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傍らのしあわせ
2014/12/30 19:54 □ 短編・ショートショート
即興掌編
—–
傍らのしあわせ
「こらこら、そこ座らない!」
「……ちっ」
「今舌打ちしたな、おい」
「うるせーな」
「テーブルの上に座るなっていっつも言ってるでしょ! 行儀悪いなぁ!」
「テーブルじゃねーよ、こたつだろ」
「一緒なの!」
「はいはい、わーったよ」
面倒そうにため息をついて、彼がこたつから離れる。彼の座っていたところに持ってきた鍋を置くと、私はこたつに足を入れた。
「めんどくせー女」
「ひろちゃん、文句言うならご飯食べさせないよ」
「……生ゴミぶちまけてやる」
「それだけはやめて」
くっと短く笑って、ひろちゃんは床にあったリモコンのボタンを押す。数秒の静けさの後、テレビからバラエティ番組の音声が流れ始めた。あまり興味のない大晦日の特番。
あと一時間もすれば、カウントダウン。
三ヶ月前、事故で両親を亡くした私が初めて迎える、たったひとりのお正月。
いや、ひろちゃんが一緒にいてくれるからひとりじゃないか。
鍋の中から白菜と鶏肉を取り分けて彼の前に置く。めんつゆ風味の出汁が勢いよく湯気を立てていて、それを顔に浴びた彼が嫌そうな顔をした。
「これ熱すぎだろ」
「そう? 猫舌だね」
「いや、これはお前でもやけどすんぞ」
「大丈夫だよ。鍋なんて熱いのふーふーしながらゆっくり食べるのがいいんじゃん」
「めんどくせー。わかんねーよ」
早く食べたいのに、と恨めしそうにこちらを見てくる彼に、
「仕方ないなぁ。じゃあ、ふーふーしたげよっか?」
からかうような台詞を口にした。
ひろちゃんは一瞬、お前なぁ、と呆れたような視線を寄越したけど、
「……うん」
と、器の中身を見つめながら、小さく頷いた。
「お前、よく食うなぁ」
食後、みかんのカゴに手を伸ばしていると、呆れたようにそう言いながら、ひろちゃんが私の膝に頭をのせてくる。
「珍しいね。どしたの、甘えて」
「逆だよ。甘えたいんじゃないかと思ってさ」
「……うん」
さすが。二十年以上をともにしてきた彼にはお見通しか。
膝を見下ろして、そっと彼の頭を撫でる。
「ひろちゃん……帰ってきてくれて、ありがとね」
涙が頬を伝う。両親が亡くなる前後の一週間、彼がいなくなった時のことを思い出してしまった。何をしていたのかは後から聞いたけれど、もしあのまま帰ってこなかったら、私はひとり、今もちゃんと生きていられただろうか。
「本当に、ありがとう」
もう一度繰り返す。気持ちよさそうに目を閉じていたひろちゃんが、むくりと体を起こした。
私の膝に手をついて伸び上がる。近づいてきた顔が、私の下唇に、つつくようなキスをした。
「泣くなよ、涙で毛が濡れるだろうが」
ペロリと、ざらついた舌で頬の雫を舐め取った彼は、ちょっと恥ずかしそうにそっぽを向いて私の膝に座り直した。
「一緒にいてやるから、俺が人間に化けられるようになるまで、死ぬんじゃねーぞ」
照れたようなその声は、なんだかものすごく高いハードルを提示してきて。
「……うん。頑張る」
私は笑いながら、小さく頷いた。
「大好きだよ、ひろちゃん」
除夜の鐘が鳴り響くのを聞きながら、にゃあと暴れる小さな体を後ろから抱きしめる。
愛しき二股の尻尾が、放せ放せと怒りをこめて、私をペシペシと叩いていた。
—–
お読みいただきありがとうございます。
ということで、思いつきの短編、猫又オチでございました。
珍しくツンデレですな。
叙述トリック系になるのか、これ?
お時間が許すなら、二回読んでみてください。
上手く騙せていたなら、一周目と全然違う印象になると思います。
普通に途中でばれてんじゃないかって気もしますが。
とりあえず今の心境 : あぁもう、モフりたい……!
