#05 ペット捜索

2014/10/04 00:36 □ 城ノ内探偵事務所

 

 午後三時。小さく、ドアが叩かれた。

「はぁい」

 休憩しよう、と上司がキッチンスペースへ引っ込んだところだったので、事務所には自分しかいない。慌ててドアに駆け寄る。

「…………」

 開いたドアの向こうには、緊張した面持ちの小さな男の子がひとり。

「たんていさんですか?」

「……いや、私は違います」

 少しがっかりしたような、ほっとしたような複雑な表情をした男の子は見たところ五歳くらい。幼稚園の制服に幼稚園の鞄。

 私に探偵かと聞くくらいだから、上司の知り合いというわけではなさそうだ。

「どうしたの? 探偵さんに何かご用?」

 しゃがみ込んで視線を合わせ、努めて優しく問いかける。

 涙を堪えるためか一度口をへの字に曲げて、絞り出すように彼は言った。

「……チャコをさがしてほしいんです」

「チャコ?」

 首を傾げると、鞄の中から取り出した写真を渡された。映っているのは茶トラの子猫。

「おとといからかえってこないの」

「そっか。それは心配だね」

――ペット捜索の依頼? 城ノ内さん出来るのかな。

 とにかく、まずは親御さんに連絡したほうがいいだろう。

「お父さんかお母さんは? ひとりで来たの?」

「うん」

「おうちの電話番号わかる?」

 男の子が黙って首を振るのと同時、

 

「わかるよ」

 

 頭の上から、声が降ってきた。

 驚いて振り返る。いつの間にか真後ろに立っていた上司が、腕組みして笑いながらこちらを見下ろしていた。

 思わず立ち上がって尋ねる。

「知ってる子なんですか?」

「いや。でも、見覚えはあるかな。三咲幼稚園の子だよね?」

 優しい声の問いかけに、幼児は静かに頷いた。

 先ほどの私と同様に、しゃがみ込んで上司は続ける。

「お名前言えるかな?」

「はやしゆうとです」

「ゆうとくんかー。ちょっと待っててね」

 彼の頭を軽く撫で、立ち上がって事務所へ戻る上司は、すれ違いざま、

「友達に先生居るから連絡取ってみるよ。キッチンにココア入れてあるから相手してて」

 小さな声でそう言い、――そして最後まで、猫のことには言及しなかった。

 

 

 林悠人の母親がやって来たのはそれから一時間後だった。

 上司がドアを開けると同時、顔を確認する間もなく、申し訳ありません! と深く頭を下げる。

「どうぞ。そちらです」

「あ、おかあさん」

 応接スペースから覗く顔に安堵の表情を見せた母親は、次いで、怒り顔を作って我が子に向き合った。

「なんでこんなところに居るの? 心配したんだよ!」

 いつもの時間に帰ってこず、幼稚園や友達の家に電話して探していたらしい。もう少し見つからなければ警察へ行くつもりだったと。

「ほら、帰るよ」

「おかあさん、チャコかえってこないの」

「……元気ないと思ったら。それでここまで来たの?」

「そうみたいですね。探してほしいって言ってました。いなくなっちゃったんですか?」

 世間話程度に聞いてみる。母親は、はい、と短く答え、

「あ、でも、うちで飼ってるわけじゃないんです。一ヶ月くらい前から近くの公園に住みついてて、パンとかあげてたみたいで」

 慌ててそう付け加えた。言外をくみとると、『だから捜索のお金は払えません』。セールスのつもりはなかったんだけど、彼女からしてみれば私も探偵事務所の人間だ。この反応は仕方ないのだろう。

 

「たんていさん、おねがい。チャコをさがしてください」

 悠人くんが、今度は上司に向かって懇願する。

「こら、何言って――」

 母親が黙らせようとするのを制止し、

「悠人くん、それはお仕事のお話かな?」

 微笑みを絶やさないまま、まっすぐに彼を見据えて、上司が問うた。

「うん」

「お仕事なら、お金が一杯いるよ?」

「ぼくのおこづかいぜんぶあげます。おねがいします」

 鞄の中を探り、差し出された小さな巾着袋。音だけで、中身は小銭ばかりだとわかった。

「ごめんね。全然足りないんだ」

 優しい声で突きつける、冷たい現実。

「…………」

 泣きそうな表情に、胸が痛くなる。

 こんなに一生懸命なんだから、引き受けてあげればいいのに。あなたならお友達の力でどうにか出来るんじゃないのか。ついそう思ってしまうけれど、自制する。それは絶対に、口に出してはいけない言葉だ。

 友達だろうがなんだろうが、彼は力を持っていて、私は持っていない。痛いほど自覚する。何も出来ないくせに、他人に対する要望だけは一丁前か。他力本願は自分のほうだ。

 

