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『情報を制する者は世界を制す』
世界はどうだか知らないが、この街を制しているのは──きっと『彼』だ。
企業秘密だけどね
――あかりちゃん、僕は友達が多いんだよ
ちょっと変わった探偵城ノ内と事務員あかりのドタバタ調査録。
小説家になろう と pixiv でも公開中ですが、こちらでも公開しました。
#10 結婚調査
2014/10/04 00:48 □ 城ノ内探偵事務所
「あかりちゃん、あのさ」
固定電話の受話器を置き、こちらに向き直る上司。
最近やっと私の邪魔をせずに電話をすることを覚えた彼は、苦く笑いながら、
「結婚願望、ないままだよね?」
妙な言い方で、以前と同じ質問を投げかけてきた。
「はい」
「……本当に?」
「はぁ。なんなんですか?」
「今から依頼人が来るから同席してほしい。今回はそういう振りとかしなくていいから」
「いいですけど」
今はその辺も業務の一環だ。振りをするのもOKなんだから振りをしなくていいならもちろん断る理由はない。
「厄介な依頼なんですか?」
「いや、結婚調査の依頼」
「結婚調査?」
「結婚前に相手の身上調査とかする人がいるでしょ? あれ」
「あぁ、なるほど。難しいんですか?」
「いや、尾行もないし、情報集めるだけだから僕からすれば比較的簡単。でも依頼人がちょっと苦手でね。一緒に居てほしいけど、多分、残りカスみたいな結婚願望でも持ってるなら同席しない方がいいから」
「まぁ、とりあえず問題ありませんよ。じゃあお茶入れて一緒に居ますね」
笑いながら、頷く。
ここまで言われると逆に興味が出てくる。正直、どんな依頼人なのか見てみたかった。
*
依頼人が出て行って数分。ふたりしてキッチンスペースへ直行し、三時のお茶の準備をする。なんとなくココアを選択し、無言で牛乳を沸かし、無言でカップを用意する。いち早く落ち着きたい。
沈黙を破ったのは、上司の疲れた声。
「……強烈だったでしょ?」
「……はい」
こちらの応答も想像以上に疲れた声になった。
「確かに、結婚願望の残りカスも吹き飛ぶような姑さんですね」
依頼人は五十代の女性、川村洋子。依頼してきたのは、自分の息子が結婚相手として連れてきた女性の身上調査だった。
『うちの子は騙されてるわ。絶対ろくでもない女に決まってるのよ!』
夫人のセリフが、頭の中でこだまする。
「あの絶対的な確信は……何か根拠があるんでしょうか」
「ないだろうね。女の勘云々よりは、単に息子取られて悔しいだけっぽい」
「……過保護っぽいですしね」
「息子、僕と同い年みたいだけど、それが嫌で家出たらしいね。礼儀は重んじる人らしくて、結婚するとなると挨拶くらいはしなきゃってなるみたい。ほっときゃいいのに、ったく面倒な」
そう言って笑う。が、本気で面倒らしく、目は笑っていない。
「城ノ内さん、あの人リピーターなんですよね?」
「残念ながら、三回目だね」
「ってことは息子さん、過去二回は結婚駄目になったってことですか?」
「……まぁね。さすがに、僕の立場で調査結果を報告しないわけにはいかないし」
思わず、かわいそう、という言葉が浮かぶ。あんな姑の攻撃材料にされるのがわかっていても、個人の過去を洗いざらい調べて提供する。この職業は罪深い。
「……こういうのって、罪悪感とかありません?」
「まぁ、まったくないことはないかな。ただ、中絶経験三回のうえ浮気がバレてのバツイチとか、結婚詐欺で服役した過去のある人を選ぶ息子に女性を見る目がないのは確かかもね」
「…………」
絶句。なんなんだ、どいつもこいつも。思わず頭を抱えた私に苦笑して、
「さて、息子にとって『二度あることは三度ある』になるか、それとも『三度目の正直』になるか。あかりちゃん、どっちに賭ける?」
冗談っぽく、そんなことを言う上司。
「賭けませんよ、不謹慎な。大体、城ノ内さんもうわかってるんじゃないですか?」
「いや、調査はまだだよ。対象者は友達でもないしね。現段階で、答えは僕にもわからない」
ひらりと、先ほど依頼人から受け取った対象者の写真をかざす。
調査対象者の藤田舞。写真の中で笑う彼女は、とても優しくて清楚なイメージ。
「負けた方が昼飯一回おごる、とかどう?」
