#10 結婚調査

2014/10/04 00:48 □ 城ノ内探偵事務所

 

「あかりちゃん、あのさ」

 固定電話の受話器を置き、こちらに向き直る上司。

 最近やっと私の邪魔をせずに電話をすることを覚えた彼は、苦く笑いながら、

「結婚願望、ないままだよね?」

 妙な言い方で、以前と同じ質問を投げかけてきた。

「はい」

「……本当に?」

「はぁ。なんなんですか?」

「今から依頼人が来るから同席してほしい。今回はそういう振りとかしなくていいから」

「いいですけど」

 今はその辺も業務の一環だ。振りをするのもOKなんだから振りをしなくていいならもちろん断る理由はない。

「厄介な依頼なんですか?」

「いや、結婚調査の依頼」

「結婚調査?」

「結婚前に相手の身上調査とかする人がいるでしょ? あれ」

「あぁ、なるほど。難しいんですか?」

「いや、尾行もないし、情報集めるだけだから僕からすれば比較的簡単。でも依頼人がちょっと苦手でね。一緒に居てほしいけど、多分、残りカスみたいな結婚願望でも持ってるなら同席しない方がいいから」

「まぁ、とりあえず問題ありませんよ。じゃあお茶入れて一緒に居ますね」

 笑いながら、頷く。

 ここまで言われると逆に興味が出てくる。正直、どんな依頼人なのか見てみたかった。

 

 

 依頼人が出て行って数分。ふたりしてキッチンスペースへ直行し、三時のお茶の準備をする。なんとなくココアを選択し、無言で牛乳を沸かし、無言でカップを用意する。いち早く落ち着きたい。

 沈黙を破ったのは、上司の疲れた声。

「……強烈だったでしょ?」

「……はい」

 こちらの応答も想像以上に疲れた声になった。

「確かに、結婚願望の残りカスも吹き飛ぶような姑さんですね」

 

 依頼人は五十代の女性、川村洋子。依頼してきたのは、自分の息子が結婚相手として連れてきた女性の身上調査だった。

『うちの子は騙されてるわ。絶対ろくでもない女に決まってるのよ!』

 夫人のセリフが、頭の中でこだまする。

「あの絶対的な確信は……何か根拠があるんでしょうか」

「ないだろうね。女の勘云々よりは、単に息子取られて悔しいだけっぽい」

「……過保護っぽいですしね」

「息子、僕と同い年みたいだけど、それが嫌で家出たらしいね。礼儀は重んじる人らしくて、結婚するとなると挨拶くらいはしなきゃってなるみたい。ほっときゃいいのに、ったく面倒な」

 そう言って笑う。が、本気で面倒らしく、目は笑っていない。

「城ノ内さん、あの人リピーターなんですよね?」

「残念ながら、三回目だね」

「ってことは息子さん、過去二回は結婚駄目になったってことですか?」

「……まぁね。さすがに、僕の立場で調査結果を報告しないわけにはいかないし」

 思わず、かわいそう、という言葉が浮かぶ。あんな姑の攻撃材料にされるのがわかっていても、個人の過去を洗いざらい調べて提供する。この職業は罪深い。

「……こういうのって、罪悪感とかありません?」

「まぁ、まったくないことはないかな。ただ、中絶経験三回のうえ浮気がバレてのバツイチとか、結婚詐欺で服役した過去のある人を選ぶ息子に女性を見る目がないのは確かかもね」

「…………」

 絶句。なんなんだ、どいつもこいつも。思わず頭を抱えた私に苦笑して、

「さて、息子にとって『二度あることは三度ある』になるか、それとも『三度目の正直』になるか。あかりちゃん、どっちに賭ける?」

 冗談っぽく、そんなことを言う上司。

「賭けませんよ、不謹慎な。大体、城ノ内さんもうわかってるんじゃないですか?」

「いや、調査はまだだよ。対象者は友達でもないしね。現段階で、答えは僕にもわからない」

 ひらりと、先ほど依頼人から受け取った対象者の写真をかざす。

 調査対象者の藤田舞。写真の中で笑う彼女は、とても優しくて清楚なイメージ。

「負けた方が昼飯一回おごる、とかどう?」

 笑いながら、食い下がってくる。

「嫌です。負けたらバカ高い店とか連れて行かれそうだし」

「そんなことしないって。あいにく金には困ってないからね」

 どうやら結果などはどうでもよく、上司は何か変わったことがしたいだけらしい。

 人の人生の掛かった問題でくだらない賭けをすることに抵抗を覚えつつも、しつこいので付き合ってやることにする。なら、賭けるのは、――せめて彼の幸せを祈って。

「――三度目の正直のほうで」

「OK。じゃあ、僕は結婚出来ないほうで」

 

 

 一週間後。

 午前十一時。報告書を持った上司に続いて、応接スペースへ入る。

 先ほど出したお茶を飲み干して、川村夫人はこちらへ向き直った。

 上司は軽く挨拶しつつソファへ軽く腰を下ろし、持っていた書類を目の前へ提示する。

「息子さんのお相手は、息子さんには及びませんが大きめの企業にお勤めの総合職で、家柄も申し分ありません。学生時代の成績も、お仕事のほうも非常に優秀。強いて言うなら学生時代、短期間ですが、友達に誘われたアルバイトで夜のお仕事をされていたことがあるようですね」

