『誰も知らない英雄譚』
目が覚めたら魔法少女になっていた。
何を言っているのかわからねーと思うが正直おれもわからない。
「おいなんやねんこれ…」
鏡の中でふりっふりレース全開のミニスカワンピを纏った自分が死んだ魚のような目でこちらを見ていた。うさぎもさくらも真っ青だ。なにせ定年間近のおっさんだ。どこかで見たような気がしたが、あぁ、あれだ。レディ●アードさん。あんなに筋肉ないけど。
確かに昨日は酔っていた。家に帰ってきたことを覚えていないくらいに。
しかし誰が着せたんだこんなもの。昨日最後まで一緒だった面子は男ばかりだったはずだがまさか私物か。
「あかん、着替えな」
ぼんやりとしている場合ではない。そろそろ出勤時間だ。幸い酒は残っていないようだし、むしろすこぶる元気だ。色々な疑問に頭を悩ませつつ、胸元のボタンに手をかけた。
が。
「なんやこれ…脱げへんぞ」
淡いピンクの布地は、軽く覆うようにやわらかであるのにも関わらず、ぴったりと自分の身体から離れようとしなかった。
「うーん…背に腹はかえられんしな…」
許せ、部下たちよ。お安くはなかろうがこの格好で出社はできんのだ。
ハサミを手に取る。胸元の隙間に片刃をねじ込んでひと思いに──
「おい切れへんやんけ…」
なんだこの服は。ケブラー繊維ででもできてんのか。
その後15分に渡り躍起になって格闘するも服には傷ひとつつけられず、おれは魔法少女でいることを余儀なくされた。
部下に電話をかけ、休むことを伝える。
「ちょっと世界を救いにいかんなんようになってな」
「あほなこと言うてんと寝とってください。酔っぱらってさぶいとこで寝て風邪ひかはったんちゃいますのん」
部下はあくまでいつものノリで、少なくともこの服を着せたのはこいつではなさそうだった。
「まぁ加藤さん有給いっぱい余ってるし、ちょっとゆっくりしやはったらええんちゃいます」
少しだけ優しくなった声に気遣いが見えた。
「そやな。ほな、仕事のほうは頼むわ」
苦笑して電話を切る。
「休みはええけど…どないしよ」
ため息とともに布団に倒れ込む。
「どっこも行けへんし、洗濯もでけへんな…」
ここは三階だ。ベランダに出れば前の道から見えてしまう。
「なんやねんなもう…」
傍らに立てかけてある古風な布団たたきを手に取る。独特の形はどこか魔法の杖っぽい。
戯れに振ってみたがヒュッと寒い音がしただけで魔法も耳の長いインキュベーターも出てくることはなかった。
二日目。
洗濯は部屋干しすることにした。服は相変わらず脱げないがパンツだけは脱げることがわかったのだ。
しかし、夏場じゃなかったのは幸いだが風呂に入りたい。そういう欲求の延長線上にひとつの疑問が生まれた。
あの日来ていたスーツがない。おれはどこかで着替えてこの格好で堂々とこの部屋に帰ってきたということか?
「……ないな」
いくら酔っぱらっていたとしてもあり得ない。
現実を受け止められなかったおれは、地球外生命体とか魔法の国とか、そういう色々ぶっ飛んだ代物の存在を信じ始めていた。
三日目。
食料が心配になってきた。明日には買い置きのラーメンが底をつく。
欠勤の連絡を聞く部下の声も深刻なものになってきた。非常にまずい。このままでは様子を見に来られてしまう。
おれの尊厳の危機だ。来るな。頼むから。
そして逆に、頼む。この魔法少女加藤になにかの使命があるのなら、マスコットキャラでも王様の使いでもなんでもいいからとっとと来てくれ。
どうせもうすぐ定年の身だ。ここで餓死してコスプレ死体として発見されるくらいなら、使命を果たす努力をして潔く露と消えようではないか。
なにも出てこないのはわかっていても。
切望を胸にまた、布団たたきを拾い上げる。
それは魔法の杖が、鋭い音を立てた瞬間。
キリキリ、と。
ベランダで音がした。
暗い室内からまぶしいベランダを振り返る。
つるしたパンツの向こう側。
ガラスの欠片が落ちる音。
ガチャリと鍵が回る音。
ガラスのサッシが滑る音──
そして、目が合った。
侵入してきた男が声を発する前だった。
「見るなああああああああっ!!」
布団たたきが空を切った。
我に返ったのは、慌てふためいた侵入者がベランダから飛び降りた後だった。
遠く、救急車のサイレンが聞こえる。近づいてくる、その音。
開いたままのサッシ。冷たい空気とともに近所の人々のざわざわした声が舞い込んでくる。
あの男は死んだのだろうか。
色んな意味で怖くて様子を見ることもできない。
「大丈夫。生きてますよ」
部屋の片隅から声がした。
「はじめまして、加藤さん」
暗い本棚の影。身長30センチくらいの亀の甲羅を背負った珍妙な生き物がポーズをとりながら近づいてくる。
「遅いやろ」
「ですね。説明する前にもう全部終わってしまいました」
「なんじゃそら」
亀は穏やかに微笑む。
「ぼくは未来から来たんです。この世界の崩壊を止めるために」
「ほう」
「おめでとう。そしてありがとう。世界はあなたに救われました」
大仰な言い方に、乾いた笑いが漏れた。
「なんの話や」
「あの男は骨折して逃げられず、おとなしく逮捕されました」
「こそ泥ひとり捕まえたくらいで世界が救われたんか。ってか勝手に落ちただけやし」
「そうですね。でも、あなたがいなければあの男は能力を買われ、世界中で十二人の要人を暗殺する凶悪犯になる予定でした」
「えっ、なに、あれそんなすごいやつやったん」
「はい」
ですから、と亀は斜めがけした鞄から紙袋を取り出す。
「あなたは世界の恩人です」
亀は、大真面目に、まっすぐに。
「未来は書き換えられた。崩壊しない世界にはあなたの活躍が伝えられることはないでしょうが」
「いやいや、当たり前や。伝えられてたまるか」
「これはせめてものお礼です」
紙袋ごと押し付け、うやうやしく礼をする。
「では、私はこれで」
じゃ☆とウインクしてまばゆい光に包まれる亀。ゴウ、と風がうなる。
「えっ、ちょっ、」
コレ何? っていうか待って。何か超重要なこと忘れてない?
問いただす前に光は消えた。当然のように亀の姿もなく。
数秒のタイムラグのあと、ふわりとスカートが重力に身を任せた音だけが耳に響いた。
* * *
「加藤さん、おはようございます! 風邪直ったんですね!」
「心配してたんですよー」
「死んでたらどうしょうか言うてたんですよ。今日来やはれへんかったら見に行こかて」
「はは、悪かったな。休んで」
傍らに巾着を置く。中身は亀に渡された戦利品。
紙袋の中身を見た瞬間、笑ってしまった。
そして理解した。
きっと仕組まれていたのだろう。
すべては、この世界を救うために。
「で、加藤さん。世界は救えたんですか?」
「当然やろ。おれを誰や思てんねん」
恥ずかしい英雄譚は、誰にも知られることはない。
にやりと笑いながら、傍らの巾着を撫でる。
もとの自分に戻るために、躊躇なく開けたその玉手箱。
中身のサンドイッチは我ながらなかなかの出来だった。
—–
今年300字以外全然書いてないな! って思ってたら滑り込みで書けました。一晩かけて何やってんの…
なんでこんな話になったのか? なんでおっさんにしたのか? なんで関西弁にしたのか?
自分でよくわかりませんが、なんでやろね??
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