笑いながら、食い下がってくる。
「嫌です。負けたらバカ高い店とか連れて行かれそうだし」
「そんなことしないって。あいにく金には困ってないからね」
どうやら結果などはどうでもよく、上司は何か変わったことがしたいだけらしい。
人の人生の掛かった問題でくだらない賭けをすることに抵抗を覚えつつも、しつこいので付き合ってやることにする。なら、賭けるのは、――せめて彼の幸せを祈って。
「――三度目の正直のほうで」
「OK。じゃあ、僕は結婚出来ないほうで」
*
一週間後。
午前十一時。報告書を持った上司に続いて、応接スペースへ入る。
先ほど出したお茶を飲み干して、川村夫人はこちらへ向き直った。
上司は軽く挨拶しつつソファへ軽く腰を下ろし、持っていた書類を目の前へ提示する。
「息子さんのお相手は、息子さんには及びませんが大きめの企業にお勤めの総合職で、家柄も申し分ありません。学生時代の成績も、お仕事のほうも非常に優秀。強いて言うなら学生時代、短期間ですが、友達に誘われたアルバイトで夜のお仕事をされていたことがあるようですね」
学生時代のガールズバー勤務。おそらくそれが唯一、川村夫人の望む情報だった。
「まぁ!」
「…………」
目を見開く夫人。怒っている素振りの中に、鬼の首を取ったような喜びが感じられた。
その他の素晴らしい情報を聞き流し、重箱の隅をつつくように叩けるところだけを耳に入れる。それみたことか。お母さんの言った通りじゃないの。そんな声が聞こえるよう。
せっかく、息子が今度こそ素晴らしい女性を見つけて、幸せになろうとしているのに。
――糞姑。
蔑みが顔に出たらしく、気付いた上司に視線で咎められた。
「…………っ」
うつむいて、悔しさに歯がみする。こちらはただ、依頼のままに情報を提供するだけ。例えそれが誰かの幸せを妨害するとわかっていても。
賭けは、私の負けだ。
「ありがとうございます。振り込みはまた後日」
嬉しそうに、いそいそと鞄に書類をしまう夫人。ソファから立ち上がる寸前、上司が制止した。
「川村さん、もう少しお時間よろしいですか?」
「……はい?」
「ご依頼とは別件になりますが、お耳に入れておきたい情報があります」
「まぁ、何かしら」
「息子さんのことです」
「幸彦の?」
――………?
別件の追加情報? そんな話は聞いていないし、報告書も作っていない。
上司の様子を窺う。いつもと同じ営業スマイル。
大変申し上げにくいことですが、と前置きをして、上司はその顔から笑みを消した。
「息子さんはお勤めの会社で多額の横領をされています」
「――えっ!?」
川村夫人の素っ頓狂な声。
「で、でも息子は、今も毎日会社に通って――」
息子は家を出ているはずなのに監視でもしているのか、動揺した夫人はそんな言葉で反論した。
「会社側が、横領した金額の弁済を条件に大事にしないことにしたそうです」
先ほどまで嬉しそうだった夫人の顔が、蒼白になっていく。
「その、金額は……?」
「およそ一億二千万」
「…………そんな、どうしたら」
息子の結婚調査に躊躇なく三十万を払うくらいだから、ある程度裕福ではあるのだろう。それでも大きすぎる金額に夫人はわなわなと震えていた。
「何もご存じなかったんですね」
「知っていたら止めています! あの子、なんでそんなこと……!」
「不明です。息子さんのお相手を調査している途中で判明したことであって、それを主として調べていたわけではありませんので」
「……そう、ですよね」
「ちなみに、この話は会社との間で既に終わっています。お金のほうも既に返還済みです」
「えっ!?」
川村夫人が二度目の声を上げる。
「そんなお金、……どうやって?」
「補填を申し出たのは、藤田舞さんのご両親です。先ほども申し上げましたように、家柄もよく、裕福でらっしゃいますので――息子のためなら、と」
「─」
血の気のない顔のまま絶句する夫人へ、追い打ちのように上司が笑う。
「余計なことかもしれませんが、息子さんのためにも、あなたがたのためにも、ご結婚は反対なさらないほうがよいのでは?」
魂が抜けたように呆然と出て行く夫人を、営業スマイルで見送った後、
「踏み倒されるかもな」
ボソリと、上司が零す。
「まぁ、いいか。二度と来ないだろうし」
「……本当なんですか、あれ」
「ん?」