伸び上がってチューしてくるシーンが作者の萌えポイントでございますw
比較的頑張った一年の書き納めとしては、穏やかでいい感じのものになったのではないかと思います。
2014年は色々アクティブな一年でした。
相手をしてくださった方々、ありがとうございました。
ちなみにひろちゃんは、猫ひろしからつけたんだぜ?(台無し
Twitter300字SS「某所にて」
2014/12/06 22:20 □ 短編・ショートショート
Twitter300字SS お題「クリスマス」
題名 : 「某所にて」
ジャンル : オリジナル。恋愛…か?
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「ねぇ、」
座卓で手にした紙を確認しながら。
疲れ切った様子で隣に腰を下ろした彼に声をかける。
「ん?」
付き合い始めて三ヶ月。
「今日何の日か知ってる?」
「大正天皇の崩御日」
「……他には」
「逸見さんもそうだっけ?」
「なんで命日ばっかりなのよ。誕生日で有名な人いるでしょ?」
「あぁ、リヴァイ兵長がそうらしいな」
「……なんでそんなに詳しいのよ」
「そりゃ調べたから。現実逃避で」
「むぅ」
不服そうな声に笑って、
「まぁでも、終わったら飯でも行くか」
白い袴の神主は、巫女の頭に手を置いた。
今日は十二月二十五日。
ここ神社では、一番の繁忙期に向けて準備に追われている。
—–
参加してみたかったけど全然浮かばず、上記を思いついたのが開始30分後。
書き始めから一時間以内の投稿ってのは私にしては頑張ったと思うの(^^;)
夢見るものたち
2005/08/30 00:31 □ 短編・ショートショート
やわらかな朝の光に包まれ、僕はいつものように目を覚ます。
ベッドの横に置いてある棚の上にあるはずの目覚ましを、目を閉じたまま、手探りでつかもうとする。
…が、手は空中で空回りするだけで、目的のものには一向に触れられない。
――あれ? 寝ぼけて叩き落としたかな?
僕はぼんやり目を開けた。10年来、寝起きを共にしてきた目覚まし時計。
叩き落としたわけではなかった。それはちゃんとそこにあった。
多少、場所が移動させられていたけど。
針が示す時刻は8時半。
――8時半?!
しまった。遅刻だ。思わず跳ね起きる。
入社してから6年、一度たりとも遅刻なんてしたことなかったのに。これじゃ間に合わない。
反動のように起こる脳貧血と、窓から流れ込んでくる強い光で一瞬、目の前が真っ白になる。
ベッドの横に揃えてあるスリッパを履き、一歩踏み出したときだった。
僕はやっと気づいた。
白いカーテン、白いベッド、白い床、白い棚――すべてが白一色の小さな部屋。
――どこだ、ここ。
枕元に垂れ下がる物体。見たことがある。ナースコールだ。
思い出したように鼻も活動を始める。消毒液のにおい。
清潔でいて、妙に落ち着かない気分にさせるこのにおい。
――病院?
そう、病院だ。なんで僕はこんなところにいるんだろう。
やけに重く感じる足をなんとか動かして、とりあえず目の前の白いドアを開けてみる。
ちょうどドアの前にいた、台車を手にした看護婦と目が合った。
彼女は目を丸くし口を開けたまま、台車を放り出してもと来た道をあわてて戻っていってしまった。
――失礼な。化け物でも見たような顔をして。
当たらずとも遠からず、だったかも知れない。少なくとも、その看護婦にとっては。
僕はその後すぐに、駆けつけた医者に鏡を手渡され、こう言われたのだ。
「あなたはもう何十年も眠り続けていたんですよ。意識が戻ったのはまさに奇跡です」
医者の話では、僕は28歳のとき事故にあい、今は65歳。
つまり、37年もの間昏睡状態だった、ということだった。
「嘘だ」
つぶやいてみても鏡の中の自分が本当だといっている。
別人のようになった顔が、時の流れを確かに示していた。
自分より年上に思えるこの医者たちも、鏡に映る僕よりは明らかに若いのだ。
「嘘だ…」
何かの間違いだ。僕が65歳? そんなバカなことがあるもんか。
37年? 知らない。知らない!
