「テキスト」カテゴリー
今まで書いたショートショート・小説等、文章置き場です。
拙すぎてカテゴリ名を「小説」とするのすらおこがましい気がしたので「テキスト」。
基本的にどんでん返しを目標に書いてたり、書いてなかったり。
高校時代とかに書いたものも結構あるので正直黒歴史ですが、面倒なので開き直って手直しもいいわけもなしです。
いくつかはイベントで無料配布した「夢見るものたち」に収録しています。
投稿が「夢見るものたち」より前の分に関してはほぼ全部学生時代に書いたもの。
ツッコミどころが満載なのは自分でわかってますので、そこは流していただけるとありがたい。
最近のもツッコミどころが多いのは大して変わりませんが、まぁ、まだマシかと。
伏線を意識し始めたのはCANDY ×GAMEシリーズの途中あたり(2005年)から。
そのへんから書くものがガラッと変わった気がします。
女神ユノの祝日。
2014/10/08 00:44 □ CANDY×GAME
2007年02月01日SiestaWebのCANDY×GAME特設で公開されたもの。
今どうこうするには季節外れのバレンタインネタ。
バレンタインって言葉をタイトルに使いたくないというだけの理由でこんなタイトルに。
公開したのはⅡが出る前。書いたのはⅡの内容を全部書いた後。なので微妙に意味深な書き方してますね。
—–
「……何だコレ?」
寒空の下、学校から帰ってきた私を出迎えたのは玄関に鎮座する箱。ピンク色した宅急便の送り状。書かれた宛名は「永沢八重子」――つまり母さんの名前。
「あぁ、お帰り」
リビングから顔を覗かせたご本人が私に声を掛けるとともに、腰をかがめて箱を抱えた。
ほんの少し油の匂いがする。揚げ物途中で荷物が来たから、受け取りだけして荷物はしばらく放っておいた、ということらしかった。
「それって誰から?」
「お義母さんからよ。さっき電話あった。福引きで当たったけど要らないから、だって」
「でも、父さんチーズ嫌いじゃん。なんでわざわざ……」
「さぁ、あの人のことだから呆けちゃったってことはないでしょうけど」
父さんの実家に居る我が祖母は、とにかく多趣味な人で、「呆け防止!」なんて言い訳をしながら祖父ちゃんおいてけぼりでカルチャースクールに通い、はつらつと人生楽しんでいるような人だった。正直、祖父ちゃんならともかく、あの祖母ちゃんが呆けるなんて考えられない。
「……人生楽しみすぎて、息子の嫌いなモノなんかすっかり忘れてるんじゃない? あと、忘れてなくても本気で邪魔だから押しつけてみた、とか」
私の適当な冗談に「あり得なくないなぁ」なんて笑いながら、母さんは流しの下の空きスペースにその箱を納めた。
*
翌日昼休み。
その日はびっくりするほど天気がよくて、二月とは思えないほど暖かだった。
「ゆーうりっ!」
元気に自分を呼ぶ声を聞き流しながら、私は陽当たり良好な窓際の席で頬杖をつき、睡魔と緩慢な戦いの真っ最中だった。
〈大丈夫。ガイダンスまであと五分。そんなに深く眠ってしまうことはないよ〉
悪魔の声の向こう、無意識下に取り込まれそうになる教室の喧噪。お弁当を囲む女の子達の声が遠く聞こえる。楽しげに口にする話題は、数日前に終了した――修学旅行。
いつもなら話に入れないことで寂しさを感じているところだけど、今回は少し違った。
――ハイ。これ以上思い出すと色んな意味で精神衛生上よろしくないのでストップ。
私の口唇は、知らないうちに微かな苦笑を漏らしていた。
「おーい?」
目の前を塔崎洸香の手のひらが何度か横切って、やっと焦点が合う。
「……へっ?」
思わず間の抜けた声を上げると、我らが「お母さん」は柔らかに微笑い、
「ちょっとこっち来て」
教室の後ろのドアから顔を覗かせている女の子たちの元へ、私を引っぱっていった。
*
今日は火曜日。帰路につく時間はいつもより早い。
昇降口で靴を履き替える時、傍らに置いた薄青色の小さな紙袋。
トントンと靴の先を鳴らしながら、拾い上げたその重みに思わず笑ってしまう。
袋の中にはキレイにラッピングされた箱が五個収まっていた。
「すっかり忘れてた」
どうしよう。傷つくかな、父さんと兄貴。
そう。今日はバレンタインデイ、というヤツだった。
「あ、」
校門を出ると、見慣れた背中が目に止まった。
「公隆」
「おー、お疲れ。あぁ、今日火曜か」
うん、と答えようとして、目にとまったものに息をのむ。
「お前、それ……!」
視線の先には紙袋。私のより大きい。色とりどりのリボンに飾られた箱がぎっしり詰まって……――詰まりすぎて持ち手の部分が取れそうになっている。
「いいだろ」
「……それ、まさか全部チョコレートか?」
「モテる男はつらいよ、ホントに」
クスリとも笑わない、わざとらしいほど乾いた口調。
今、コイツは嘘を吐いているつもりはない。いや、吐いてるんだけど、その嘘で「騙す」つもりがない。
彼はそのままの表情で、チラリとこちらの紙袋をのぞき込むと、