 学生時代のガールズバー勤務。おそらくそれが唯一、川村夫人の望む情報だった。

「まぁ!」

「…………」

 目を見開く夫人。怒っている素振りの中に、鬼の首を取ったような喜びが感じられた。

 その他の素晴らしい情報を聞き流し、重箱の隅をつつくように叩けるところだけを耳に入れる。それみたことか。お母さんの言った通りじゃないの。そんな声が聞こえるよう。

 せっかく、息子が今度こそ素晴らしい女性を見つけて、幸せになろうとしているのに。

――糞姑。

 蔑みが顔に出たらしく、気付いた上司に視線で咎められた。

「…………っ」

 うつむいて、悔しさに歯がみする。こちらはただ、依頼のままに情報を提供するだけ。例えそれが誰かの幸せを妨害するとわかっていても。

 賭けは、私の負けだ。

 

「ありがとうございます。振り込みはまた後日」

 嬉しそうに、いそいそと鞄に書類をしまう夫人。ソファから立ち上がる寸前、上司が制止した。

「川村さん、もう少しお時間よろしいですか?」

「……はい?」

「ご依頼とは別件になりますが、お耳に入れておきたい情報があります」

「まぁ、何かしら」

「息子さんのことです」

「幸彦の?」

――………?

 別件の追加情報? そんな話は聞いていないし、報告書も作っていない。

 上司の様子を窺う。いつもと同じ営業スマイル。

 大変申し上げにくいことですが、と前置きをして、上司はその顔から笑みを消した。

 

「息子さんはお勤めの会社で多額の横領をされています」

 

「――えっ!?」

 川村夫人の素っ頓狂な声。

「で、でも息子は、今も毎日会社に通って――」

 息子は家を出ているはずなのに監視でもしているのか、動揺した夫人はそんな言葉で反論した。

「会社側が、横領した金額の弁済を条件に大事にしないことにしたそうです」

 先ほどまで嬉しそうだった夫人の顔が、蒼白になっていく。

「その、金額は……?」

「およそ一億二千万」

「…………そんな、どうしたら」

 息子の結婚調査に躊躇なく三十万を払うくらいだから、ある程度裕福ではあるのだろう。それでも大きすぎる金額に夫人はわなわなと震えていた。

「何もご存じなかったんですね」

「知っていたら止めています! あの子、なんでそんなこと……!」

「不明です。息子さんのお相手を調査している途中で判明したことであって、それを主として調べていたわけではありませんので」

「……そう、ですよね」

「ちなみに、この話は会社との間で既に終わっています。お金のほうも既に返還済みです」

「えっ!?」

 川村夫人が二度目の声を上げる。

「そんなお金、……どうやって?」

「補填を申し出たのは、藤田舞さんのご両親です。先ほども申し上げましたように、家柄もよく、裕福でらっしゃいますので――息子のためなら、と」

「─」

 血の気のない顔のまま絶句する夫人へ、追い打ちのように上司が笑う。

 

「余計なことかもしれませんが、息子さんのためにも、あなたがたのためにも、ご結婚は反対なさらないほうがよいのでは?」

 

 魂が抜けたように呆然と出て行く夫人を、営業スマイルで見送った後、

「踏み倒されるかもな」

 ボソリと、上司が零す。

「まぁ、いいか。二度と来ないだろうし」

「……本当なんですか、あれ」

「ん?」

「横領とかって、……最悪じゃないですか。どっちもどっちどころか、あれじゃ舞さんが」

「あぁ、あれね」

 私の言葉に、くすりと笑って。

「嘘だよ。川村幸彦は横領なんかしてない。極々普通に会社員やってるさ」

「…………は?」

「軽く調べたのは本当だよ。同じ会社に友達が居るからちょっと情報もらった。真面目で優秀な経理課主任は母親に執着されて困ってるって有名だ。ついでにあの夫人はご近所でも有名。どういう意味でかはご想像にお任せするけど?」

「だから、嘘教えたんですか? 信用に関わるんじゃ……」

「僕が依頼されたのは藤田舞の身上調査だけだよ。あの報告書に嘘はない」

 キッパリと彼が言う。それは、自分の仕事に自信を持つ者の強い口調だった。

「あかりちゃん。僕は依頼のひとつが完了したから、『もうひとつの依頼』に基づいて行動しただけなんだよ。これ、誰からの依頼かわかる?」

「……まさか」

「そ。母親から逃げたい息子から、ちょっとした情報操作の依頼。ちなみにガールズバーで働いてたことに関しては、川村幸彦も承知してるよ。ふたりの最初の出会いがそこなんだから」

「…………」

 言葉が見つからない。ぽかんと口を開けたまま固まっていると、不意に頭に手が置かれた。

 

「さ、準備して。賭けは俺の負け。昼飯食いに行こう」

 笑いながら、上司は脱いだ上着からポケットに財布を移す。

「────」

 私は今さら、あの賭けが遠回しすぎるランチのお誘いだったことに気が付いた。

 


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