「ちなみに、あなたのご両親はとっくにあなたのことを見限ってらっしゃいますのでご心配なく」
付け加えた言葉には、反応は返ってこなかった。
「穂積もろとも西園まで切り捨てたからわからなかったんですよ。調査員でストップしないでもっと遡って素性調べてたら……さすがに西園姓だってことがわかれば気付けたでしょうに」
フリーズしたままの彼へ、抱擁でも求めるかのように、ゆっくりと両手を伸ばす。
「親が勝手に決めた結婚話が立ち消えになったことに関しては感謝してるよ。――でもな!!」
襟元を掴んで、自分の顔の前へ引き寄せる。
「勝手にいきなり失踪しやがって、おかげで私は十八にして行けず後家扱いだ! 成績優秀、おしとやかで完璧なお嬢様演じてきたのに、一夜にして周りがかわいそうなもの見る目に変わる屈辱がわかるか!?」
締め付けられる苦しさに我に返ったのか、彼がやっと反応を返す。
「ちょっ、あかりちゃん? とりあえず落ち着いて?」
「落ち着けるわけないでしょう!? 自分の家ですら居場所なくなって、私がどんな思いで生きてきたか……っ。文句くらい言わせろよ!」
五年前。父親から、おまえの結婚決めてきた、なんて寝耳に水の事後報告を受けた翌日、顔も知らない婚約者、穂積紘は行方をくらました。
もともと娘の私を家の繁栄のための道具としか見ていなかった父親。役に立たないとわかれば、扱いは地に落ちた。自分の意思で実家を切り捨てた彼とは違い、――私は切り捨てられたのだ。
喚きながら、自分の中で何かが決壊するのを感じていた。
感情がコントロール出来ない。
せめて涙だけは零すまいと、必死に堪える。この男の前で、泣いてたまるか――
「わかったわかった! 場所変えて聞くから!」
「時間稼いでごまかす気満々だろ!? もうやなんだよ振り回されるの!!」
「だから落ち着けって……!」
一瞬、苛立ったようにそう言うと。
彼は少し強引に、その腕で覆い隠すように、私の視界を遮った。
「…………っ」
驚きで、言葉が詰まる。
「……悪かった」
耳元で、低い声が響く。
「君に対してもっと配慮するべきだったのは確かだ。けど、頼むからちょっと落ち着いて」
優しい口調。けれど、いつものような余裕は感じられなかった。
視界を奪われた動物としての本能か、そう強く抑えられているわけではないのに、身動きが取れなくなる。襟を掴む手からも、力が抜けていった。
――あぁ、そうか。
頭が冷えていく中、不意に気付く。
つまり私は、彼が失踪したことに怒っていたわけではなくて、
ただ、彼がうらやましかっただけなんだ、と。
「…………」
そうしていたのは時間にしてほんの数秒。そっと、後頭部に触れた手のひらが、慰めるようにごく軽く髪を撫でる。
「落ち着いた?」
「……はい」
頷くと同時、緩慢な束縛から解放されて視界が開ける。
まず目に映ったのは、目の前の彼の引きつった顔。その余裕のない表情に違和感を覚える暇もなく、襟から離した手を掴まれた。
「逃げるよ」
「……は?」
「さっき通った人に警察呼ばれたっぽい」
「────えっ」
少し離れたところから、ふたつの黒い影が近づいてきていた。
ラブホテルが立ち並ぶこの通りの片隅で、スーツ姿の男に尋常じゃない様子で詰め寄る女子高生。それは残念ながら、ただの痴話喧嘩には見えなかったらしい。
手を引かれ、転びそうになりながら、走る。
「ったく、よりにもよってなんでそんな変装したんだよ!」
「……るっさいな、これが一番違和感なかったんですよ! てか城ノ内さん、警察にも『友達』いるんでしょ!? どうにかしてもらってくださいよ!!」
「『友達』に買春疑われるとか御免なんだよ! あかりちゃんが職質で先生と生徒プレイだとか言ってくれんなら別だけど!?」
「――っっ! 絶っ対嫌です!!」
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