そんな長い間、僕はただ眠っていたっていうのか。
僕はただ、起きただけだ。目を覚ましただけなんだ。
なんでこんな長い時間を突きつけられなきゃならないんだ。
「悪い冗談だよ」
騙そうとしてるんだ。僕を騙して何になるんだか知らないけど。
だってそんな理不尽な話ってないじゃないか。
目が覚めたら僕はすべてを失っていました。仕事も、若さも、そして人生における37年という長い時間も。
すべて、すべて、すべて、すべて、すべて! そんなバカな!
気がついたら、医者の襟元をつかんで問い詰めるように叫んでいた。
涙があふれて、顎からしずくになって落ちるのがわかる。
深刻な顔の医者や看護婦。
「近衛さん、とにかく落ち着いてください」
僕を哀れむような、痛々しい表情で医者が言った直後、ひとりの看護婦の表情が変わった。
何かに気づいた様子で、パッと明るくなる。
「ほら、近衛さん、奥さんがいらっしゃいましたよ!」
――奥さん?!
「奥さん!近衛さん、意識が戻られたんですよ!」
「お電話したんですけどもう出られた後だったみたいで、いらっしゃらなくて…」
口々に話しかける看護婦。しかし彼女には何も聞こえていないようだった。
彼女の目は僕に釘付けになっていた。
やがて、涙が目の端からこぼれ落ちる。
「おかえりなさい」
ずいぶん年老いてはいたが、彼女の顔は確かに見覚えがあった。
「…咲子?」
僕と同い年の、僕の恋人。
僕にとっては昨日のようなもので、彼女にとっては37年前をともに過ごした、僕の婚約者。
彼女が――この、深くしわの刻まれた年配の女性が――。
涙で今にも崩れそうな笑顔。それが彼女の答えだった。
――Yes
「あ……あぁ…」
うめき声ともなんともつかないような声が、のどの奥から漏れ出した。
これは悪夢だ。
こんなことが、現実であるはずがない。
そうだ。これは夢なんだ。
頬をつねってみれば、きっと布団の中の僕は夢から覚めるはずだ。
そう思って、頬に手を当てる。冷たい手の感触。そして、軽い痛み。
嘘だ。現実であるはずがない。
僕の頭は、あくまでこの状況を受け入れようとしなかった。
無意識に、頬にあった自分の手に噛み付く。
周りにいた看護婦や医者たちは、僕が何を始めたのか理解できず、呆然と、ただ、見ていた。
僕の手から血がにじみ、それが僕の唾液と交じり合って腕を伝い落ちるころ、咲子が叫んだ。
「やめて! 何やってるの?!」
その声で、多分、そこにいた全員が我にかえった。もちろん僕も含めて。
血だらけになった右手の治療を受けている間に、僕の頭はずいぶんと落ち着いてしまった。
人間というのは意外と強くできているものだ。
自分自身が手の肉を噛みちぎってまで否定しようとしたこんな状況でさえも、僕はいつのまにか納得してしまっていた。
病室のベッドに腰かける僕の傍らには、咲子が座っている。
なんとなく言葉が出てこなくて、頭の中でうまい言葉を探し続けていた。
聞きたいことなら、たくさんあった。
何から聞けばいいのかわからないほどに。
僕のこと、会社のこと、37年間に起こった世界の変化のこと、
そして、この37年を、咲子はどうやって過ごしてきたのかということだ。
「奥さんだって…名乗ってたの、バレちゃったね」
不意に、彼女が口を開く。とても照れくさそうに、ひとことひとこと選ぶようにゆっくりと。
「籍なんか、まだ入れてなかったのに」
「僕はずっと、考えてたけどな」
そう、僕は眠る前からずっとそのことばかり考えていたんだ。
「ねぇ、私もう、奥さんでいいよね?」
少し、不安そうな声だった。
長い眠りの後で、気が変わったりしていないか心配だったのか。
「…君は僕の奥さんじゃないよ」
「え?」
「まだね。ちゃんと婚姻届を出そう。まだ昼だから今からでもいい。もっとも君がこんなじじいとじゃ嫌だっていうなら別だけど」
一瞬沈黙した後、彼女はふっと笑った。
「恥ずかしいですよ。じじいとばばあで婚姻なんて」
「そんなこと、かまわないよ」
顔を見合わせて、僕らはしばらく笑った。
僕らは、そのあと、本当に届けを出しに行った。
帰り道、子供みたいに手をつないで歩きながら、僕は言った。