「お前こそ、朝はそんなの持ってなかったよな。もらったのか」
「ん、後輩にね」
「部活休みなのにわざわざ渡しに来たのか、あのおなご達は」
「あぁ、モテる女もつらいよ」
なんて、皮肉めいたセリフで軽く笑って、
「ところで、お前はそれ、何人からもらったんだ」
ここからが本題。
「なんだ。妬いてんのか?」
こちらがもうとっくに違和感に気付いているのを知っていながら、なおも淡々と嘘を続ける公隆。並んで歩きながら、お互い目も合わせないまま、会話を続ける。
「欲しけりゃやるぞ。愛情たっぷり」
「そうか、それは大変だな。同情する」
「同情よりも愛が欲しいな、お前の」
流れるような軽口はものすごく平坦で、とんでもないセリフのはずなんだけど、今はまったく気にならない。
「……別に、欲しけりゃやってもいいけど」
「……っ、」
敢えて口調を変えて言ったその言葉が、冗談にしてもよほど意外だったのか、驚いたような顔が反射的にこちらを振り向き、
――そして、上目遣いでにっこりと微笑んだこちらの顔に、ハッと我に返った。
ハイ、私の勝ち。
酔っぱらいのオッサンが若い女の子に絡むように、彼の肩に手を置いて。
「答えろ。何人?」
公隆は再度の質問に嘆息すると、悔し紛れか、肩の手を払ったその腕でこちらの首を捕らえる。
そして。耳元で甘く、まるで恋人に愛を囁くように――
「…………ひとり」
そう告白した。
差し出された紙袋をのぞき込む。二、四、六……全部で十八個。
「うわぁ……嫌がらせもいいトコだな」
箱に使われたリボンは本当に色とりどり。――でもその代わり、その下を覆うラッピングペーパーはすべて同じものだった。
*
「妹が作った失敗作だとか言ってたけど。嬉しそうな顔しやがって、絶対嘘だ、アイツ」
「だな。どんだけ失敗するんだよ。ラッピングまでしてるし」
「お前さ、シャレ抜きで要らない? やるぞ。食う気しねぇし」
ため息混じりの言葉。
見た目がそこそこいい線いってるこいつは、毎年いくつかチョコをもらってる。
相手の好意に対して返す「王子様の微笑み(偽)」は、彼という人間を知らない者には定評があるらしい。ちなみに彼を知る者にも「虫ずが走る」と大人気だ。
もらうかもらわないかを一旦保留にし、
「今年は誰かからもらえたのか?」
「あ? 何だよ、ヤキモチ?」
公隆が薄く笑う。
「いや、100%興味本位」
その冗談はもういいから。意志がにじみ出るように、敢えて無色透明の声を使うと、彼は軽く息を吐いてつまらなそうに答えた。
「お前さ、腐っても女の子としてはどうよ。こんな紙袋持ったヤツにチョコ渡したいか?」
「いいや」
即答する。ってか、腐ってるは余計だ。
黒地に光沢文字の印刷されたラッピングペーパー。リボンが変えられているのもあって、遠目ならすべて違うものに見える箱の山はそう簡単に食べられないほどの量。
義理でも引くし、本命なら自分の渡したものがあの山に紛れるなんてなおさら嫌だろう。
「だろ。俺が女でもそう思う」
つまり収穫ゼロ。――贈り主の思惑通り? 大人気の微笑みを見たくなかったのなら大成功だな。まぁ、単純に面白がっているだけって可能性の方が高いのだけど。
「安藤……恐ろしい子」
そんなセリフを口の中で呟きながら、台所で大量のチョコレートと格闘する贈り主を想像して、噴き出しそうになる。
安藤圭太、やっぱり大物かもしれない。
*
しばらく雑談しながら歩いていると、各々の家が見え始めた。
「あ、そうだ。どうする? 悠里」
思い出したように、例の紙袋を掲げてみせる。
「要らないか? いくつかだけでもいいからさ」
――てか、引き取って欲しいんだろ、お前。
甘いものが嫌いなわけではないが、かといってそこまで好きでもない公隆。
おそらく同じものであろう十八の箱の中身は、彼を――いや、彼でなくとも、げんなりさせるには充分だった。
「中身は何か聞いた?」
「安藤曰く、手作りトリュフだそうだ」
「トリュフか……足が早いな。手作りなら賞味期限二、三日ってとこだろ」
冷静なセリフに、横の男が、うげ、と声を漏らす。
形的に見て、少なくとも一箱に六個。大台を超える個数のチョコ玉は三日で消化するには少々厳しい。
「いっそのこと溶かして何かに作り替えるか」
紙袋を眺める引きつり気味の顔がボソリとこぼす。
なるほど、妙案だ。
「そうだな、バリエーション考えたらちょっとは――」
そう笑い返した瞬間。
頭を、何かがかすめた。
――あ。
無意識に足を止める。
「……悠里?」
公隆が訝しげな目を向ける。
「そうか、わかった……」
「あ? 何?」
「なぁ、公隆――」
次の瞬間、私の言葉に、彼は唖然としていた。
「それ、全部引き取るよ」
*
午後八時。玄関のチャイムが音を響かせる。
『今日、八時にうち来い。出来れば多香子さんとおじさんも一緒に。晩飯軽く済ませてな』
時間ピッタリ。言いつけ通り、公隆はやって来た。
「いらっしゃい」
玄関に向かった母さんが、いつも通りの柔らかい声で三人を迎える。
「お邪魔します、八重子さん」