「横領とかって、……最悪じゃないですか。どっちもどっちどころか、あれじゃ舞さんが」
「あぁ、あれね」
私の言葉に、くすりと笑って。
「嘘だよ。川村幸彦は横領なんかしてない。極々普通に会社員やってるさ」
「…………は?」
「軽く調べたのは本当だよ。同じ会社に友達が居るからちょっと情報もらった。真面目で優秀な経理課主任は母親に執着されて困ってるって有名だ。ついでにあの夫人はご近所でも有名。どういう意味でかはご想像にお任せするけど?」
「だから、嘘教えたんですか? 信用に関わるんじゃ……」
「僕が依頼されたのは藤田舞の身上調査だけだよ。あの報告書に嘘はない」
キッパリと彼が言う。それは、自分の仕事に自信を持つ者の強い口調だった。
「あかりちゃん。僕は依頼のひとつが完了したから、『もうひとつの依頼』に基づいて行動しただけなんだよ。これ、誰からの依頼かわかる?」
「……まさか」
「そ。母親から逃げたい息子から、ちょっとした情報操作の依頼。ちなみにガールズバーで働いてたことに関しては、川村幸彦も承知してるよ。ふたりの最初の出会いがそこなんだから」
「…………」
言葉が見つからない。ぽかんと口を開けたまま固まっていると、不意に頭に手が置かれた。
「さ、準備して。賭けは俺の負け。昼飯食いに行こう」
笑いながら、上司は脱いだ上着からポケットに財布を移す。
「────」
私は今さら、あの賭けが遠回しすぎるランチのお誘いだったことに気が付いた。
#11 秘密
2014/10/04 00:49 □ 城ノ内探偵事務所
「あかりちゃん、なんにする?」
タクシーをつかまえてまで連れて行かれたのは繁華街の片隅にあるイタリアンレストラン。
小さめの個室に通され、手渡されたメニューを眺めながら、上司がこちらに尋ねてくる。
「……なんでもいいです」
いつもふたりで過ごしているけれど、向き合って座った経験はあまりない。面接の時を思い出して、何故だか緊張した。
「じゃあ、おすすめのセットにしとこっか」
「はい」
高級店というわけではなさそうだが、サラリーマンが日々の昼食に選ぶほどの価格でもなさそうだ。
上司が注文を済ませて数分、並べられたカトラリーの中に箸を見つけてなんとなくホッとする。口の中が乾いている気がして、出された冷水に口を付けた。
そんなこちらの様子に気付いたのか、彼が不思議そうに見つめてくる。
「なんか、緊張してる?」
「……っ、はい」
一瞬言葉を詰まらせた私に、なんで、とおかしそうに笑う。
相変わらず子供のような、幼い笑い方。息がしづらい。優しいはずのその目は、真正面から相対すると、やっぱりすべてを見透かしているようで――怖くなる。
「せっかくここまで来たのに、そんなんじゃ味わかんないよ?」
冷水をひとくち含んで、彼が目を細める。
「ま、今日はお客さん来る予定もないし、昼休み長めでいいから、ゆっくりしよ」
そう言いながら、携帯に目をやる。
「…………」
視線が外れたからか、金縛りから解放されて、私は彼に聞こえないよう、静かに安堵の息を吐いた。
*
「ん、なかなかよかったね」
最後の飲み物が運ばれてくると、コーヒーのカップを持ち上げながら、上司が笑いかけてきた。
「はい。ごちそうさまでした」
こちらも紅茶のカップに口を付け、その熱さに一旦口を離す。
食事中、私の心中を察してか、極力視線を合わせないようにしてくれたおかげで、料理は落ち着いて味わえた。
「どういたしまして。ま、悔しいかな賭けに負けたのは俺だからね」
「負けるつもりだったくせに」
少なくとも途中からはそのつもりだったはずだ。
くすりと笑い合いながら、いつの間にか彼の一人称が変わっていることに気付く。これが、本当のこの人なんだろうか。観察するような視線を向けると、またふと目があってしまった。
「あかりちゃん」
「……はい」
「何か、俺に聞きたいことあるよね」
微笑みをたたえたまま、彼はそう言った。
わずかに冷たくなった視線に、ドキリと心臓が跳ねる。
「いいよ、聞いて。答えるかはわからないけど」
聞いたことがあるセリフ。あの時は答えてくれたけど、今度はどうだろうか。
知りたいけれど、知ってはいけない。そんな気がする。
彼にとって他人が立ち入ってはいけない領域に、踏み込んでしまう気がする。それでも――
「城ノ内さんは、――なんで探偵なんてやってるんですか?」