「晩婚になってしまったね。本当にすまなかった」
「あなたのせいじゃないんだから謝ることはないわ」
「でも、37年も待たせてしまった」
口に出してから、言うのはとても簡単なことだと気づく。
僕にとって、この37年は架空の年月だった。
しかし、目の前の彼女は37年という本当に長い時を、実際に生きてきたのだ。
「じゃあ、ひとつだけ、願いをかなえてくれる?」
彼女は無邪気に笑った。37年の年月など感じさせない、あのころそのままの笑顔で。
「新婚旅行に連れて行って」
「…新婚旅行?」
「そう。昔一緒に遊んだところ覚えてる? あのタンポポがもう一度見たいの」
そうだ。子供のころ、ふたりで一緒に遊んだあの小さな土地。
一面にタンポポが咲き誇っていて、僕らは綿毛を飛ばして遊んでいたっけ。
「じゃあ、今から行こう」
子供のころに遊んでいたようなところだ。
数十分もあれば歩いていける。
「ちょっと待って。準備がいるの」
咲子は途中で家により、古ぼけたカメラを取ってきた。
「まだ、フィルムが残ってるのよ」
そういうところも変わっていない。
こいつは、たった一枚フィルムが残っているだけで、一年だろうと二年だろうと現像に出さない。
一枚なら適当に撮ればいいじゃないか、と昔言ったことがある。
彼女は、どうでもいい写真を一枚とるくらいなら現像しないほうがいい、と答えた。
大切なものだけ、撮りためていたいらしい。
このフィルムにも何年前の景色が写っていることやら。
目的地に着いたとき、僕らは目を疑った。
あのころと、本当に何も変わっていない。
目が覚めるような黄色い花たち。やわらかな風が吹き、舞い上がる綿毛。
僕らが子供のころに遊んだ土地だ。
咲子はああ言ったものの、本当に変わらない景色を見られるなどと思ってはいなかった。
なのに、ここの土地はまるで、あのころから時が止まっているかのようだった。
僕らは昔座った石の上に、同じように並んで腰掛けた。
言葉を失ったようにタンポポの群生を眺める。
しばらくして、思い出したように、咲子がカメラのシャッターを切る。
そして、ゆっくり話し始めた。
「あなたが事故にあって…、はじめのうちはね、このまま二度と目覚めないんじゃないか、って思ったりしたの。もしそうなったらどうしようって。何日もそればかり考えて、夜、横になっても全然眠れなかった」
僕はどう返していいのかわからず、ただ、黙っていた。
「考えないことにした。信じることにしたの。いつ目覚めるかなんてもちろんわからなかったけど。今日は目覚めなかった。でももしかしたら明日は目覚めるかもしれないでしょ? こう考えれば希望が尽きることなんてないもの」
僕に向かってシャッターを切り、子供のように笑いながら話す、その言葉が痛かった。
「ずっと、何考えてたかわかる?」
「…いや」
「あなたに最初に言う言葉。あなたの寝顔を見ながら、37年間ずっと考え続けてきたの。あなたが夢を見ている間、私はずっとあなたが目覚める時の夢を見てたのよ」
少し、視線を下げて続ける。
「結局、『おかえり』しか言えなかったな…」
残念、という表情だった。
「僕は…君になにもしてやれないのかな」
「なんで? 私は幸せよ。なんたって結婚したばかりなんだから」
僕の暗い表情を変えようと、おどけてみせる。
僕は少しため息をついて、足元に生えているタンポポをむしった。
「本当に君は強くなったね。いや、僕のせいで、強くならざるをえなかったのかな。でもね、僕が起きたからといって君は幸せになれたとは限らないだろう。例 え後10年はやく起きていたとしても、もしかしたら僕は君にとってよい夫になれなかったかもしれない。今の僕も同じだよ。37年もの間、眠っていただけの 人間に魅力はあるのかな? 僕は、君に何も与えてあげられない」
咲子は少し寂しい顔をしていた。
「私が…、何かを与えて欲しくて、待ったことの代償が欲しくて、あなたを待ってたとでも思ってるの? 私は、あなたが一緒にいてくれることだけで十分だわ」
「そうだね。僕にできることと言えば、ただ、これから先、一緒にいることくらいだ」