「上がって。悠里もそこにいるから。おふたりさんもどうぞ」
「八重子、今日何するの? 何にも聞いてないみたいだけど」
「ん? ちょっと変わったものをね……」
母さんの微笑みを含んだ声を聞きながら。
「よし」
小さく呟く。準備完了。
直後、部屋に入ってきた多香子さんが無邪気な歓声を上げた。
「わぁ! どうしたのこれ!?」
「昨日、お義母さんから送られてきたのよ。福引きで当たったんだって」
テーブルには、様々なカットフルーツと、クッキー、マシュマロ、キューブ状に小さく切ったパン。そしてフォーク代わりの竹串。
そして中央には祖母ちゃんから送られてきたチーズフォンデュセットが鎮座していた。
ただし、鍋の中で溶けているのはチーズじゃなく、チョコレート。
そう。これが私の思いついた安藤の贈り物を手っ取り早く消化する方法。
そして、今日という日を計算に入れた、ハイカラな祖母ちゃんの意図。
リビングには甘い香りが立ちこめる。
数分後には父さんと兄貴(飲み物部隊)も帰ってきて、両家族勢揃い。
目を合わせた一瞬、嫌な顔を隠せなかった兄貴に、
「久しぶり、浩樹」
にっこりと作り物の微笑みを返す公隆。……目が笑ってないよ、お前。
よからぬ雰囲気をキレイに無視して、ふたりの母親が乾杯の音頭を取り、チョコフォンデュパーティは始まる。
バナナの刺さった竹串をくわえながらげんなりと、
「すげぇ美味いよ、安藤の愛の味」
呟いた公隆に、私は笑いを堪えきれなかった。
夕涼み
2014/10/05 22:30 □ CANDY×GAME
2007年07月29日SIestaWebのCANDY×GAME特設で公開されたもの。
適当に名付けたらタイトルにそぐわない内容になりました。
終わり方が妙に恋愛くさい。
—–
持つべき荷物のなくなった両手をポケットにつっこんで、なんとなく空を見上げる。
広がる夏の空はほんのわずか、紅く染まり始めている。
遠くで、雷鳴が聞こえたような気がした。
*
夕方六時。
リビングのドアをくぐると、晩飯の支度を終えた母親がソファに腰掛け、のんびり雑誌をめくっていた。
こちらに気付くと、「あぁおかえり」と微笑む。
続けて、彼女の口から出てきた言葉には唖然とした。
「……はぁ?」
もう一回言ってみろ、このババァ。
「たこ焼き買ってきて」
俺の心を読んだかのように、一言一句違わず。
「……俺が今、どこから帰ってきたかわかってるよな?」
「伊藤さん家」
「正解。毎日目の前通ってるくせにいつまでも持ってかねぇから、徒歩で片道二十分以上かかる家にわざわざ回覧板持って行ってやったわけだ」
「うん」
「……まずは礼とかないの?」
「ありがとう」
無表情で即答する母親。まったくもってどうでもよさそうに。
次いで、にこやかに笑うと、
「たこ焼き買ってきて」
また同じセリフを繰り返した。
「……自分で作れよ」
脱力しながら口にするのは、わずかな抵抗。
「面倒。もう晩ご飯も出来てるし」
当然ながら一蹴される。
――……もういい。どうせ暇だし。
この母親はわがままを引っ込めた試しがない。問答するだけ無駄だ。
ため息をひとつ。
「どこまで買いに行けと? またあの店か?」
彼女がちょくちょく買ってくるたこ焼きは、駅前の小さな店のもの。いかにもな頑固親父オーラ漂う店長が焼くこだわりの一品だ。
――ちなみにその店、今前通ってきたばっかりなんですけどね?
こっちの面倒はお構いなしですか、ボス。
思わず文句が出そうになったが、
「んー。今日はもっとありきたりなのがいいなぁ」
母親の口から出た言葉は少し意外なものだった。
「ありきたり?」
「鈍いなぁ。今日は何の日でしょう」
人差し指をピンと立ててにっこり笑う母親の問いに、俺はやっとその意図を把握する。
「……了解」
面倒なことに、今度は逆方向に二十分かかる場所へ向かうことになった。
「あ、お金はその鞄の中入ってるから。そのまま持って行って」
指差されたのは母親の仕事用鞄。
「あ、あんた、行くの久々でしょ? お賽銭分あげるからちゃんとお参りしておいで」
「ハイハイ。じゃ、行ってくるわ」
いい加減に返事しながら、ファスナー付きの黒いトートを引っさげて再び家を出る。
目指すは夏祭り真っ最中の神社だ。
* * *
『大丈夫だよ、迎えに来てもらうから』
賽銭箱の前、ひとりたたずむ私の頭の中で、先ほど自分が言った言葉が繰り返される。
まだそんなに遅くないはずなのに、ぼんやり眺める境内は薄暗くなってしまっていた。
理由はもちろん、少し前から降り始めたこの雨だ。せっかく洸香とお祭りに来たっていうのについてない。
夜店のところにいた大勢の参拝客も姿を消し、今は運良く傘を持っていた二・三組が残っているのみだった。
「天気予報、はずれだったな……」
洸香の家はここからそう離れてはいない。
空の色からしてそう簡単に止みそうになかったから、小降りのうちに帰らせた。
「うちおいでよ。送るから」
彼女の親切は、辞退した。
だってそれじゃあ――。
小雨の中、何度も振り返る彼女に笑顔で手を振る。
