2007年07月29日SIestaWebのCANDY×GAME特設で公開されたもの。
適当に名付けたらタイトルにそぐわない内容になりました。
終わり方が妙に恋愛くさい。
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持つべき荷物のなくなった両手をポケットにつっこんで、なんとなく空を見上げる。
広がる夏の空はほんのわずか、紅く染まり始めている。
遠くで、雷鳴が聞こえたような気がした。
*
夕方六時。
リビングのドアをくぐると、晩飯の支度を終えた母親がソファに腰掛け、のんびり雑誌をめくっていた。
こちらに気付くと、「あぁおかえり」と微笑む。
続けて、彼女の口から出てきた言葉には唖然とした。
「……はぁ?」
もう一回言ってみろ、このババァ。
「たこ焼き買ってきて」
俺の心を読んだかのように、一言一句違わず。
「……俺が今、どこから帰ってきたかわかってるよな?」
「伊藤さん家」
「正解。毎日目の前通ってるくせにいつまでも持ってかねぇから、徒歩で片道二十分以上かかる家にわざわざ回覧板持って行ってやったわけだ」
「うん」
「……まずは礼とかないの?」
「ありがとう」
無表情で即答する母親。まったくもってどうでもよさそうに。
次いで、にこやかに笑うと、
「たこ焼き買ってきて」
また同じセリフを繰り返した。
「……自分で作れよ」
脱力しながら口にするのは、わずかな抵抗。
「面倒。もう晩ご飯も出来てるし」
当然ながら一蹴される。
――……もういい。どうせ暇だし。
この母親はわがままを引っ込めた試しがない。問答するだけ無駄だ。
ため息をひとつ。
「どこまで買いに行けと? またあの店か?」
彼女がちょくちょく買ってくるたこ焼きは、駅前の小さな店のもの。いかにもな頑固親父オーラ漂う店長が焼くこだわりの一品だ。
――ちなみにその店、今前通ってきたばっかりなんですけどね?
こっちの面倒はお構いなしですか、ボス。
思わず文句が出そうになったが、
「んー。今日はもっとありきたりなのがいいなぁ」
母親の口から出た言葉は少し意外なものだった。
「ありきたり?」
「鈍いなぁ。今日は何の日でしょう」
人差し指をピンと立ててにっこり笑う母親の問いに、俺はやっとその意図を把握する。
「……了解」
面倒なことに、今度は逆方向に二十分かかる場所へ向かうことになった。
「あ、お金はその鞄の中入ってるから。そのまま持って行って」
指差されたのは母親の仕事用鞄。
「あ、あんた、行くの久々でしょ? お賽銭分あげるからちゃんとお参りしておいで」
「ハイハイ。じゃ、行ってくるわ」
いい加減に返事しながら、ファスナー付きの黒いトートを引っさげて再び家を出る。
目指すは夏祭り真っ最中の神社だ。
* * *
『大丈夫だよ、迎えに来てもらうから』
賽銭箱の前、ひとりたたずむ私の頭の中で、先ほど自分が言った言葉が繰り返される。
まだそんなに遅くないはずなのに、ぼんやり眺める境内は薄暗くなってしまっていた。
理由はもちろん、少し前から降り始めたこの雨だ。せっかく洸香とお祭りに来たっていうのについてない。
夜店のところにいた大勢の参拝客も姿を消し、今は運良く傘を持っていた二・三組が残っているのみだった。
「天気予報、はずれだったな……」
洸香の家はここからそう離れてはいない。
空の色からしてそう簡単に止みそうになかったから、小降りのうちに帰らせた。
「うちおいでよ。送るから」
彼女の親切は、辞退した。
だってそれじゃあ――。
小雨の中、何度も振り返る彼女に笑顔で手を振る。
「気をつけて」
最悪なことに気付いたのは、彼女の姿が完全に見えなくなってからだった。
音を立てて、血の気が引いていく。
――嘘。携帯……ない。
* * *
――畜生。
家を出た時から、なんだか雲が増えているのには気付いていた。でも、こんなに急に降りだす感じではなかったのだ。
降り始めはポツポツ。なのに突然、バケツをひっくり返したような土砂降り。
これが日頃の行いというヤツなのか、よりにもよって壁と電信柱しかないようなところを歩いている時だったりするわけで。
目的地に辿りついた時には全身ずぶ濡れ。
片手にぶら下げた鞄だけが景気よく水を弾いていて、なんだか皮肉だった。
――さて。
たこ焼きは後回しにして、まずは参拝が礼儀か。
少しだけゆるまった雨。
夜店の立ち並ぶ場所を通り抜け、辿りついた社の前。
額に張り付いた前髪を掻き上げながら、少し視線を上げると、
「……ん?」
見知った顔が、そこにあった。
*
「――」
一瞬、息が詰まった。