僕は言いながら、彼女の髪に花冠をかぶせた。
少々不細工だが、37年の寝起きで手先がおぼつかない状態で作ったにしては上出来だろう。
驚いている隙に、彼女の手からカメラを引ったくり、彼女に向けてシャッターを切る。
「覚えてるかい? 作り方は君が教えてくれたんだ」
咲子は今日初めて、心の底から、満面の笑みを浮かべた。
その顔に向けて、僕はもう一度、シャッターを切った。
一ヶ月後、咲子は急逝した。
死に顔は、花冠のときと同じくらいの笑顔だった。
僕とともに過ごした一ヶ月、彼女はいつも幸せでいられただろうか。
葬式の最中、僕はそればかり考えていた。
彼女との別れはもちろんつらかった。
ただ、彼女が幸せだったのなら、満足なようにも思えた。
僕が起きるのがあと一ヶ月遅ければ、僕も彼女も、ともに楽しい時を過ごすことなどなかったのだから。
彼女の葬式から三日が過ぎた日、庭に植えた木に花が咲いた。
この花の名前は知らない。咲子が植えていたものだ。
僕はひとり、この花の姿をカメラに残した。
自分が植えていた花だ。咲子もフィルムを無駄に使ったと文句は言うまい。
そして、それがフィルムの最後の一枚だった。
これで、やっとタンポポの冠をかぶった咲子が拝める。
僕はすぐにフィルムを現像に出すことにした。
はやく見たかったのだが、この町には短時間で現像してくれる写真屋がなかった。
しかたなく、カレンダーに丸をつけ、指折り数えて引渡し日を待つ。
引渡し日には、開店直後に店へ駆け込んだ。
店員から写真を受け取り、金を払って店を出ようとする。
「近衛さん、そのフィルム、いつから入ってたんですか?」
「さぁ、咲子が使ってたもんだからいつから入ってたことやら…」
「かなり古いものじゃないかと思うんですが…実は少し像が緩んでるんです」
「あぁ、まぁかまわんよ。しかたないんだろ」
「すいませんねぇ」
帰る途中、僕は待ちきれず、写真の入っている袋を開けた。
一枚目は、一面のタンポポが写っていた。一ヶ月前のものだ。
次は僕の顔。視線をやや下に向けている。
次の写真には花冠をかぶって呆然とする咲子の顔が映っていた。
ということは次が、僕の見たかった笑顔の咲子なんだろう。期待して次の写真を見た。
だが、そこにあったのは、一枚のぼやけた写真だった。
咲子の顔ではない。
――僕の顔だ。
一枚前のようなさえない表情ではない。満面の笑顔だ。
像がぼやけてあまりきれいには写っていないが、僕にはわかった。
――これは…37年前の写真だ
写真には37年前の僕と咲子の姿が写されていた。
4~5枚ずつ、違う場所で撮られている。
当然、そのすべてに、見覚えがあった。
僕が昔、彼女と一緒に行った場所だった。
これが咲子の大切な写真。
それらは、37年間、カメラが使われていなかったことも示していた。
僕は、彼女の時を止めていたのだ。
彼女の写真で切り取られる「大切な時」は、常に僕とともにあった。
最後の一枚は一ヶ月前、僕が撮った花冠で笑顔の咲子だった。
僕が一番見たかった写真。幸い上手に撮れていた。
彼女はきっとこの瞬間、自分は幸せだと感じてくれていたんだろう。
へたくそな冠の下で、彼女はいつまでも笑い続ける。
切り取られた時の中で、そう、永遠に――
高き塔より
2005/08/30 00:30 □ 短編・ショートショート
彼は言った。
「高所恐怖症の人間は、なぜ高いところが怖いんだと思う?」
私は黙って首を振る。
「怖いんだってさ。自分が、いつかそこから飛び降りるんじゃないかって」
彼の言葉には、確かに一理あるような気がした。
「おいで。怖くないから」
「だめ……やっぱり怖いよ」
彼に手招きされるまま、一歩前へ踏み出したものの、そこから先は自分の足が、凍りついたように動かなくなる。
学校の屋上。校庭では感じられない、強い風が背を押す。
それでも。
それでも私の足は動かなかった。
目の前に拡がる風景。いつもとは違う。ここは高い。高い。高い。高い。
――怖い。
ぐらり。
目の前が、世界が揺らぎ、立っていられなくなる。
呼吸が荒い。
いや、それは錯覚かもしれない。
今、私は呼吸をしているのか?