「気をつけて」
最悪なことに気付いたのは、彼女の姿が完全に見えなくなってからだった。
音を立てて、血の気が引いていく。
――嘘。携帯……ない。
* * *
――畜生。
家を出た時から、なんだか雲が増えているのには気付いていた。でも、こんなに急に降りだす感じではなかったのだ。
降り始めはポツポツ。なのに突然、バケツをひっくり返したような土砂降り。
これが日頃の行いというヤツなのか、よりにもよって壁と電信柱しかないようなところを歩いている時だったりするわけで。
目的地に辿りついた時には全身ずぶ濡れ。
片手にぶら下げた鞄だけが景気よく水を弾いていて、なんだか皮肉だった。
――さて。
たこ焼きは後回しにして、まずは参拝が礼儀か。
少しだけゆるまった雨。
夜店の立ち並ぶ場所を通り抜け、辿りついた社の前。
額に張り付いた前髪を掻き上げながら、少し視線を上げると、
「……ん?」
見知った顔が、そこにあった。
*
「――」
一瞬、息が詰まった。
石段を上って彼女の横に立つと、鞄の脇から母親の財布を取り出し、
「……お前、何やってんの?」
小銭を放りながら、問うた。
カミサマに向かってしばし手を合わせ、彼女の方に向き直ると、
「……雨宿り」
ボソリと、質問の答えが返ってきた。
「当分止まないぞコレ。迎えに来てもらえばいいのに」
「それが……携帯、忘れたみたいで」
巾着の紐を絞りながら、恥ずかしそうに少し俯く。
「……ふぅん」
その仕草がいつもと比べて随分女の子らしく見えるのは、単純に格好が違うからだろうか。
「お前は? 祭りに来るなんて珍しいな」
「ボスのご命令。たこ焼き買ってこいとさ」
「なるほど」
あはは、と声を上げて笑う。
きれいに結い上げた髪にはちりめんの髪飾り。
鮮やかな赤い浴衣を纏った永沢悠里は、恨めしそうに空を見上げる。
その姿は、初めて見るはずなのに、どこか懐かしくて。
――いつの間に、こんなきれいになったかな。
父親のような気分で思わず目を細めたその時、だった。
静かな境内に電子音が響くのと同時、悠里が、え、と短く声を上げる。
「公隆。その鞄、多香子さんの?」
「あぁ、うん」
音の発生源は母親の鞄。慌ててファスナーを開けると、
「携帯……?」
そこにあったのは、携帯電話。
どこかで聞いた覚えのあるメロディを奏でるそれは――母親のものじゃない。
とにかくつまみ出そうと手を触れた瞬間、辺りに静寂が戻る。
メロディが流れた時間は、十秒なかった程度。
背面液晶の表示を見ると、電話ではなくメールの着信だったようで。
「貸して」
大人しくなった携帯に横から手を伸ばし、彼女が言った。
「それ、私のだよ」
「……なんでお前の携帯がこんなとこ入ってんだよ」
さっぱりわけがわからない。
「ん、多香子さんからだ」
俺の呟きを軽く聞き流し、たった今着信したメールを読む。
何が書いてあったのか、彼女は顔を上げると俺の顔を見つめ、苦笑した。
「……なんだよ」
「鞄の中見てみな。多分、素敵なモノが入ってる」
「あ?」
言われて探ってみると、仕事用の手帳や筆記具の奥から、
「入ってるなら言えよ、ババァ……」
随分小さな折りたたみの――「傘」が現れた。
「お前が気付かないとは思ってなかったんだよ、きっと」
困った顔で渡された携帯には、我が母親からの短いメール文。
『傘は届いた?』
*
――くそ。また騙された。
段々と、霧が晴れていく。
鞄の中にあった携帯電話。
永沢悠里の携帯がうちにあったってことは、彼女がうちに来たってことだ。
『それが……携帯、忘れたみたいで』
携帯がないことにさっきまで気付かなかったくらいだから、そんなに前のはずはない。
おそらくは――今日。俺が回覧板を渡しに行っている間だ。
何をしに来たか、に関しては考えるまでもない。着付けは母親の得意分野だった。
――たこ焼きなんてどうでもよかったんだ。
微かに聞こえた雷鳴と雲の動き。
あの時点なら、ある程度雨は予測出来た。
あの母親なら一七七くらい聞いていたかもしれない。
そう。俺の本当のお役目は、――永沢悠里の迎え。
そしてそれは、少女に対する配慮であると同時に、藤原多香子自身の純粋な希望だった。
彼女は見てほしかったのだ。
完璧に作り上げた、この真紅の作品を。
「帰るぞ」
小さな傘を彼女に手渡すと、降り止まない雨の中を一歩踏み出した。
「え、ちょっ、お前は?」
「俺はいい。もう充分濡れてるし」
今さら傘なんか被っても仕方ない。
なら、彼女が使うべきだ。せっかくの浴衣なんだから。
「……」
複雑な表情で、少女が大人しく傘を開く。
特に急ぐこともなく参道を戻り始めた俺の後ろで、下駄の音が石段を下り、近づいてきた。
「――?」
違和感を覚えて振り返ると、
「……あんまり打たれてるとハゲるぞ」
永沢悠里が俺に傘を差し伸べていた。
――難儀なヤツ。
素直に受け取っておけばいいものを。
仕方ない。長い付き合いだ。コイツの性質は十二分にわかってる。
彼女は自己犠牲的な親切を受け入れるような人間じゃなかった。