絞り出すように口にした質問は、私が本当に、一番知りたかったこと。
上司は少し意外そうな顔をして、
「……なんだ。そんなことならわざわざ徹たちなんかに聞かなくてもよかったのに」
「っ、知ってたんですね」
「あぁ、あいつらが告げ口したわけじゃないよ。その時、居酒屋に俺の友達も居たってだけ」
「……一体何人いるんですか、城ノ内さんの友達って」
舌打ちしそうなこちらの顔に笑って、
「じゃあ、その質問にも答えようか」
一度目を閉じ、小さく頷いた。
「あかりちゃんはさ、小さい頃、将来の夢ってあった?」
「……はい、まぁ一応。お菓子屋さんとかそういうのですけど」
「ん。俺はね、五歳の時に探偵になりたいって思ったんだ」
「五歳?」
「そ」
「五歳で探偵って……テレビか何かで見たんですか?」
「いや、五歳の時に誘拐されてね。俺、結構いいトコの子だったから。で、もちろん警察も動いてたけど、助けてくれたのが、親が雇った探偵。交渉人の経験もある人だったみたいだね」
誘拐。それはさすがに想定外だった。絶句するこちらに笑みを向け、彼は続ける。
「その日から、探偵になるのが俺の夢になった」
「……夢」
「残念ながら、俺はIQ180の天才でもないし、怪しげな薬で子供になったわけでもなかったからね。 その分、夢を夢で終わらせない程度の努力はしたつもり。おかげで今の俺がある」
これでひとつめの質問の答えになるかな、と。
「……五歳の頃から、ずっと、探偵になるつもりだった?」
「まさか。当時は本気だったけどね。幼い間ならともかく、成長するごとに自分の立場はわかってくる。腐ってもひとり息子だったから家継ぐとか色々ね。実際叶えられるとは思ってなかったよ」
そう言って苦笑する顔は、どこか寂しそうで、そしてどこか冷めた色をしていた。
「それでも諦めきれなくて、悪あがきは続けてきた」
「悪あがき?」
「あかりちゃん、探偵に必要な能力ってなんだと思う?」
「……っと、観察力とか推理力? 情報収集能力、あとは追跡能力とかですか? 城ノ内さんは情報収集能力に特化してますよね」
「うん。『情報を制する者は世界を制す』が俺の信条だからね。『探偵業の業務の適正化に関する法律』ってわかる?」
「……。いや、わからないです」
首を振ると、彼は、不勉強だなぁ、と肩をすくめた。
「平成十八年六月に出来た法律でね。第六条、探偵業務の実施の原則。『探偵業者及び探偵業者の業務に従事する者は、探偵業務を行うに当たっては、この法律により他の法令において禁止又は制限されている行為を行うことができることとなるものではないことに留意するとともに、人の生活の平穏を害する等個人の権利利益を侵害することがないようにしなければならない』」
「…………」
「つまり、探偵業として尾行調査や聞き込み調査ってのは法的に認められてるけど、対象者に気付かれれば罪になるってこと。なら、尾行の出来ない俺は情報を得るためにどうするか」
「……それが、他人を使うことですか?」
「間違ってはいないけど、正解ともちょっと違うかな。探偵業法では探偵業者以外への委託は禁じられてるし」
「……え? じゃあ」
「聞き込みに関しては知っていることを教えてもらってるだけだし、尾行もただ、GPSで、たまたまその場にいる友達に連絡を取って、写真を撮ってもらってるだけ。テキストのほうは実際に尾行してるようにでっち上げてるけどね」
思わず顔を歪める。その手法の是非はともかく、詭弁としか思えなかった。
「……まさか。不可能です。そんなに都合よくいくわけないじゃないですか」
「まぁ、そう思うだろうね。実際上手くいかないこともないわけじゃないし」
「信じられません。大体、そんなことやろうとしたら、どんな人数――」
そこまで言って、彼と目があう。静かに、ただ、笑っている上司。
「――それが、悪あがき?」
「だから、友達を作ったんだ。五歳の時から。最初はひとつの建物にひとり。ひとつのフロアにひとり。ひとつの会社にひとり。ひとつの部署にひとり。毎日最低ひとりずつ友達を増やしていった。情報は力になる。それは探偵じゃなくても同じだよ。そうやって、――城ノ内紘は力を手に入れた」
「────」
言葉を失う。ゾワリと、冷たいものが背中を駆け抜けた。