石段を上って彼女の横に立つと、鞄の脇から母親の財布を取り出し、
「……お前、何やってんの?」
小銭を放りながら、問うた。
カミサマに向かってしばし手を合わせ、彼女の方に向き直ると、
「……雨宿り」
ボソリと、質問の答えが返ってきた。
「当分止まないぞコレ。迎えに来てもらえばいいのに」
「それが……携帯、忘れたみたいで」
巾着の紐を絞りながら、恥ずかしそうに少し俯く。
「……ふぅん」
その仕草がいつもと比べて随分女の子らしく見えるのは、単純に格好が違うからだろうか。
「お前は? 祭りに来るなんて珍しいな」
「ボスのご命令。たこ焼き買ってこいとさ」
「なるほど」
あはは、と声を上げて笑う。
きれいに結い上げた髪にはちりめんの髪飾り。
鮮やかな赤い浴衣を纏った永沢悠里は、恨めしそうに空を見上げる。
その姿は、初めて見るはずなのに、どこか懐かしくて。
――いつの間に、こんなきれいになったかな。
父親のような気分で思わず目を細めたその時、だった。
静かな境内に電子音が響くのと同時、悠里が、え、と短く声を上げる。
「公隆。その鞄、多香子さんの?」
「あぁ、うん」
音の発生源は母親の鞄。慌ててファスナーを開けると、
「携帯……?」
そこにあったのは、携帯電話。
どこかで聞いた覚えのあるメロディを奏でるそれは――母親のものじゃない。
とにかくつまみ出そうと手を触れた瞬間、辺りに静寂が戻る。
メロディが流れた時間は、十秒なかった程度。
背面液晶の表示を見ると、電話ではなくメールの着信だったようで。
「貸して」
大人しくなった携帯に横から手を伸ばし、彼女が言った。
「それ、私のだよ」
「……なんでお前の携帯がこんなとこ入ってんだよ」
さっぱりわけがわからない。
「ん、多香子さんからだ」
俺の呟きを軽く聞き流し、たった今着信したメールを読む。
何が書いてあったのか、彼女は顔を上げると俺の顔を見つめ、苦笑した。
「……なんだよ」
「鞄の中見てみな。多分、素敵なモノが入ってる」
「あ?」
言われて探ってみると、仕事用の手帳や筆記具の奥から、
「入ってるなら言えよ、ババァ……」
随分小さな折りたたみの――「傘」が現れた。
「お前が気付かないとは思ってなかったんだよ、きっと」
困った顔で渡された携帯には、我が母親からの短いメール文。
『傘は届いた?』
*
――くそ。また騙された。
段々と、霧が晴れていく。
鞄の中にあった携帯電話。
永沢悠里の携帯がうちにあったってことは、彼女がうちに来たってことだ。
『それが……携帯、忘れたみたいで』
携帯がないことにさっきまで気付かなかったくらいだから、そんなに前のはずはない。
おそらくは――今日。俺が回覧板を渡しに行っている間だ。
何をしに来たか、に関しては考えるまでもない。着付けは母親の得意分野だった。
――たこ焼きなんてどうでもよかったんだ。
微かに聞こえた雷鳴と雲の動き。
あの時点なら、ある程度雨は予測出来た。
あの母親なら一七七くらい聞いていたかもしれない。
そう。俺の本当のお役目は、――永沢悠里の迎え。
そしてそれは、少女に対する配慮であると同時に、藤原多香子自身の純粋な希望だった。
彼女は見てほしかったのだ。
完璧に作り上げた、この真紅の作品を。
「帰るぞ」
小さな傘を彼女に手渡すと、降り止まない雨の中を一歩踏み出した。
「え、ちょっ、お前は?」
「俺はいい。もう充分濡れてるし」
今さら傘なんか被っても仕方ない。
なら、彼女が使うべきだ。せっかくの浴衣なんだから。
「……」
複雑な表情で、少女が大人しく傘を開く。
特に急ぐこともなく参道を戻り始めた俺の後ろで、下駄の音が石段を下り、近づいてきた。
「――?」
違和感を覚えて振り返ると、
「……あんまり打たれてるとハゲるぞ」
永沢悠里が俺に傘を差し伸べていた。
――難儀なヤツ。
素直に受け取っておけばいいものを。
仕方ない。長い付き合いだ。コイツの性質は十二分にわかってる。
彼女は自己犠牲的な親切を受け入れるような人間じゃなかった。
んでもって、彼女が傘をひとりで使うことを拒否すれば必然的にこうなる。
今時な相合い傘。照れくさいのはお互い様か。
差し伸べた方もほんの少しだけ、視線を泳がせている。
気恥ずかしさを紛らすように、無言で傘をひったくった。
こういうのはせめて、背の高い方が持たないとサマにならないじゃないか。
「……ひとつ、聞きたいんだけど」
「ん?」
「お前、塔崎と一緒だったんだろ? なんで一緒に帰らなかったんだ」
そう、それだけが疑問だった。
塔崎の家ならここから五分もかからない。
小雨の間に走って帰っていれば、濡れたとしても大したものではなかっただろう。