んでもって、彼女が傘をひとりで使うことを拒否すれば必然的にこうなる。
今時な相合い傘。照れくさいのはお互い様か。
差し伸べた方もほんの少しだけ、視線を泳がせている。
気恥ずかしさを紛らすように、無言で傘をひったくった。
こういうのはせめて、背の高い方が持たないとサマにならないじゃないか。
「……ひとつ、聞きたいんだけど」
「ん?」
「お前、塔崎と一緒だったんだろ? なんで一緒に帰らなかったんだ」
そう、それだけが疑問だった。
塔崎の家ならここから五分もかからない。
小雨の間に走って帰っていれば、濡れたとしても大したものではなかっただろう。
塔崎の性格からすればそれを提案しないはずはないのだが、彼女は同行しなかった。
こんな時に「甘えるのは申し訳ない」なんていう他人行儀な関係ではないはず。
「だって――私のじゃ、ないから」
苦笑しながら、彼女がポツリと答える。
「お前、気付いてない? この浴衣、見覚えないか?」
「――あ、」
彼女の問いに、俺は、やっと気付いた。
悠里がなぜ、塔崎と同行することを拒否したのか――それほどまでに濡れることを避けたがったのか。
「それ……」
そして、自分がなぜ、彼女の姿にああも懐かしさを覚えたのか。
「うん。これ多香子さんのなんだ」
*
小さな傘の下、とりとめのない話をしながら夜店の間を通り抜けると、
「あ。お前、たこ焼き頼まれてたんじゃないのか?」
彼女は俺の言った用件を思い出し、慌てて濡れた袖を引っぱった。
「別にいいだろ。どうせ口実だろうし」
「いや、それでも、買ってかなかったらまた貸し一とか言われ……」
「ぐ」
不穏な展開予想に、思わず声を漏らす。
それもそうだ。
本当の意図が何だったかなど関係なく、俺自身は「たこ焼きを買ってこい」と言われただけなんだから、従わなければペナルティ。
ボスのことだ。敢えて深読みするなら、迎え云々がサブイベントで、メインの目的はその「貸し」作りである可能性もないとは言い切れない。
「悪い。戻ろう。買っておいた方がよさそうだ」
「あぁ、それが賢明だな」
心の中でぼやく俺の顔を、少女が可笑しそうに観察していた。
――面白くない。何もかもババァの手の内だ。
「くそ。こうなったら腹いせしてやる」
思いついたのは、今の範囲で出来る、仕返し。
「ん? 何すんの?」
傍らには、復讐劇の幕開けを興味津々で見上げてくる永沢悠里。
「――無駄遣い」
*
そう。たこ焼き買わなきゃペナルティは確定。
じゃあ、ご命令通り買っていってやろうじゃねぇか。
俺は今日、数に関してひとことも聞いてない。
なら、ここにある所持金すべて、たこ焼きに変えてやるまでだ――!!
「あはっ、そりゃいいや」
ちょっとやけくそ気味な馬鹿計画を打ち明けると、止めるかと思いきや、実に楽しそうに笑った彼女。
傘を預けると、一歩足を進めてたこ焼き屋の軒下に入る。
「おっちゃん、たこ焼きちょうだい」
「あいよ。ひとつ? 五百円ね」
「あ、いや、ちょっと待って」
そう言えば、財布にいくら入ってるのか見ていなかった。
慌てて財布を取り出す。
中身の額は――
――……っ!
「――ごめん。やっぱ、ひとつでいいや」
数十秒後、焼きたてのたこ焼きの入ったビニールを持って、後ろを振り返る。
軒下から移動して元通り傘を受け取ると、代わりに袋を彼女に渡した。
「食おう」
「……なんだ。結局やめたのか?」
つまらなそうな顔にひとつため息を吐くと、
「残念ながら、ボスの方が上手だったんだよ」
舌打ちしながら、見てみな、と財布を渡した。
「――あ」
その中身に、彼女が小さく声を上げる。
賽銭の時に開けた小銭入れ部分には、十円玉と五円玉が数枚ずつ。だから、ご用命の品を買おうとするなら、札を出すしかなかった。
母親が仕事に持って行くのは「小遣い用」の財布。
そこそこに高給取りで衝動買いの多いボス。この財布にはいつも結構な額が入っている。
でも、この時札入れ部分にあったのは、彼女にしてはかなり少ない、千円札二枚。
そしてその他に――一枚の小さな紙片。
走り書きのその手紙にはこう書かれていた。
『残りは臨時のお小遣いね。お祭り楽しんでおいで』
それは、約束を違えなかった場合のみ気付くよう仕込まれた、俺への褒美。
それとも、こちらのよからぬ企みを含め、最後まで読んだうえでの不意打ちか。
「はぁ……」
その効果は絶大で、あっさりと毒気を抜かれてしまった。
「ホントに敵わないな、多香子さんには」
財布をこちらに差し出し、ポツリと漏らす悠里の顔は、なぜかとても嬉しそうに見えた。
*
帰り道。
片手にぶら下げたビニール袋には、帰り際に改めて買った土産のたこ焼き。
おごりのりんご飴をかじる永沢悠里と世間話で笑いあいながら、
――……うん。
俺は、心の中でひとつ、小さな決心をした。
家に帰ったら今日は素直に「ありがとう」と言おう。
敵わないと認めるようで、少し悔しいけれど。
それでも今日は、母親に感謝していた。
臨時の小遣いをくれたこと。