優しい笑顔のまま語られるそれは、紛れもなく、彼の執念の物語。
「もうひとつの質問に答えるよ、あかりちゃん」
カップの中身を飲み干して静かにソーサーへ返すと、彼は固まったままのこちらの表情に苦笑する。
「この街の人口は約十万人。その十分の一が俺の『友達』なんだよ」
*
「道ゆく人の十人にひとりが情報をくれるなら、ある程度の調査は可能だと思わない?」
そんな言葉で話を締めくくって、彼は片隅に置かれた伝票を手に取った。
「……帰ろっか。紅茶、冷めてるからもう飲めるでしょ?」
そのセリフでやっと、カップの取っ手を持ったままだったことに気が付く。
「……はい」
口を付けると、言われたとおり、私でも飲める温度になっていた。
そのまま一気に飲み干して、椅子から立ち上がる。
「ありがとうございました」
「ん。満足したならよかった」
こちらへ笑いかけた彼のその言葉は、きっと二重の意味を持っている。
『聞きたいことが聞けたなら、もう探らないでね』
要するに、拒絶に近い。彼から直接話を聞いたことで、逆に彼との距離は遠くなってしまった。
それを辛く思う必要はないはずなのに、胸のどこかが痛む。
もしかしたら、私は彼が好きなのだろうか。恋愛感情かどうかはわからないけれど。とにかく、自分が今の状況を気に入っているのは確かだ。失わずにすむならそれに越したことはない。
「…………」
大通りまでの道。並んで歩きながら、ふと隣の彼を見上げる。
視線に気付いた彼がこちらを向く前に、慌てて顔の向きを前に戻す。
「城ノ内さん」
「ん?」
「もうひとつ、質問していいですか?」
「いいよ。答えるかはわからないけど」
彼はまた、いつものセリフを口にする。結局、いつも答えてくれるけれど。
「家を出たって聞きました。それって、夢を叶えるためにってことですか?」
「いや、あー……、家を出たのは別の理由」
「別?」
口に出してから、失言に気付く。
木下徹も橋爪直樹も、実家については話したがらない、と言っていた。
一瞬、間をおいた後、苦虫を噛みつぶしたような顔で、彼は答えてくれた。
「……恥ずかしながら、五年前、とある事情で親と大喧嘩してそのまま家出。まぁ、そのきっかけがなきゃこうやって探偵することもなかっただろうし、よかったのかもね」
――あぁ、そうか。
いつかの記憶が蘇る。息子を捜してほしいという吉岡夫人へ向けた、あの冷たい表情。
あれは吉岡夫人へ向けたものではなくて、彼女を通り越して自分の親へ向けたものだったのか。
タクシーはすんなり捕まった。
深呼吸をひとつ。
切り替えて、通常運転に戻ろう。今日もまだ仕事が残っているんだから。
#12 追跡調査
2014/10/04 00:53 □ 城ノ内探偵事務所
真っ白な丸襟ブラウスにチェックのプリーツスカート。胸元にはエンジのリボンタイ。
トイレの個室から出てきた自分を大きな鏡が迎え、
――ぐえ。
童顔なのは自覚していたが、あまりの違和感のなさに、自分で顔をゆがめた。
最後の仕上げに、やたらとボリューミーなテールウィッグ。
「……さて」
午後九時四十五分。対象者の追跡を開始する。
バスと電車を乗り継いで辿りついたのは繁華街。近くに住んでいるのか、飲み会にでも顔を出すのか。
移動中も適度に人の多い状態で助かった。多すぎても補足するのが大変だが、少なければ断念するところだった。
三度目の正直。……まぁ、見失っても構わない。また最初からやり直すだけなんだから。
そもそも普通尾行はふたり以上ひと組。ひとりで尾行って段階で、多分に問題があるわけで。
「あー、うん。そうなんだよね」
誰とも繋がっていない携帯で、誰かと話している振りをしながら、あくまで自然に、対象者を追う。
ゆっくりと、それでいて軽やかに、対象者は歩を進める。
繁華街を通り抜け、少し薄暗い道を歩くと、今度はホテル街に出る。
「…………」
金曜日というのもあってか、人気は少なくない。ネオンのきらびやかな建物へ、ひと組、ふた組と吸い込まれていく。対象者を尾行するにあたって、この通りが閑散としていないのは有り難かった。ただ、この格好は間違いだったかもしれない、と後悔し始める。ひと組のカップルに、ちらりと流し見られて、思わずうつむいてしまった。
「────っ」
顔を上げるまで、たった数秒。それでもそれは確実な落ち度。
――見失った……!
