この世のなかに何人『その日』が訪れることを願った者がいただろう。
一九九九年七の月。旧暦だから八月だとも言われていた。
恐怖の大王はおりてくるのを忘れてしまったのだろうか。
この汚らわしい、人間という生き物を葬り去ってくれるのではなかったのか。
結局、何も起こらなかった。
少なくとも、この東洋の小さな島国では。
「そういや『予言』って…結局当たらなかったよな…」
突然、伸也が言った。
九月に入り、新学期が始まっていた。
学校帰りにいつもの四人で喫茶店により、夏休み中のことを話していたところだった。
「なに?おまえ、まさか本気で人類滅亡信じてたわけ?」
義晃がバカにした口調で言う。
「いや…信じてたって言うと、ちょっと違うんだけどさ…」
「まぁね…べつに期待もしてなかったけど、なんとなく残念に近い感覚は私もある…」
香苗が伸也に助け船を出すように感想を述べた。
香苗はいつもさりげなくフォローにまわる。
「本当に…そう思う…?」
めずらしく、いつも無口なさやか清花が口を開いた。
いつも通りの真顔だった。
清花は三人からすれば少しかわった娘だった。
暗いわけではなく、控えめなわけでもなく、ただ、いつも黙っている。
いつも一緒にいるものの、三人とも清花だけはいまいち何を考えているのかわからなかった。
三人は不思議そうな顔で清花を見た。
「…どういうこと?」
「これからなんか…起こるとでも…?」
清花は首を振った。
「そんなことじゃない」
「じゃあ…」
「もう、人類は滅びてるのかもしれない…ってこと」
「は?」
三人は顔を見あわせた。
「これから私が言うことは…冗談として聞いて。本気にするとかえってあぶないから」
「……」
「このなかに、誰か七月…いや、八月からずっと起きてる人っている?」
「寝てないってことか?」
「いるわけねーじゃん…」
「そう、いるわけないよね。そして、この世界中探してもたぶんそんな人いない。」
三人は清花がなにを言いたいのかまったくわからなかった。
「つまり…自分が寝てる間になにが起こってても不思議じゃない」
「そうだけど…何が言いたいの…?」
「私たちはもう死んでる」
「……」
一斉に怪訝な顔をする三人をみて、清花は言った。
「いや、この言い方は適切じゃない。正確に言うと脳だけの存在になってる」
「なんとなく…話がわかってきた…」
「つまり…夢であると…」
「いや、でも夢ならこんなふうにすればわかるはずだぞ?」
伸也は頬をつねって見せた。
「確かにただの夢ならね。でも…私はいま寝てるあいだに脳だけの存在になったって言ったの」
「寝てるあいだに…?」
「そう、寝てるあいだに。私たちの意識がないあいだに、恐怖の大王…この理論だと地球外生命体っていうのが一番わかりやすいかな、いわゆる宇宙人ってやつ が私たちを実験材料として脳だけ摘出。そうして夢を見せている。そんな科学力があるかどうかはもち ろんわからない。でも宇宙人がいると仮定した場合、それ にどれほどの科学力や文化があるかはわからないからね。夢をのぞき見しながら適度に痛覚やなんかを脳に情報として送り込んでるのかもしれない」
「怖い…もしそれが本当だとしたら…」
「大丈夫だよ…そんなこと…」
「あるわけない…って言いたいの?残念だけどこの理論はどうやっても否定しきることができないから恐ろしいのよ。どうしても証明することが…できないの」
「でも…もしそれが本当だとしても…俺たちはどうすることもできないわけだろ?」
「そうよ」
「じゃあ…本当じゃないとして生きるしかないじゃないか…」
「だから、最初に言ったじゃない。冗談としてとれって。本気にするとあぶないって」
「…はは…清花…たまにしゃべったと思ったら冗談ちょっとキツすぎるぜ…」
義晃が顔を引きつらせながら笑った。
「哲学かなにかでそういうのがあるんだって。『地球は昨日できたものだ。私たちの記憶は植え付けられた仮想記憶だ』って言われたら否定はできない…なにをもってもそれを証明することはできない」
「なるほどね…」
「俺には絶対むかねぇな…哲学…」
義晃が言った。
伸也と香苗は笑った。
そして、清花も少し笑った。
香苗は知っていた。
清花の手首にかすかな切り傷のあとがあることを。
『証明』の方法はあるのだ。
清花がそれを実行しようとしたことはあきらかだった。
帰り道、香苗は他のふたりに聞こえないように、こっそり清花に言った。
「生きていることを『証明』するために自殺するなんてばかげてるよ?清花」
清花は反射的に自らの手首に触れた。
「……もうしないよ」
照れたように言った清花を見て、香苗は笑った。
帰り道を夕日が紅く染めていた。
清花はこの夕日は本物なんだろうかと思っていた。
「……ま、いっか」
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