作品を見せてくれたこと。
そして、彼女と肩を寄せ合える、
――この小さな傘を選んでくれたことに。
#14 願い ~ Epilogue
2014/10/04 00:57 □ 城ノ内探偵事務所
「はい」
公園のベンチに腰掛けてうなだれる私へ差し出されたのは、今しがた自販機から取り出されたペットボトルのスポーツドリンク。
「ありがとう、ございます」
受け取りながら、口にするお礼の言葉は途切れ途切れになった。息が上がっている。
自分より体力なさそうな目の前の男が案外けろっとしていて、なんだか悔しい。
受け取ったボトルをそのまま頬に当てる。表面の水滴が、汗と混じって頬を伝った。
どれくらい走ったろう。繁華街の喧噪は遠ざかり、この静かな公園で聞こえるのは虫の声と誘蛾灯の音くらい。
隣に腰掛けた彼が、自分の分のボトルをあおる。
「あー……、話聞くけど、どうせなら食事でもする?」
他人の目のあるところなら理性的に話が出来るんじゃないか、という希望的観測が垣間見えた。怒鳴られるのは苦手らしい。
「――ふ」
無意識に、息が漏れる。唐突に笑い始めた私に、彼がボトルを口から離してこちらを見る。笑いかけながら、首を横に振った。
「……いいです。なんか、気が済みました。一発殴って言いたいこと言ったし。それが、私の目的だったから」
彼は黙って、私の話を聞いていた。
「城ノ内さん。私ね、あなたがうらやましかったんです。あの時、私にはなんの力もなくて、何も、逃げることすら出来なかったから」
不思議と、気分は晴れていた。
「……今から、わがままなこと言いますね。仕方なかったってわかってます。私があなたでも、同じ事をしたかもしれない。でも、」
そう、これが、自分でも知らなかった、理不尽で他力本願な私の本音――
「五年前、一緒に連れていってほしかった」
馬鹿げている。そう思いながら、精一杯、笑って言った。
それが実際出来たかというと、もちろん無理だ。私たちはお互いの顔も知らず、彼に至っては西園の娘というだけでこちらの名前すら知らなかったんだから。
「ごめん」
反論もなく、ただ短く謝るその声には、罪悪感が満ちていた。
「そう簡単に償える事じゃないのはわかってる。君はどうしたい?」
その質問に、ベンチから立ち上がって、一度背伸びをする。
「別に、何も。今の状況も、今の自分も気に入ってるんです。だから、」
振り返って、ゆっくりと、彼の前に立つ。
「――もう二度と、居なくならないでください」
その言葉は静かな公園に、微かに響いた。
口にしたのは、心からの願い。
だって、彼の居るところこそが、私がやっと手に入れた、自分の居場所なんだから。
数秒の沈黙の後、小さく息を吐き出し、降参、というように両手を上げて。
「……わかった」
今のところそんな予定はないけどね、と付け加えた彼は、やっと、いつもの顔で笑った。
「約束するよ、俺は居なくならない。また君を怒らせて、夜逃げでもしない限りはね」
そんなおどけたセリフに、こちらもくすりと笑って。
「構いませんよ。私も五年前の私とは違います」
「ん?」
「見習いみたいなもんとはいえ、これでも一年探偵やってたんですよ? 何をしても、最悪穂積と西園の名前を使ってでも、必ず見つけ出して連れ戻します」
「……っ」
これ以上ないくらい強気な口調に、言葉を詰まらせる彼へ。
一呼吸置いて、とびっきりの笑顔を向けてやる。
「――次は、一発で済むと思わないでくださいね」
一瞬、見開かれる目。数回の瞬きの後、
「────ふっ」
吹き出しながら顔を背け、腹を抱えてひとしきり笑うと、
「結婚しなくて正解だ。絶対尻に敷かれてた」
顔を上げた彼は、そんな失礼な言葉を口にした。
公園の時計が十一時半を指す。
「帰ろう。駅まで送るよ」
それとも、うち泊まってく? なんていう冗談を聞き流し、帰路につく。
そんな冗談が出てくるということは彼の家はあの近くなんだろう。いずれ突き止めてやる、と心に誓う。
尾行ごっこは続行だ。いつか、家の前で待ち伏せて驚かせてやる。
「改めて、末永くよろしくね。あかりちゃん」
駅の改札前で差し出された手。彼との三度目の握手は、心からの笑顔とともに。
「はい」
*
新たな目標を胸に秘め、私の日常は続いていく。
薄暗い事務所で彼のカーディガンに手を通し、彼の笑顔に時には笑い、時には怒り、たまに昼食の賭けをして。
「はい、城ノ内探偵事務所です」
城ノ内探偵事務所は、今日も悩みを抱えた依頼人を受け付ける。
#13 逃避行
2014/10/04 00:55 □ 城ノ内探偵事務所
「ちなみに、あなたのご両親はとっくにあなたのことを見限ってらっしゃいますのでご心配なく」
付け加えた言葉には、反応は返ってこなかった。
「穂積もろとも西園まで切り捨てたからわからなかったんですよ。調査員でストップしないでもっと遡って素性調べてたら……さすがに西園姓だってことがわかれば気付けたでしょうに」
フリーズしたままの彼へ、抱擁でも求めるかのように、ゆっくりと両手を伸ばす。