わからない。激しく脈動しているはずの心臓の音すら聞こえない。
「…ぁ」
震えた唇から、微かに声が漏れる。
「大丈夫。ゆっくりでいいから、そのまま這っておいで」
彼に言われるまま、硬直した腕で、足で、移動を始める。
自分の呼吸音さえ聞こえないのに、彼の透き通った声がやけに脳に響く。
「大丈夫だよ。君はここから落ちたりなんかしない」
「君に、あの景色を見せたいんだ」
つきあい始めて数ヶ月。放課後、彼はいつも私を屋上に誘った。
夕焼け空が、本当に綺麗だといって。
それを一緒に見よう、と。
「そうだ。君は鳥なんだよ」
フェンス代わりの低い壁に腰掛けて、ちらりと私を見る。
「鳥なんだから、落ちたりしない。翼があるんだから飛べばいいだけだ」
獣みたいに這いつくばっている私を背に、饒舌に語る。
「これは暗示だよ。ね?もう怖くないだろ?」
足下まで辿りつき、一息ついた私の腕を彼がつかんだ。
そのまま、引っぱり起こす。
「――――」
言葉を失う。
そこにあったのは、真っ赤な景色。
何もかもが赤く染まって、太陽としばしの別れを惜しんでいる。
「綺麗だろ?」
「…うん」
ふと、眼下に拡がる闇が目に入る。
あぁ、大丈夫。私、もう、落ちることは怖くないんだ。
だから。
とん。
その音はとても軽く。
彼の温かい感触が、私の手に残った。
空中に身を乗り出した彼が、一瞬振り返ったような気がした。
―― ナ ゼ ?
簡単。
私が高いところを怖がっていた理由はふたつ。
ひとつはあなたの言ったとおり。そしてもうひとつが――
「いつか自分が、そこから『誰かを突き落とす』んじゃないか」って理由だっただけ。
僕の罪
2005/08/30 00:26 □ 短編・ショートショート
部屋に入ると、薄いカーテンの向こう側には月が浮かんでいた。
電気も付けず、月の光が差し込むだけの薄暗い部屋で、僕はそのまま玄関先に倒れ込む。
一度、床に吸い込まれるように力が抜けた後、思い出したように身体が震え出した。
「どうしよう」
のどの奥からこぼれだしたのは、予想以上に泣きそうな声だった。
部屋の中には毛布が一枚と、拾ってきたちゃぶ台がひとつ。
四日前に引っ越してきたばかりの僕の新しい部屋には今のところそれしかなかった。
重い身体をなんとか起こして靴を脱ぎ、ちゃぶ台のところまで這う。
台の上には今朝買ってきたパンがのっていた。
腹も減っていないのに、僕はそれに手を伸ばし、ひとくちかじった。
「……っ!」
一息つく暇もなく、僕は洗面台に走った。
今のどを通ったばかりのパンとともに、水道水に混じった大量の胃液が排水溝へと消えていく。
「はぁ…っ」
涙で視界がゆがむ。
一度瞬きをするとその一滴は頬を伝わず、直接洗面台に落ちた。
二滴、三滴目は頬を伝い、それでも同じように洗面台で微かな音を立てる。
のどの奥が痛くなって、僕は激しく咳き込んだ。
静かな部屋に響き渡る水音と自分の咳が、なぜか不安をあおる。
苦しかった。怖かった。
このまま消えてしまえたらどれだけ楽だろう。
洗面台の縁にしがみついて、僕はへたり込んだ。
「…助けて…」
右手にはまだ感触が残っていた。
――そうだ。僕は、罪を犯した。
僕は携帯を持っていない。
その代わりに、部屋の片隅に古い電話機が置いてあった。
電話しないと。
決心して受話器を掴む。
ダイヤルする手が震えた。
――どうしたの?
