、あれくらいで」
「だってなんか深刻すぎて」
私の言葉に上司が苦笑する。
「こんなとこに来る人はみんな深刻だよ。……ほとんどね」
「……そっか、そうですよね」
自分の考えが甘かったことに気付く。どんな人がここに辿りつくのか、先ほど考えたばかりだったのに。
ここに居れば、他人の深刻な人生と、嫌でも向き合うことになるのだろう。――まぁ、あくまでここに居ればの話だけれど。
「あかりちゃん、それ今日中に終わりそう? 終わらなかったら無理しなくていいよ?」
「いえ、終わらせます」
せめて任された仕事くらいは終わらせないと、いくら一日でクビになった人間といっても、いったい何のために雇われたのかわからない。
「別に、明日でいいのに」
机に肘をついて顎をのせ、ポツリと零した上司のセリフは、狭い室内に、やけに響いた。
「…………あし、た?」
「うん。明日の夜に渡す予定だから、その報告書」
「いや、えっと、」
「ん?」
「……私、明日も来ていいんですか?」
「えっ? 来られないの?」
「いえ、そうじゃなくて」
「??」
私の言いたいことは理解不能らしく、肘をつくのをやめた彼は眉間に皺を寄せて首を傾げている。
「だって私、あんな醜態晒してしまって、その」
思わずうつむいてしまう。言葉が上手く出てこない。
「あぁ! って、え? そんなこと気にしてるの?」
立ち上がり、こちらの席に近づいてくる上司の気配。
「……気にしてます」
「あんなのでクビにするわけないでしょ。やっと来てくれた事務員さんなのに」
「初日でヒス起こすろくでもない事務員でも?」
事務椅子を少し回して、恐る恐る、彼を見上げた。
「まぁ、あれは怖かったね」
冗談っぽく身を縮め、上司が笑う。それが恥ずかしくて、思わずまたうつむいてしまった。今この場に穴があったら泥水で満たされていようと喜んでダイブする、絶対。
「だから、これからは怒られないように注意するよ」
「……っ」
優しい声とともに、後頭部に置かれた手の重みが、くしゃりとわずかに髪を乱す。
「あぁ、ごめん。これもセクハラかな」
すぐさま離れていった手のひらの余韻を消すために、髪を直す振りして頭に手をやった。
再び顔を上げた私に上司がまた笑う。
「末永くよろしくって言ったでしょ? もちろん、君が嫌なら別だけど」
ごめんなさいとか、ありがとうとか、言わなきゃいけない言葉は一杯あるはずなのに、その時の私は、首を横に振るのが精一杯だった。
*
五月十七日、午後二時十五分。
「あ、はい。少々お待ちくださいませ」
事務所の電話に出ると、相手は聞き覚えのある声だった。
「城ノ内さん、吉岡さんからお電話です」
「はいはい。思ったより早かったね」
そんなことを言いながらこちらに近づき、受話器を受け取ると、上司はにこやかに電話の向こうと話し始めた。
「…………」
思わず、上司の腰を叩く。軽く、二回。振り向いた上司は椅子に座った私が自分を睨み上げているのに気付いて、あっ、という顔をした。そして、片手で拝むような仕草をして、慌てて身体の位置を変える。
ひとつしかない電話機が私の机にあるため、上司の電話中は邪魔で仕方ない。机の向こう側に回ってくれれば問題はないのに、と、毎回苦情を訴えているのだが今のところ最初から向こう側に行ってくれたことはなかった。
「あぁ、はい。それはよかったです」
無事ノートパソコンの正面に戻ることが出来た私は、目の前の上司の会話を気にしつつも、報告書レイアウトの続きを始める。元になるテキストは、二日目の出勤時にもらったメールアドレスに上司から送られてきたもの。
『あかりちゃんのアカウント取ったから、テキストはそこに送るね』
初日のヒスの原因は、私が口走った方法であっさりと解決された。携帯で入力されたテキストは前に比べれば格段に誤字が少なく、読みやすいものだった。いくら改行がいい加減でも、句読点がすっ飛んでいても、予測変換で漢字や接続詞がとんでもないものになっていても、アレと比べれば天と地の差だ。
「では、振込用紙を……え、来られるんですか? 今日? あぁ、はい。構いませんが」
ちらりと上司を見る。どうやら、任務完了のようだ。
吉岡孝太の行方調査報告書、というよりは単に住所をふたつ並べただけの書類を作成したのは、五月十五日――つまり、吉岡夫人がこの事務所に来た翌日の朝のことだった。
朝、出勤した私に、携帯を眺めながら、上司は言った。
『あかりちゃん、吉岡さんの件でメール送ってるから。昨日の置いといて、こっち先にお願い。すぐ出来ると思うから』