「親が勝手に決めた結婚話が立ち消えになったことに関しては感謝してるよ。――でもな!!」
襟元を掴んで、自分の顔の前へ引き寄せる。
「勝手にいきなり失踪しやがって、おかげで私は十八にして行けず後家扱いだ! 成績優秀、おしとやかで完璧なお嬢様演じてきたのに、一夜にして周りがかわいそうなもの見る目に変わる屈辱がわかるか!?」
締め付けられる苦しさに我に返ったのか、彼がやっと反応を返す。
「ちょっ、あかりちゃん? とりあえず落ち着いて?」
「落ち着けるわけないでしょう!? 自分の家ですら居場所なくなって、私がどんな思いで生きてきたか……っ。文句くらい言わせろよ!」
五年前。父親から、おまえの結婚決めてきた、なんて寝耳に水の事後報告を受けた翌日、顔も知らない婚約者、穂積紘は行方をくらました。
もともと娘の私を家の繁栄のための道具としか見ていなかった父親。役に立たないとわかれば、扱いは地に落ちた。自分の意思で実家を切り捨てた彼とは違い、――私は切り捨てられたのだ。
喚きながら、自分の中で何かが決壊するのを感じていた。
感情がコントロール出来ない。
せめて涙だけは零すまいと、必死に堪える。この男の前で、泣いてたまるか――
「わかったわかった! 場所変えて聞くから!」
「時間稼いでごまかす気満々だろ!? もうやなんだよ振り回されるの!!」
「だから落ち着けって……!」
一瞬、苛立ったようにそう言うと。
彼は少し強引に、その腕で覆い隠すように、私の視界を遮った。
「…………っ」
驚きで、言葉が詰まる。
「……悪かった」
耳元で、低い声が響く。
「君に対してもっと配慮するべきだったのは確かだ。けど、頼むからちょっと落ち着いて」
優しい口調。けれど、いつものような余裕は感じられなかった。
視界を奪われた動物としての本能か、そう強く抑えられているわけではないのに、身動きが取れなくなる。襟を掴む手からも、力が抜けていった。
――あぁ、そうか。
頭が冷えていく中、不意に気付く。
つまり私は、彼が失踪したことに怒っていたわけではなくて、
ただ、彼がうらやましかっただけなんだ、と。
「…………」
そうしていたのは時間にしてほんの数秒。そっと、後頭部に触れた手のひらが、慰めるようにごく軽く髪を撫でる。
「落ち着いた?」
「……はい」
頷くと同時、緩慢な束縛から解放されて視界が開ける。
まず目に映ったのは、目の前の彼の引きつった顔。その余裕のない表情に違和感を覚える暇もなく、襟から離した手を掴まれた。
「逃げるよ」
「……は?」
「さっき通った人に警察呼ばれたっぽい」
「────えっ」
少し離れたところから、ふたつの黒い影が近づいてきていた。
ラブホテルが立ち並ぶこの通りの片隅で、スーツ姿の男に尋常じゃない様子で詰め寄る女子高生。それは残念ながら、ただの痴話喧嘩には見えなかったらしい。
手を引かれ、転びそうになりながら、走る。
「ったく、よりにもよってなんでそんな変装したんだよ!」
「……るっさいな、これが一番違和感なかったんですよ! てか城ノ内さん、警察にも『友達』いるんでしょ!? どうにかしてもらってくださいよ!!」
「『友達』に買春疑われるとか御免なんだよ! あかりちゃんが職質で先生と生徒プレイだとか言ってくれんなら別だけど!?」
「――っっ! 絶っ対嫌です!!」
#12 追跡調査
2014/10/04 00:53 □ 城ノ内探偵事務所
真っ白な丸襟ブラウスにチェックのプリーツスカート。胸元にはエンジのリボンタイ。
トイレの個室から出てきた自分を大きな鏡が迎え、
――ぐえ。
童顔なのは自覚していたが、あまりの違和感のなさに、自分で顔をゆがめた。
最後の仕上げに、やたらとボリューミーなテールウィッグ。
「……さて」
午後九時四十五分。対象者の追跡を開始する。
バスと電車を乗り継いで辿りついたのは繁華街。近くに住んでいるのか、飲み会にでも顔を出すのか。
移動中も適度に人の多い状態で助かった。多すぎても補足するのが大変だが、少なければ断念するところだった。
三度目の正直。……まぁ、見失っても構わない。また最初からやり直すだけなんだから。
そもそも普通尾行はふたり以上ひと組。ひとりで尾行って段階で、多分に問題があるわけで。
「あー、うん。そうなんだよね」
誰とも繋がっていない携帯で、誰かと話している振りをしながら、あくまで自然に、対象者を追う。
ゆっくりと、それでいて軽やかに、対象者は歩を進める。
繁華街を通り抜け、少し薄暗い道を歩くと、今度はホテル街に出る。
「…………」
金曜日というのもあってか、人気は少なくない。ネオンのきらびやかな建物へ、ひと組、ふた組と吸い込まれていく。対象者を尾行するにあたって、この通りが閑散としていないのは有り難かった。ただ、この格好は間違いだったかもしれない、と後悔し始める。ひと組のカップルに、ちらりと流し見られて、思わずうつむいてしまった。
「────っ」
顔を上げるまで、たった数秒。それでもそれは確実な落ち度。
――見失った……!