無意識に、早足になる。落ち着け。この付近の分かれ道はそんなに多くない。
最後に後ろ姿を確認した地点から一番近い路地へ、足を向ける。
――……居ない。
誰もいない路地を、薄暗い街灯が照らしていた。自分の失敗を確認すると、立ち止まったまま、目を閉じる。身体のどこかから、空気が抜けていくような感覚。深呼吸のような、静かで長いため息が口をつく。
「――はい。そこまで」
――唐突に。
ポンと、肩に手が置かれる。
「────っ!」
振り返った私を見下ろして、
「三回目の尾行、ご苦労様。あかりちゃん」
対象者、城ノ内紘はくすりと笑う。
「でも、この場所にその格好は家出少女みたいでいただけないね。危ない奴に連れ込まれたらどうするの」
いつもと変わらない優しい口調で、説教じみたセリフ。本当に子供に注意するみたいに。
忌ま忌ましさに、思わず目をそらす。
――最悪だ。
言い訳は思いつかない。いや、思いついたところで無駄だろう。
『三回目の尾行、ご苦労様』
彼はどこまで知っている? ただ知らない振りをしていただけで、すべてお見通しだったんじゃないのか。
――それなら、それで構わない。
目的のひとつ――『彼の自宅を突き止めること』は出来なくとも、
私の一番の目的は、絶対に達成してみせる――
「君も尾行は下手なんだね。宮原調査事務所の元調査員、園田あかりさん」
彼はもう、知っていることを隠さない。
「演技は上手なのにね。もったいないなぁ」
「……最初からわかってて私を雇ったんですか?」
彼はいつもと同じようにこちらへ笑いかける。
「買いかぶりだね。さすがによその調査員ってのは最初はわからなかった。雇った理由は、君の履歴書が、ほとんど全部嘘だったからだよ」
「――はは」
無意識に、乾いた笑いが漏れた。何が『信頼出来る人間と判断しました』だ。彼は私をこれっぽっちも信頼なんてしていない。結局、泳がされてただけじゃないか。
「職歴も住んでる家もわかった。けど、どうしてもわからなかったことがある」
「……わからない? へぇ」
嘲笑する。それが自身に向けたものなのか、それとも目の前の彼に向けたものなのかは自分でもわからなかった。
「教えて、あかりちゃん。――依頼人は誰?」
まっすぐにこちらを見据えて、笑みの消えたその顔で、彼が問う。
「…………っ」
瞬間、湧き上がったその感情を噛み殺して、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「推理、してみたらいかがですか? 探偵なんだから慣れてるでしょう?」
投げかけた言葉は、苛立ちを隠しきれていなかった。
「推理ってのは不足してる情報を補うためにするものだよ。あいにく俺には縁がなかったから、慣れてはいないね」
「――なら今、経験を積んでみたらいかがですか」
路地の低い塀へ腰掛けて、目を細める。
「私が、採点してあげますから」
「……っ」
今度は彼が言葉を詰まらせる。何度か視線を泳がせると、ゆっくりと目を閉じた。
わからなかった、と彼は言った。
膨大な情報を集めることの出来る彼は、その分証拠主義だ。確証のないものは信用しない。
今回の件で、確信となるものが掴めなかったのは、彼のネットワークから意図的に外されたところがあるからだ。
木下徹と橋爪直樹は、現在の彼のことを――城ノ内紘のことをほとんど知らなかった。あの人たちはネットワークには組み込まれていないのだ。
五歳の時から行動を起こしてきた彼が、一番効率がいいはずの学校で『友達』を作らなかった。その理由は、彼の本当の姓にある。『結構いいトコの子』――実際はそれどころじゃない。彼が持っていたのは、誰もが顔色を変えるこの街一番の権力者の名前。
彼の目的にとっては重くて邪魔でしかない苗字を隠し、母親の旧姓を借りて『城ノ内紘』は誕生した。
二十年近く二つの名前を使い分けていた彼は、家を出ると同時に、本来の自分とそれに直接関わるものすべてを、あっさりと切り捨てた。
今回の答えは、その時欠落した部分にある。だからこそ、彼には『わからない』のだ。
静かに、彼が目を開く。微笑みを浮かべた口元とは対照的に、その視線は冷たい。
大きく一度、ため息をついて、彼は回答を口にした。
「……じゃあ、回答するね。依頼人はおそらく、穂積修司。俺の、父親」
「理由は?」
「この街で俺のネットワークに引っかからない人間、そのうえ人を雇ってまで俺のことを調べようとする人間は穂積の家以外に考えられない。あまり考えたくはないし今さらな気もするけど、連れ戻すため、とかそういうことかな」