塔崎の性格からすればそれを提案しないはずはないのだが、彼女は同行しなかった。
こんな時に「甘えるのは申し訳ない」なんていう他人行儀な関係ではないはず。
「だって――私のじゃ、ないから」
苦笑しながら、彼女がポツリと答える。
「お前、気付いてない? この浴衣、見覚えないか?」
「――あ、」
彼女の問いに、俺は、やっと気付いた。
悠里がなぜ、塔崎と同行することを拒否したのか――それほどまでに濡れることを避けたがったのか。
「それ……」
そして、自分がなぜ、彼女の姿にああも懐かしさを覚えたのか。
「うん。これ多香子さんのなんだ」
*
小さな傘の下、とりとめのない話をしながら夜店の間を通り抜けると、
「あ。お前、たこ焼き頼まれてたんじゃないのか?」
彼女は俺の言った用件を思い出し、慌てて濡れた袖を引っぱった。
「別にいいだろ。どうせ口実だろうし」
「いや、それでも、買ってかなかったらまた貸し一とか言われ……」
「ぐ」
不穏な展開予想に、思わず声を漏らす。
それもそうだ。
本当の意図が何だったかなど関係なく、俺自身は「たこ焼きを買ってこい」と言われただけなんだから、従わなければペナルティ。
ボスのことだ。敢えて深読みするなら、迎え云々がサブイベントで、メインの目的はその「貸し」作りである可能性もないとは言い切れない。
「悪い。戻ろう。買っておいた方がよさそうだ」
「あぁ、それが賢明だな」
心の中でぼやく俺の顔を、少女が可笑しそうに観察していた。
――面白くない。何もかもババァの手の内だ。
「くそ。こうなったら腹いせしてやる」
思いついたのは、今の範囲で出来る、仕返し。
「ん? 何すんの?」
傍らには、復讐劇の幕開けを興味津々で見上げてくる永沢悠里。
「――無駄遣い」
*
そう。たこ焼き買わなきゃペナルティは確定。
じゃあ、ご命令通り買っていってやろうじゃねぇか。
俺は今日、数に関してひとことも聞いてない。
なら、ここにある所持金すべて、たこ焼きに変えてやるまでだ――!!
「あはっ、そりゃいいや」
ちょっとやけくそ気味な馬鹿計画を打ち明けると、止めるかと思いきや、実に楽しそうに笑った彼女。
傘を預けると、一歩足を進めてたこ焼き屋の軒下に入る。
「おっちゃん、たこ焼きちょうだい」
「あいよ。ひとつ? 五百円ね」
「あ、いや、ちょっと待って」
そう言えば、財布にいくら入ってるのか見ていなかった。
慌てて財布を取り出す。
中身の額は――
――……っ!
「――ごめん。やっぱ、ひとつでいいや」
数十秒後、焼きたてのたこ焼きの入ったビニールを持って、後ろを振り返る。
軒下から移動して元通り傘を受け取ると、代わりに袋を彼女に渡した。
「食おう」
「……なんだ。結局やめたのか?」
つまらなそうな顔にひとつため息を吐くと、
「残念ながら、ボスの方が上手だったんだよ」
舌打ちしながら、見てみな、と財布を渡した。
「――あ」
その中身に、彼女が小さく声を上げる。
賽銭の時に開けた小銭入れ部分には、十円玉と五円玉が数枚ずつ。だから、ご用命の品を買おうとするなら、札を出すしかなかった。
母親が仕事に持って行くのは「小遣い用」の財布。
そこそこに高給取りで衝動買いの多いボス。この財布にはいつも結構な額が入っている。
でも、この時札入れ部分にあったのは、彼女にしてはかなり少ない、千円札二枚。
そしてその他に――一枚の小さな紙片。
走り書きのその手紙にはこう書かれていた。
『残りは臨時のお小遣いね。お祭り楽しんでおいで』
それは、約束を違えなかった場合のみ気付くよう仕込まれた、俺への褒美。
それとも、こちらのよからぬ企みを含め、最後まで読んだうえでの不意打ちか。
「はぁ……」
その効果は絶大で、あっさりと毒気を抜かれてしまった。
「ホントに敵わないな、多香子さんには」
財布をこちらに差し出し、ポツリと漏らす悠里の顔は、なぜかとても嬉しそうに見えた。
*
帰り道。
片手にぶら下げたビニール袋には、帰り際に改めて買った土産のたこ焼き。
おごりのりんご飴をかじる永沢悠里と世間話で笑いあいながら、
――……うん。
俺は、心の中でひとつ、小さな決心をした。
家に帰ったら今日は素直に「ありがとう」と言おう。
敵わないと認めるようで、少し悔しいけれど。
それでも今日は、母親に感謝していた。
臨時の小遣いをくれたこと。
作品を見せてくれたこと。
そして、彼女と肩を寄せ合える、
――この小さな傘を選んでくれたことに。
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