無意識に、早足になる。落ち着け。この付近の分かれ道はそんなに多くない。
最後に後ろ姿を確認した地点から一番近い路地へ、足を向ける。
――……居ない。
誰もいない路地を、薄暗い街灯が照らしていた。自分の失敗を確認すると、立ち止まったまま、目を閉じる。身体のどこかから、空気が抜けていくような感覚。深呼吸のような、静かで長いため息が口をつく。
「――はい。そこまで」
――唐突に。
ポンと、肩に手が置かれる。
「────っ!」
振り返った私を見下ろして、
「三回目の尾行、ご苦労様。あかりちゃん」
対象者、城ノ内紘はくすりと笑う。
「でも、この場所にその格好は家出少女みたいでいただけないね。危ない奴に連れ込まれたらどうするの」
いつもと変わらない優しい口調で、説教じみたセリフ。本当に子供に注意するみたいに。
忌ま忌ましさに、思わず目をそらす。
――最悪だ。
言い訳は思いつかない。いや、思いついたところで無駄だろう。
『三回目の尾行、ご苦労様』
彼はどこまで知っている? ただ知らない振りをしていただけで、すべてお見通しだったんじゃないのか。
――それなら、それで構わない。
目的のひとつ――『彼の自宅を突き止めること』は出来なくとも、
私の一番の目的は、絶対に達成してみせる――
「君も尾行は下手なんだね。宮原調査事務所の元調査員、園田あかりさん」
彼はもう、知っていることを隠さない。
「演技は上手なのにね。もったいないなぁ」
「……最初からわかってて私を雇ったんですか?」
彼はいつもと同じようにこちらへ笑いかける。
「買いかぶりだね。さすがによその調査員ってのは最初はわからなかった。雇った理由は、君の履歴書が、ほとんど全部嘘だったからだよ」
「――はは」
無意識に、乾いた笑いが漏れた。何が『信頼出来る人間と判断しました』だ。彼は私をこれっぽっちも信頼なんてしていない。結局、泳がされてただけじゃないか。
「職歴も住んでる家もわかった。けど、どうしてもわからなかったことがある」
「……わからない? へぇ」
嘲笑する。それが自身に向けたものなのか、それとも目の前の彼に向けたものなのかは自分でもわからなかった。
「教えて、あかりちゃん。――依頼人は誰?」
まっすぐにこちらを見据えて、笑みの消えたその顔で、彼が問う。
「…………っ」
瞬間、湧き上がったその感情を噛み殺して、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「推理、してみたらいかがですか? 探偵なんだから慣れてるでしょう?」
投げかけた言葉は、苛立ちを隠しきれていなかった。
「推理ってのは不足してる情報を補うためにするものだよ。あいにく俺には縁がなかったから、慣れてはいないね」
「――なら今、経験を積んでみたらいかがですか」
路地の低い塀へ腰掛けて、目を細める。
「私が、採点してあげますから」
「……っ」
今度は彼が言葉を詰まらせる。何度か視線を泳がせると、ゆっくりと目を閉じた。
わからなかった、と彼は言った。
膨大な情報を集めることの出来る彼は、その分証拠主義だ。確証のないものは信用しない。
今回の件で、確信となるものが掴めなかったのは、彼のネットワークから意図的に外されたところがあるからだ。
木下徹と橋爪直樹は、現在の彼のことを――城ノ内紘のことをほとんど知らなかった。あの人たちはネットワークには組み込まれていないのだ。
五歳の時から行動を起こしてきた彼が、一番効率がいいはずの学校で『友達』を作らなかった。その理由は、彼の本当の姓にある。『結構いいトコの子』――実際はそれどころじゃない。彼が持っていたのは、誰もが顔色を変えるこの街一番の権力者の名前。
彼の目的にとっては重くて邪魔でしかない苗字を隠し、母親の旧姓を借りて『城ノ内紘』は誕生した。
二十年近く二つの名前を使い分けていた彼は、家を出ると同時に、本来の自分とそれに直接関わるものすべてを、あっさりと切り捨てた。
今回の答えは、その時欠落した部分にある。だからこそ、彼には『わからない』のだ。
静かに、彼が目を開く。微笑みを浮かべた口元とは対照的に、その視線は冷たい。
大きく一度、ため息をついて、彼は回答を口にした。
「……じゃあ、回答するね。依頼人はおそらく、穂積修司。俺の、父親」
「理由は?」
「この街で俺のネットワークに引っかからない人間、そのうえ人を雇ってまで俺のことを調べようとする人間は穂積の家以外に考えられない。あまり考えたくはないし今さらな気もするけど、連れ戻すため、とかそういうことかな」
「…………」
彼の回答を噛みしめるように、一度目を閉じる。またひとつ、大きく静かな深呼吸。
それから塀から降りてスカートを軽くはたき、ゆっくりと彼に近づいた。
「あかりちゃん、解答は?」
彼はどこか寂しげにこちらを見下ろす。
愛すべき裏切り者に対するその視線に、にっこりと笑ってやる。
パン、と乾いた音が辺りに響いた。
「不正解です」
反射的に頬を抑えて、呆気にとられている彼をまっすぐに見上げる。
「依頼人なんて居ません。強いて言うなら、私本人です」
「……は?」
「自己紹介が遅れましたね。初めまして、穂積紘さん」
きょとんとした顔。それに向けた目的達成の笑顔は、我ながら会心の出来だった。
「私は『西園』あかり。あなたに逃げられた――元婚約者です」