* * *
五月六日、日曜日。
私はリビングのソファに寝っ転がっていた。
時刻は昼の一時を少しまわったところ。
天気がいいので気分が気分なら買い物にでも出かけるところなんだが、残念ながらそういう気にはならなかった。ぼーっと窓の外を眺めていると、ふいにテレビからバラエティ番組の笑い声があふれ出す。
「……るせぇ」
リモコンに手を伸ばす。ブツン、という小さな音を最後に静寂が訪れた。時折、窓の外遠くから聞こえくる子供のはしゃぎ声以外にそれを遮るものはない。穏やかな時の流れが窓から入ってきたそよ風とともに頬をかすめていく。
私は目を閉じて、思った。
──暇だ。
そう、これ以上ないと言っていいほど。
──これは、いかん。
このままでは家に帰りたくなってしまう。
せっかく──理想とは大分違ったとはいえ──念願かなった一人暮らし。
誰にも邪魔されることなく、ひとりの時間を過ごせる聖域。その点に置いては文句ない。
ただ、その領域が広すぎるのは難点だ。人は狭い方が落ち着くものだと思う。というか、この家にある十もの部屋をひとりで一体何に使えというのか。
それでも静まりかえったこの家は、私を飲み込んで放そうとしない。
──やっぱり誰か連れてくるべきだったか。
塔崎家使用人その一。衣子さん。
群を抜いて高いその掃除能力は、きっとこの家の隅から隅まで、鬼姑の指先に文句を言わせないくらいキレイにしてくれるだろう。
ただ、彼女は掃除以外は軒並み苦手。それしか出来ない分、ずっとどこかを磨いている。
ここが済んだら次はあそこ。テキパキとやっているのはいいが終わりがないのは問題だ。
たまには止まってくれないと、こちらの精神が危ない。
塔崎家使用人その二。綾子さん。
その料理の腕前は某ホテルのシェフレベルと噂される。彼女にきてもらえれば豪華で、それでいて栄養バランスを考えた食事が出来るだろう。
ただ、彼女は金勘定が苦手である。
家にいた頃ならいざ知らず、アルバイトも許されず、食費も含めて定額小遣い制になった私の財布では一回の食事で破産する。その後はシャレ抜きで毎日煮干しになるだろう。
塔崎家使用人その三。貴子さん。
何をさせても問題なくこなせる使用人の鑑。
その仕事は迅速丁寧。性格も柔和で連れてくるなら彼女が最適だろう。
が、彼女は身長一九〇センチ、通称「筋肉」。
失礼ながら、腕の筋肉が私の腰より太いんじゃないかと思えるような彼女を始終そばに置いておくのは、なんだか暑苦しそうなのでごめん被る。
使用人はまだまだいるものの、とりあえず私が親しいと言えるのはこの三人くらいだった。
──……やっぱりいいや、ひとりで。
くすくすと声を出して笑ってみる。それにしても静かだ。
実家でも、自分の部屋では同じような状況だったはずなのに、どうしてこんなに落ち着かないんだろう。
──……そうか。
唐突に、気づいた。
私が望んでいた「部屋を借りる」という形での一人暮らしと、実家の共通点。
そしてそれらとここの相違点。
──同じ建物の中に人がいるって、それだけで安心するんだ。
私の望んだもの。それは互いに干渉しない関係。
存在そのものの消去とは根本的に違っていたのだ。
* * *
パソコンの画面に映るのは、とある検索サイト。
検索ワードの入力欄にカーソルを置くと、私はカタカタとキーを叩いた。
「ルームメイト募集」
これが、数時間に渡って悩んだ末、辿りついた打開策。
友達に来てもらうとか、動物を飼うとか、他にも色々考えた。でも私が欲しいのは話し相手でも、心を許せるペットでもない。
ただ、この家のどこかに存在するだけの「他人」だったのだ。
──Enter。
はじき出された検索結果、二十万四千件。手っ取り早く上から順番に開いていく。
どれでもいい。でも登録だの何だのと面倒くさいのは嫌だ。
そうこうしているうち、登録も何もなく、掲示板形式で募集記事を投稿出来るサイトが見つかった。
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鳥木市内 鳴嶋駅徒歩1分
電気・水道代として月額1万円いただきます。
詳細はメールにて。
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──なんておいしい話。
自分で投稿しておいて、馬鹿みたいだと思った。
もしや希望者殺到するんじゃなかろうか。
……ところがどっこい。数日が過ぎてもメールゼロ。
アドレスを間違えた? まさか。何度もチェックしたはずだ。
不安になって投稿を見直してみるも、異常はなかった。
前後にあった投稿は削除されている。おそらく決定したのだろう。
──もしや、この辺って治安悪いとか? そんな風には見えないけどこの辺あんまり知らないしな。
とにかく、情報が欲しい。手っ取り早く、キーを叩く。「鳴嶋 治安」Enter。
そして、──とんでもないものが見つかった。
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260:匿名さん
家探してんだけどhttp://www.roomxxx.net/←ここの154ってどう?