寝起きのようなぼんやりした口調で、あくびをしながら。開いたメールには住所がふたつ。住んでいる場所と、働いている店の住所。おそらく年齢を偽って働いているのだろう。店名を見る限り、あまり健全ではなさそうだ。
『って、もうわかったんですか!? 昨日の今日で!?』
大都会というほどではないにせよ、この街もそれなりに栄えてはいる。
人ひとり見つけ出すのはそう簡単ではないはずなのに、この短時間でやってのけたというのか。
『まぁね。見たことある顔だったし』
驚く私に軽く笑い、上司は指示を追加した。
『あの奥さんちょっと心配だから、一切の行動を慎めって書いといて。これからの計画邪魔されても困るから』
ご家族の行動により任務が失敗に終わった場合、一切の責任は負えません。そんな一文が効いたのか、吉岡夫人は探偵の指示に素直に従ったらしい。
「はい、では、お待ちしております」
上司は受話器を置くと、今さら視線に気付いたのか、こちらに笑顔を向ける。
「近くに居るみたい。お金、これから持ってくるってさ」
「…………はい」
「何か聞きたそうな顔してるね」
「はい、まぁ」
「いいよ、聞いて。答えるかはわからないけど」
「じゃあ、遠慮無く」
「どうぞ」
「どうやって説得したんです?」
「説得?」
「吉岡さんの息子さんです。家に戻られたっていう電話だったんでしょう?」
「うん」
「家出少年って、どう言ったら素直に帰るのかなって」
「……説得なんかしてないんだよ」
「してない?」
私に話していいかどうか悩んだのか、少しの沈黙の後、上司は口を開いた。
「あかりちゃんさ。例えば自分だったら、家出して身分隠して働いててさ。ある時何故か周りの人に『家に帰れ』って言われるようになったらどう思う? 同僚にも、事情も何も知らないはずの初対面の赤の他人からも同じこと言われるの。それもひとりやふたりじゃない、会う人会う人みんなから」
「…………」
「僕なら気持ち悪くなって引きこもるかもね。でも、彼は引きこもろうにも同僚の家に居候してた。そりゃそうだよね。賃貸契約には住民票が要る。未成年なのはすぐにわかるし、未成年がひとりで契約なんてどこも受け入れてくれない。そもそも親から捜索願が出されてるかもしれないのに、のこのこ役所に住民票取りに行ったり出来るわけない。で、その同僚にももちろん例のセリフを言われてしまう」
「……だから、」
「そ。帰ってくるしかなかったんだよ」
「…………」
「彼が早めに帰ってきてくれてよかった。もうちょっとしぶとかったら店長に全部バラしてクビにしてもらうしかなかったからね。穏便に済んで万々歳だ」
「…………」
「呆れた?」
こちらの反応に苦笑しながら、上司が頭を掻く。
「いえ、そういうわけでは」
思わず首を小さく横に振る。
「でも、そんな芸当どうやって――」
言葉の途中、ドアの方からノックの音が聞こえてきた。
「はーい。あかりちゃん、お茶お願い出来るかな?」
「あ、はい!」
慌ててキッチンスペースへ走る。その背中に声が掛けられた。
「先にその質問に答えとくよ」
「……え?」
振り返ると、上司はいつもの笑顔のまま、こう言った。
「企業秘密だけどね――あかりちゃん、僕は友達が多いんだよ」
#04 真相
2014/10/04 00:31 □ 城ノ内探偵事務所
浮気調査に人探し、信用調査。小さな事務所の割りに、調査依頼はコンスタントに入ってきた。
だからその違和感に気付くのに、それほど時間はかからなかった。
*
五月二十日。初めてこの事務所を訪れてから一週間。報告書の作成も大分慣れてきた。上司のテキストは相変わらず、たまにフェイントのようなとんでもない間違いが潜んでいるから油断は出来ないけれど。
依頼の中で一番多いのは、意外にも従業員の素行調査だった。
「城ノ内さん、この西原(にしはら)ってどういう会社なんですか?」
「ん? 別に普通の会社だよ。医薬品の卸関係だったかな?」
「……なんでこんなに素行調査が多いんです?」
そこまで大きな会社でもなさそうなのに、調査対象はこの一週間で三人。これから手を付ける報告書に記載する調査結果は三人とも、『サボりの常習犯』だった。
「まぁ、お得意さんだから多少は安くしてあげてるけど、あんまり性質の良い会社じゃないのは確かだね」
「まさか、いつもこんな状態なんですか?」
「いや、今回はちょっとお祭りがあったから集中したんだろうね」
「お祭り?」
そんなものあったか? 思わず眉を寄せる私に、上司が苦笑する。
「そ。パチンコ屋のね」
「……なるほど」
報告書を見返すと、確かに三人とも同じ日にパチンコ屋へ長時間居座っている。
「社長も大変ですね。こんなに不良社員ばっかりだと」
「はは、違う違う。あそこの社長はわざとそういうのばっかり採用してるんだよ」