「…………」
彼の回答を噛みしめるように、一度目を閉じる。またひとつ、大きく静かな深呼吸。
それから塀から降りてスカートを軽くはたき、ゆっくりと彼に近づいた。
「あかりちゃん、解答は?」
彼はどこか寂しげにこちらを見下ろす。
愛すべき裏切り者に対するその視線に、にっこりと笑ってやる。
パン、と乾いた音が辺りに響いた。
「不正解です」
反射的に頬を抑えて、呆気にとられている彼をまっすぐに見上げる。
「依頼人なんて居ません。強いて言うなら、私本人です」
「……は?」
「自己紹介が遅れましたね。初めまして、穂積紘さん」
きょとんとした顔。それに向けた目的達成の笑顔は、我ながら会心の出来だった。
「私は『西園』あかり。あなたに逃げられた――元婚約者です」
#13 逃避行
2014/10/04 00:55 □ 城ノ内探偵事務所
「ちなみに、あなたのご両親はとっくにあなたのことを見限ってらっしゃいますのでご心配なく」
付け加えた言葉には、反応は返ってこなかった。
「穂積もろとも西園まで切り捨てたからわからなかったんですよ。調査員でストップしないでもっと遡って素性調べてたら……さすがに西園姓だってことがわかれば気付けたでしょうに」
フリーズしたままの彼へ、抱擁でも求めるかのように、ゆっくりと両手を伸ばす。
「親が勝手に決めた結婚話が立ち消えになったことに関しては感謝してるよ。――でもな!!」
襟元を掴んで、自分の顔の前へ引き寄せる。
「勝手にいきなり失踪しやがって、おかげで私は十八にして行けず後家扱いだ! 成績優秀、おしとやかで完璧なお嬢様演じてきたのに、一夜にして周りがかわいそうなもの見る目に変わる屈辱がわかるか!?」
締め付けられる苦しさに我に返ったのか、彼がやっと反応を返す。
「ちょっ、あかりちゃん? とりあえず落ち着いて?」
「落ち着けるわけないでしょう!? 自分の家ですら居場所なくなって、私がどんな思いで生きてきたか……っ。文句くらい言わせろよ!」
五年前。父親から、おまえの結婚決めてきた、なんて寝耳に水の事後報告を受けた翌日、顔も知らない婚約者、穂積紘は行方をくらました。
もともと娘の私を家の繁栄のための道具としか見ていなかった父親。役に立たないとわかれば、扱いは地に落ちた。自分の意思で実家を切り捨てた彼とは違い、――私は切り捨てられたのだ。
喚きながら、自分の中で何かが決壊するのを感じていた。
感情がコントロール出来ない。
せめて涙だけは零すまいと、必死に堪える。この男の前で、泣いてたまるか――
「わかったわかった! 場所変えて聞くから!」
「時間稼いでごまかす気満々だろ!? もうやなんだよ振り回されるの!!」
「だから落ち着けって……!」
一瞬、苛立ったようにそう言うと。
彼は少し強引に、その腕で覆い隠すように、私の視界を遮った。
「…………っ」
驚きで、言葉が詰まる。
「……悪かった」
耳元で、低い声が響く。
「君に対してもっと配慮するべきだったのは確かだ。けど、頼むからちょっと落ち着いて」
優しい口調。けれど、いつものような余裕は感じられなかった。
視界を奪われた動物としての本能か、そう強く抑えられているわけではないのに、身動きが取れなくなる。襟を掴む手からも、力が抜けていった。
――あぁ、そうか。
頭が冷えていく中、不意に気付く。
つまり私は、彼が失踪したことに怒っていたわけではなくて、
ただ、彼がうらやましかっただけなんだ、と。
「…………」
そうしていたのは時間にしてほんの数秒。そっと、後頭部に触れた手のひらが、慰めるようにごく軽く髪を撫でる。
「落ち着いた?」
「……はい」
頷くと同時、緩慢な束縛から解放されて視界が開ける。
まず目に映ったのは、目の前の彼の引きつった顔。その余裕のない表情に違和感を覚える暇もなく、襟から離した手を掴まれた。
「逃げるよ」
「……は?」
「さっき通った人に警察呼ばれたっぽい」
「────えっ」
少し離れたところから、ふたつの黒い影が近づいてきていた。
ラブホテルが立ち並ぶこの通りの片隅で、スーツ姿の男に尋常じゃない様子で詰め寄る女子高生。それは残念ながら、ただの痴話喧嘩には見えなかったらしい。
手を引かれ、転びそうになりながら、走る。
「ったく、よりにもよってなんでそんな変装したんだよ!」
「……るっさいな、これが一番違和感なかったんですよ! てか城ノ内さん、警察にも『友達』いるんでしょ!? どうにかしてもらってくださいよ!!」