 何も言えずに、ただこの沈黙が過ぎ去るのを待つ。

 ずいぶん長く感じたけれど、それは多分、時間にしてほんの数秒。

「大丈夫、すぐ見つかるよ。もう少し自分で頑張ってごらん」

 くすりと笑って、上司が悠人くんの頭を撫でた。

「お金で他人をあてにするのは最後の手段。行方を知りたいなら君にももっと出来ることがあるよ」

「ぼくにもできること?」

「猫探しのポスターなら、そのお金でも作れるんじゃないかな?」

 その言葉で、彼の顔がパッと明るくなる。

「やってみる!」

「─」

 今日初めて見るその笑顔に、私は思わず彼の母親と顔を見合わせる。

「ちなみに、」

 つられるように笑いあっていると、不意に振り返った上司が手のひらでこちらを示した。

 次の瞬間、

「――そこのお姉さんがそういうの得意なんだ」

 私は、幼児の懇願と巾着袋の標的がこちらに移行したことを認識した。

 

 

「おはよう。あかりちゃん、昨日林さん来たよ」

 五月二十七日。休日明けの朝、上司からまず最初に言われたのはこんなセリフだった。

「お世話になりました、ってさ」

 

 

『どんな結果になっても受け入れること』

 ポスターの完成時、上司は悠人くんを諭すようにそう言った。

 事務所で埃を被っていたラミネーターを使わせてもらい、出来上がった二枚のポスター。

 公園を中心に貼れ、という上司のアドバイスに従って、公園内部の掲示板と公園の入り口にあるコンビニに、許可を取って貼らせてもらった。

 写真を加工し、なんとか目立つように作り上げたポスターは結構人の目を引いたらしい。

 チャコの行方がわかったのは、ポスターを貼った翌々日のことだった。

 

 連絡先は私の携帯。連絡をくれた人は三十代の女性だった。

 探しているのが子供だと知ると、話がしたいと家に招かれた。彼女の家は公園のすぐ近く。

 迎えに行くと、母親は急に用事が入ったらしく、大変申し訳ないけれど、と悠人くんを託された。

 

『大丈夫、すぐ見つかるよ』

――知ってたんだろうな、城ノ内さん。

 

「ごめんね、知らなかったの」

 その家に、チャコは居た。通されたリビングで、柔らかいタオルに包まれ、小さな寝息を立てている。

 高坂さなえと名乗ったその女性は、起こさないよう、静かにチャコに触れた。

 

 彼女は、数年前に病気で仕事を辞め、欲しかった子供も出来なくなった。在宅で仕事はしているものの、旦那さん以外の人とは関わりもほとんどなく、どこかで寂しさを感じていたのかもしれない、と話した。

「この前の夜コンビニに行った時にね、ちょっと気晴らしに公園で缶ジュース飲んだの。そしたら、どこから出てきたのか、この子がね、足にすり寄ってきて、にゃあって鳴いたのよ」

 微笑みをたたえたまま、愛おしそうに、その身体を撫でる。猫は起きてはいるのかもしれないが、目を開ける様子はなく、ゴロゴロと気持ち良さそうにのどを鳴らしていた。

「首輪もしてなかったから、うちの子になる? ってね。連れて帰ってきちゃった。ごめんね。ぼくの家の子だったんだね」

 申し訳なさそうに、彼女が謝る。

「ううん。ぼくのうち、ねこかえないの」

 少し悲しそうに首を振り、

「おばちゃん、チャコたいせつにしてくれる? ぼく、またあいにきてもいい?」

 まっすぐに投げかけた質問は、『結果』を受け入れた林悠人の決断だった。

 目を丸くした後、高坂さんは、眩しいものを見るように目を細め、もちろん、と短く答えた。

 

 

「悠人くん、すっかり元通りで元気に公園駆け回ってるってさ」

「そうですか。よかったです」

 こちらも笑って答える。悠人くんも高坂さんもチャコも、みんな幸せな結末なら及第点だろう。――おそらくすべて、彼の予想通りの結果だろうけど。

「全部知ってたんですね、城ノ内さん」

「まぁ、高坂さんも友達だからね」

「それなら教えてあげればいいのに」

「僕のネットワークは商売道具だからね。安売りはしない主義なんだ」

 本気なのか冗談なのか。彼はおどけたような仕草で笑った。

「それにこっちのほうが、達成感は味わえたでしょ? あのくらいの子にはそれも必要なことだよ」

「はい、まぁ、そうかもです」

「あ、でさ、これ」

 思い出したようにそう言いながら、彼は棚の上に置かれた紙袋を手にした。

「はい、これは君の報酬」

「……?」

「受け取れないって言ったんだけど、君に渡してくれって」

「あー……」

 覗き込んだ紙袋の中には、大きな菓子折が納まっていた。

「気、使わせちゃいましたかね」

「ま、いいんじゃない? 感謝してたよ」

 なんだかくすぐったいような気分で紙袋を受け取ると、

「よく出来ました」

 悠人くんで癖になったのか、上司が頭を撫でてきた。

「……十時になったら、これでお茶にしましょうか。紅茶でよければ、今日は私が淹れますよ」

「君の報酬なのに?」

「この重さですよ。ひとりじゃどのみち食べ切れませんよ」

「それじゃあ、ご相伴にあずかろうかな」

「はい。じゃあ今日も一日よろしくお願いします」

「ん、よろしくね」

 上司の笑顔で、今日も一日が始まる。

 

 相容れなさは消えないけれど、今までよりもう少しだけ、彼を好きになれそうな気がしていた。

 


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