「は?」
「素行は悪いけど営業成績はそこそこの人間拾ってきて泳がせるの。サボりの証拠を掴んだら、ペナルティの名目で給料は最低賃金まで引き下げ。職務怠慢の損害賠償と、うちの調査費用は問題の社員が借金として会社に返済していくことになる。おそらく調査費用も水増ししてるだろうけどね」
「……性質の悪さはどっちもどっちってことですか」
「まぁね。生まれ変わったみたいに本当に真面目に働いてた人もいるけど」
「その場合は調査費用無駄ってことですか? そんなリスク負ってまでよく……」
「他で取り返せるだろうし、元不良社員たちが頑張って業績も上がってるみたいだからそのくらいは痛くも痒くもないんじゃない? それにあの社長、腐っても『西園』の遠縁らしいしね」
「…………あー、」
同族経営の会社が強いこの街にはいくつかの勢力がある。上司の口にした名前はそのうちのひとつ。――第二勢力『西園』。西原の名は聞いたことがないけれど、聞き慣れたそれの遠縁であるなら、金の使い方にも納得出来る。そして、その性質の悪さにも。
「ま、僕もあんまり関わりたくはないんだけどね」
「……いいんじゃないですか? 仕事なんですから。仕事にもお金にも貴賎はありませんし」
納得のいったところで、仕事に戻る。まぁね、と、少し意外そうな顔で、上司が笑った。
*
「『五月十七日、午後二時二十分。調査対象者が[PC空間]入店』……住所は御影市林田三丁目十五番地……現場の写真は5番、と」
調査対象者は西原の従業員のひとり。5番の写真には駅前のネットカフェが写っていた。看板に光が反射して店名が少し欠けている。パチンコ屋のイベント日以外は主にこの店で時間を過ごしていたらしい。
画像はすべてL判でも印刷しているけれど、書類にもわかりやすく縮小して配置する。
『報告書見やすいってお客さんに褒められたよ。人並みって言ってたけど、すごい上手だよ。レイアウト』
昨日言われたセリフを思い出す。あんな風に満足そうに礼を言われると悪い気はしない。
まだ一週間の新人に任せられることは少なく、レイアウトとお茶くみの他には電話の取り次ぎと買い出し程度。だから手の空いている時には、配る予定のない宣伝チラシを作ってみたり、特に必要もないのにコーヒーメーカーの使い方を可愛らしくまとめて貼ってみたり。
タイピングの粗さはともかくその他では人並み以上にパソコンを使える上司だったが、そういう能力はからっきしらしく、いちいち感心してくれた。ちなみに、宣伝チラシは気に入ってもらえたらしく、口コミ用にと応接スペースへ配置されている。
――……あれ?
最初はその違和感が何から来ているのかわからなかった。
「…………」
テキストと画像。提供された素材をゆっくりと、もう一度見返す。
「……この時間……?」
午後二時二十分。その時間は確か――
「あ、何かおかしい?」
「城ノ内さん、これなんですけど、この時間って、吉岡さんが来られた時間です。城ノ内さん事務所に居ましたよね? 日付か時間、間違ってるんじゃないですか?」
「あー、それね。気にしないで。間違ってないから」
「間違ってないって……」
疑いを持って、画像を見る。確かに昼間の写真だ。日付も時間も画像の右下に入っている。
「――!」
やっと、気付く。
ばさりと、今まで作った報告書のコピーを机に置く。わざわざ見なくとも覚えているのに、それでも確認したかった。
――やっぱり……!
なんで今まで気が付かなかった? ここ一週間の調査報告書。私の関知しない夜ならともかく、昼の写真がこんなにある。――彼は、一歩もこの事務所から出ていないのに。
もう一度先ほどの写真を見る。
ブレもなく、くっきりときれいな写真。まるで写真のプロのように。
「……誰が撮ってるんです、この写真」
私の質問に、苦笑する上司。今頃気付いたの? なんて声が聞こえるよう。
「友達。鳥景写真家の小森祐輔。知らない? この街では結構有名なんだけどね」
「……こっちの写真は?」
写っている人物はハッキリわかるものの、先ほどの写真と比べればぼやけている別の日の写真を示す。
「佐藤和也と水上恭子。近所の高校生」
「…………自分で尾行したことは?」
「ないね。上手くできる自信もない」
「…………」
まぁ、この人目立ちそうだから尾行しても駄目そうな気はするけども。けど、それにしてもだ――
まさか事務所と関係ない人間にそんなことをさせているなんて。
他力本願もいいところじゃないか。こちらの呆れた顔に、上司はまた苦笑う。
「だから、友達が多いって言ったでしょ?」
――相容れない。
その表情に、私はただそう感じていた。