「『友達』に買春疑われるとか御免なんだよ! あかりちゃんが職質で先生と生徒プレイだとか言ってくれんなら別だけど!?」
「――っっ! 絶っ対嫌です!!」
#14 願い ~ Epilogue
2014/10/04 00:57 □ 城ノ内探偵事務所
「はい」
公園のベンチに腰掛けてうなだれる私へ差し出されたのは、今しがた自販機から取り出されたペットボトルのスポーツドリンク。
「ありがとう、ございます」
受け取りながら、口にするお礼の言葉は途切れ途切れになった。息が上がっている。
自分より体力なさそうな目の前の男が案外けろっとしていて、なんだか悔しい。
受け取ったボトルをそのまま頬に当てる。表面の水滴が、汗と混じって頬を伝った。
どれくらい走ったろう。繁華街の喧噪は遠ざかり、この静かな公園で聞こえるのは虫の声と誘蛾灯の音くらい。
隣に腰掛けた彼が、自分の分のボトルをあおる。
「あー……、話聞くけど、どうせなら食事でもする?」
他人の目のあるところなら理性的に話が出来るんじゃないか、という希望的観測が垣間見えた。怒鳴られるのは苦手らしい。
「――ふ」
無意識に、息が漏れる。唐突に笑い始めた私に、彼がボトルを口から離してこちらを見る。笑いかけながら、首を横に振った。
「……いいです。なんか、気が済みました。一発殴って言いたいこと言ったし。それが、私の目的だったから」
彼は黙って、私の話を聞いていた。
「城ノ内さん。私ね、あなたがうらやましかったんです。あの時、私にはなんの力もなくて、何も、逃げることすら出来なかったから」
不思議と、気分は晴れていた。
「……今から、わがままなこと言いますね。仕方なかったってわかってます。私があなたでも、同じ事をしたかもしれない。でも、」
そう、これが、自分でも知らなかった、理不尽で他力本願な私の本音――
「五年前、一緒に連れていってほしかった」
馬鹿げている。そう思いながら、精一杯、笑って言った。
それが実際出来たかというと、もちろん無理だ。私たちはお互いの顔も知らず、彼に至っては西園の娘というだけでこちらの名前すら知らなかったんだから。
「ごめん」
反論もなく、ただ短く謝るその声には、罪悪感が満ちていた。
「そう簡単に償える事じゃないのはわかってる。君はどうしたい?」
その質問に、ベンチから立ち上がって、一度背伸びをする。
「別に、何も。今の状況も、今の自分も気に入ってるんです。だから、」
振り返って、ゆっくりと、彼の前に立つ。
「――もう二度と、居なくならないでください」
その言葉は静かな公園に、微かに響いた。
口にしたのは、心からの願い。
だって、彼の居るところこそが、私がやっと手に入れた、自分の居場所なんだから。
数秒の沈黙の後、小さく息を吐き出し、降参、というように両手を上げて。
「……わかった」
今のところそんな予定はないけどね、と付け加えた彼は、やっと、いつもの顔で笑った。
「約束するよ、俺は居なくならない。また君を怒らせて、夜逃げでもしない限りはね」
そんなおどけたセリフに、こちらもくすりと笑って。
「構いませんよ。私も五年前の私とは違います」
「ん?」
「見習いみたいなもんとはいえ、これでも一年探偵やってたんですよ? 何をしても、最悪穂積と西園の名前を使ってでも、必ず見つけ出して連れ戻します」
「……っ」
これ以上ないくらい強気な口調に、言葉を詰まらせる彼へ。
一呼吸置いて、とびっきりの笑顔を向けてやる。
「――次は、一発で済むと思わないでくださいね」
一瞬、見開かれる目。数回の瞬きの後、
「────ふっ」
吹き出しながら顔を背け、腹を抱えてひとしきり笑うと、
「結婚しなくて正解だ。絶対尻に敷かれてた」
顔を上げた彼は、そんな失礼な言葉を口にした。
公園の時計が十一時半を指す。
「帰ろう。駅まで送るよ」
それとも、うち泊まってく? なんていう冗談を聞き流し、帰路につく。
そんな冗談が出てくるということは彼の家はあの近くなんだろう。いずれ突き止めてやる、と心に誓う。
尾行ごっこは続行だ。いつか、家の前で待ち伏せて驚かせてやる。
「改めて、末永くよろしくね。あかりちゃん」
駅の改札前で差し出された手。彼との三度目の握手は、心からの笑顔とともに。
「はい」
*
新たな目標を胸に秘め、私の日常は続いていく。
薄暗い事務所で彼のカーディガンに手を通し、彼の笑顔に時には笑い、時には怒り、たまに昼食の賭けをして。
「はい、城ノ内探偵事務所です」
城ノ内探偵事務所は、今日も悩みを抱えた依頼人を受け付ける。