鳴嶋って治安いいのに駅近で一万ってなんか怪しい物件?
近くの人教えて!
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261:匿名さん
ってか鳴嶋の近くにそれっぽい建物なんてなくね?
T家関連の建物出来たみたいだけどさすがにないだろうし。
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262:匿名さん
裏手じゃね? 幽霊ハウスみたいなのあるだろ。
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263:匿名さん
スネーク行ってみたけど裏手のほうは誰も住んでないみたいだったぞ。
表も行くか?
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264:匿名さん
やめとけ。T家相手にのぞきとか消されてもおかしくないぞ。
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「うわ、やっべ」
他のサイトで、例の投稿が変な意味で話題になっている。しかもスネークされかけてるし。
というか、うち、世間的にはそんなにアンタッチャブルな家なのか?
「……う──ん」
最終的にいたずらとして結論づけられた書き込みの山を一通り見終わると、ため息と同時にソファに身を投げ出し、目を閉じた。
「……上手くいかないもんだなぁ」
ひとしきりヘコんで、ゆっくりと目を開ける。
まぁ、いいや。書き込みは残ったままだから、そのうち連絡来るかもしれないし。希望者なんて多すぎても面倒だ。
考えてみれば、ハウスメイトを迎え入れるという考えに関して、私は未だ親に許可を取っていない。この家に入る時言われた「お前の好きにしなさい」の言葉を盾に無理矢理押し通す気でいたが、こんな形で時間が出来たってことは、ここは事前に言っておけという神か何かの思し召しかもしれない。
早速実家に電話すると、驚いたことに二つ返事で許可をくれた。
「同棲するって言われると困るけど、大家になるなら問題ないよ。勉強にもなるだろうし、好きにしなさい」
残念ながら、家賃は実家に上納。うち三割が小遣いとして還元されることに決定したけれど。
「複数で暮らすとなると不便なとこもあるだろうから適当に手配しておくよ」
だが結局、我が光塔館に新しい住民を迎え入れたのは、それからふた月近く後のことだった。
* * *
六月二十二日、金曜日。ついに一通のメールが届いた。
『はじめまして。山田と申します。ハウスメイト募集の掲示板を見て連絡させていただきました。
知り合いに希望者が居ますが、メールが出来る環境にないため代理で送信しています。
詳細は電話でも可能でしょうか?』
その後には携帯の電話番号と、番号を教えてもらえればこちらからかける、と続いていた。
直感的には信頼出来そうだったが、番号を教えるのも不安に思える。悩んだ末、こちらから連絡してみることにした。
『はじめまして、山田様。塔崎と申します。ハウスメイトの件、仲介ありがとうございます。
お書きいただいた番号は希望者様の携帯電話でしょうか。
こちらから詳細の連絡をさせていただきますので、ご都合のよい時間を教えてほしいと
お伝えいただけますか?』
アドレスが携帯のものだったからか、返事はすぐに返ってきた。
『ご連絡ありがとうございます。それでは明日、午前十時はいかがでしょうか。
彼には連絡しておきます。申し遅れましたが、希望者は金岡優(かなおかゆう)という男性です』
メールを読み終わり、OKと返事を返して、そこで初めて、私は同居人の性別についてまったく考えていなかったことに気が付いた。まぁ、その希望者が交番から徒歩一分半のこの立地でよからぬことを企みそうな輩であれば、なかったことにするだけの話だが。
「……あれ?」
もうひとつ気付く、違和感。連絡しておきます、ということは、この番号は彼の携帯のものなのだろう。なのにメールは出来ない? 不思議な話だ。
まぁいい。気にはなるが、スネークしてきた奴らと違って塔崎の名を出しても引かない「都合のいい他人」が折角手に入りそうなんだ。話くらいしてみてもいいじゃないか。
そうひとり納得して、パソコンの電源を落とす。HDDの止まる音。静けさに響く自分の足音すらも、今日は少しだけ愛おしい。
大きな期待とわずかな不安。その日は床に就いてもしばらく眠れなかった。
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