「未来(みき)…どうしよう、俺…」
――………
「あいつを殺したんだ、さっき」
――………!
「ずっと、ずっと、あいつがいるから苦しいんだって思ってた」
――慶……
「あいつさえいなければ幸せになれると思ってた」
――………
「でも怖いんだ。あいつがいなくなって、すべてが終わったはずなのに。
これからどうなろうと、あの生活を続けるよりましなはずなのに」
――…ねぇ、慶。なんで?
なんであいつを殺したの?
「なんでって…」
――知ってる。知ってるよ。ずっとずっと辛かった。
でもずっと我慢してきたんじゃない。なんで今さら…
「やっぱり許せなかったんだ」
――どうして?もう終わったことじゃない。
あいつに隠れて必死にお金貯めて、やっとあの家での生活を終わりにしたんじゃない。
「…でもあいつには何の報復もしてないじゃないか」
――恨み?そんなことであなた、自分の人生終わりにしたの?
嘘よ。あなたはそんな人じゃないわ。
ねぇ、慶。本当の事言って?何があったの?
「……何もないよ」
――…私が原因?
「……違う」
――じゃあ何であの家に戻ったの?
…ポケットに入ってる紙が原因じゃないの?
「…知ってたのか」
――ごめんなさい。あなたが眠ってる時に見たの。
ねぇ、あれ、どういうこと?
「あいつは…未来を…君を知ってたんだ」
――………
「『お前はいらない。もうひとりだけ帰ってこい』
郵便受けに入ってたんだ。ここ、どうやって調べたんだろうな。
…はは…俺はいらないんだってさ」
――慶……
「それでまたあそこへ行ったんだ。どういうつもりなのか知りたくてさ」
――バカだね…そんなの無視すればよかったのに
「自分でもそう思うよ。あいつ…なんて言ったと思う?」
――…わからないよ、そんなの…
「『お前じゃない。お前は殴りがいがないんだ』」
――……っ
「許せなかった。親父にとって俺はそれだけの存在だったんだ」
――でも…それでも…
「もういいよ」
――………
「なぁ、未来?」
――……?
「結婚してくれないか?」
――……え?
「一緒になってくれないかな」
――…できないよ。
「なんで?」
――わかってるくせに。
「いいんだよ。そう思ってくれるだけで。紙なんか問題じゃない」
――お互い顔も見たことないのに?
「ははっ、そりゃそうだけど。ダメかな?」
――ううん…ありがとう。
「あぁ、ありがとう、未来。
それから…今までありがとう。
しばらく会えなくなるけど俺…、忘れないから」
――慶…?
「この罪は…俺ひとりで背負うから」
――……ねぇ、慶?
「ん?」
――ひとつだけ聞かせて
「何?」
――なんで、その時、私と代わらなかったの?
私は…その為に生まれたのに。
「……これ以上、君を傷つけたくなかったんだ」
――……ありがとう。
「未来。俺は、あの頃より、少しは強くなれたかな」
――…強くなったよ。本当に。
「でも、ごめん。もう一度だけ力を貸して」
――…うん。いいよ。
「どうしても手が震えてうまくいかないんだ」
未来は、僕が五歳の時から、僕の中にいた。
父親の虐待に苦しんでいた僕が生み出した罪。
傷つき、苦しむ、卑怯な僕の代役。
僕は彼女の力を借りて、ダイヤルする。
1、1、0。
声の震えを必死に抑え、ひとことひとことしっかりと紡ぐ。
「俺、父親を殺しました」
そして、僕は心の中、彼女に別れを告げた。
大丈夫。
どれだけ時が流れても、きっとまた会える。
僕は待てるよ。
君のおかげで――強く、なれたから。